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我がVオタク趣味の末路を思う

 私はVtuberの厄介オタクをしている者である。同じくVtuberの厄介オタクをする知人と久しぶりにVtuberの話をしていると、どうも配信や動画の話は合わず、その知人から投げかけられる話題というのはエロ同人やR18イラストといったオカズの話ばかりであることに気づいた。そして悲しいことにそれはそれで話が合うし、この感覚そのものとも私は初対面ではなく、何度かこういうことを他のジャンルや逆の立場で経験したこともあるのでまとめてみようと思った。

 早い話、その知人はVtuberオタクをするうちに厄介オタクになり、遂にはVtuberで抜くだけオジサンに成り果てようとしているわけである。これは決して他人事ではない。十代のころ、現実世界での不適合も相成って現実逃避の一環としてアニメやラノベ・漫画なんかを見ることにひたすら没頭し、一時期の私は地元じゃ自他ともに認めるアニメオタクであったが、大人の年齢に達した私は今期のアニメなど1つもわからないわけで、今の私はオカズが二次元というだけの元アニメオタクa.k.a.現役二次元オナニーおじさんに他ならないわけである。単にその知人は私も通っている同じ道の数歩先を歩んでいるに過ぎないわけで、ドン引くとか生理的な無理を感じるとかそういう憎悪の気持ちではなく、私もそうなっていくんだろうなと予感がした。悪い予感というのは当たるものだ。

 かといって、悲観したところで私は今さら現実に生きられない。死ねとか消えろとか気持ち悪いと言われつづけた幼少の経験からリアルの女性などアイアンマンにしか見えない。Vのガチ恋に現実逃避せず現実で恋をしろと言うならまずアイアンマンで抜いてから言ってほしい。無理があるだろう。性的な欲求も、娯楽も、居場所も趣味も何もかもが、もう現実にはない私のような人間にとって、あとは空想に逃げるしかないわけだから、純粋なコンテンツのフォロワーや健全なリスナーになど今更なれる筈なかったのだ。

 思えば逆もあった。ボカロや東方はエロ同人から入った。しかし、それはそれで純粋なコンテンツのフォロワーや健全なリスナーには別の理由でなれなかったから、厄介オタクになってしまうような拗らせマインドおじさんは、きっとそれ相応の報いを受け、自業自得や身から出た錆の範疇だとすれば、我が行く道の先が焼け野原のようなところであっても仕方がない気がしなくはない。

 しかし、この様なこじれたオタク活動が普通であたりまえのことであると押し付けるオタクにはならないように気を付けたいと思う。「東方シューターならエロ同人好きでしょ?」と単にシューティングゲームとしてプレイする知人の常識が疑われたとき、その言葉を放った人物には関わらないでおこうと危険を察知&回避する本能が働いた経験や、エロイラストは苦手だと話す知人に「こんなんパンツ見えてるだけやで?」とイラストを見せて虫でも殺すような目をされていた人物が与えたであろう不快感や迷惑を、こと自分からは他人にはかけたくないとも思った。

 界隈では当たり前であっても常軌を逸していることなんでザラにある。エロ同人じゃ一般教養だけど孕めとか普通言わないし、普通はくしゃみで助からない。自分がそうであることと、自分の周りがそうであることと、客観的な見え方の差をある程度は理解できるオタクでありたい。コンテンツ側にとっても自分は認められたものではないということも込みで受け止めなければならないのだ。

 私が居るのは害虫の側である。大半が常識の範囲内でコンテンツと向き合っているのに、私たちのようなほんの一握りが発するノイズがコンテンツやフォロワー全体のイメージや見られ方の品格を下げる原因になる。きっと私もいつかはVtuberで抜くだけオジサンと化す。もうなっているのかもしれない。私のVtuber厄介オタク活動の趣味のも必ず終わりが来るとしたら、この厄介オタクとしての羽音が駆除を検討されるレベルまで膨れ上がる前にその寿命を迎えたいものだ。

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