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推しと推しじゃないの間について

推しと推しじゃないの境目って谷が深すぎん!?どっからなん?オジサンわかんない…

私はVtuberの厄介オタクをしている者であるが、どこから推しで、どこから推しじゃないかについて頭を抱える毎日を送っています。
自己肯定感が低い毎日を過ごしていると、自分について推しを名乗る資格がないと結論付けるハードルが下がり、逆に推しと名乗ることのハードルはウナギライジングする一方ですから、推しって何だという哲学的な問いは毎日です。

しかも、優柔不断なこともあって、1番なんて選べないから複数名を同時に結構な熱量で見ていると、推しについての姿勢や、推し具合について怪訝な顔をされたり、マウントを取られたりみたいなことも増えてきた。

気にしなきゃいいのだが、心根が弱いとそうもいかないので、当初は推しを公言できるように精進しようとか考えたが、私のように自分に自信や実力や財力がないと〇〇推しを公言している人達を眺めれば上には上がいるわけですから、そこに交じり込むのは無理があろうと今は限界を感じています。

推し具合は自分が幸せになるための気持ちで前提として比べるものではないので、他者の推し具合と比べて気に病むことそのものが推す適正の無さの表れのような気もしなくないですし、そもそも名乗る帰属先が不明瞭であるということは精神衛生にも良くはないですね。

そこで、私は推しと推しじゃないの間に、仮の定義づけを勝手に据え置くことで精神安定を得られないかと考えました。

単にこれは、今までは「推し>【超えられない壁】>推しじゃない」の単一構造であったのを、超えられない壁の部分を細分化することによって、精神衛生を図ろうというものである。

個人的に「チラ見」「ガン見」「つつき」「添え手」を追加したい気分です。
【チラ見】
ほぉ~ん。そういうライバーも居るのか…と気になりだしている段階。

【ガン見】
なんとなく名前を検索したりして目が離せなくなりはじめた段階

【つつき】
コメントやらRTやらをしてみて間合いを取りながらツンツンしている状態

【添え手】
推すまで行かなくてもチャンネル登録等をして手を添えている状態

推し>手を添えている>つついている>ガン見している>チラ見している
↑この構造を自分のために発明した。

変な話、自分に自信がないと推しを名乗る責任を背負いきれない不安がある。中学生のころバンプオブチキンを好きで聞いていたら、私が聞いていたせいでバンプの曲がキモオタの聞くような音楽と迫害を受けたことなんかもあって、自分が好きを名乗ることがコンテンツの害になりやしないかという不安が払しょくできずにいる。こんなロクでもないヤツがフォロワーなのだから大したことないコンテンツだろうと周囲から思われるぐらいなら推しを名乗らない方が良いと個人的に思ってしまう。なので、推しと言わないまま応援する口実が欲しいというワガママな理由も大いににある。

加えて、結局のところこの手の課題は自己肯定感やらの問題を抱えているからブチ当たるわけで、自己肯定感が低いと推し具合マウントとかに弱いし、実際マウントも取りやすいわけだから、マウンテンゴリラ(マウントを取るのを生きがいにする人達)からすれば恰好の餌食になって悪循環になる。

直接マウントを取られなかったとしても、光属性の肯定感マシマシ推し勢が視野に入るだけで内的な葛藤に心根が負けて溢れた申し訳なさに心が折れて、自分の応援したくて好きな気持ちを雑に扱わざるを得なくなって辛いことが多く、これなんとかならんかなと思ったりもした。

内外問わず葛藤やマウントに打ち勝つ方法は同じ土俵からの撤退に限るので、推しか否か以外の別の定義を自分用に新設して避難所にできないかと考えたわけだ。

心底応援していることに変わりなくても、自己肯定感や自信の手前、私と同様に推していないというには触れすぎていても推しを名乗れずいる根無し草諸君にはこの方法をお勧めしたい。

最近、チラ見してるライバーおるねん。ちょっとガン見しはじめてるライバーおる。ちょっとあのライバー見過ぎて”つつき”に入った。推しって程じゃないけど手は添えてるかな。こんな戯言を言いはじめています。

ちょっと待てよ。私はいったい何人に手を添えていることになるだろう。数えると千手観音みたいなことになりやしないか。千手観音の腕は一般的に42本であるとしたら、数も悟り具合も千手観音には及ばない私の場合、それはもうビオランテみたいな多腕の怪物に他ならないではないか。それもビオランテに失礼か。千と千尋のカオナシみたいなイメージが近いのかもしれない。どのみち、シンコ・マーノ・スパンクみたいに華麗でないことだけは確かである。

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