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VtuberはWEBキャバクラか。

 何事にも適切な距離というものがある。膨らませたカタツムリみたいな顔と性格の私は他者とそれらを適切に確保しあった結果、気づけばひとりぼっちになっていた。目下、私はVtuberの厄介オタク活動にいそしんでいるわけだが、スパチャ(名前に色がつく有料コメント機能)やメンバーシップ(有料の会員制)などで主に女の子の話を聞く配信視聴行為に金銭の出費が伴うことを知った知人に「それはもうキャバクラ行けよw」と諭されてしまった。

 思えば、キャバクラというわけではないが風俗営業的にバーチャル空間上で一定の時間で区切られた料金の伴う1対1でのやり取りを提供するサービスがあったり、時にイベントの企画なんかでサシで推しと喋るチャンスが配られていたりする。きっと、バイクに乗らない人が暴走族と一般ライダーの区別がつかなかったり、私がVtuberなら同事務所所属の約50人前後の区別がつく一方でリアルアイドルグループの個々人の区別がつかないように、興味や接点がない人からすれば、個別の悪意や偏見を差し引いたとしても、Vtuberとキャバクラの区別はつかないのかもしれないと思った。

 風俗営業的というか、アルコールの介在に問わず、対価を何らかの形で支払うことにより下駄をはいてヨイショしてもらいながら便宜上、あるいは業務上の都合で丁重な扱いを受け、それに気分をよくする行為をここではキャバクラ的であると定義しようと思う。少し脱線するが、キャバクラ的なことというと、ライブハウスやストリートの音楽シーンで女性の弾き語りに粘着する気持ち悪い中年ファンとかもきっとその類である。学生を名乗る女性シンガーに路上でアルバムの購入を理由にハグした状態での記念撮影を希望する40代ぐらいの男性を見た時、こうならないようにありたいと決意したものだ。

 そう思えば本質は決してそれだけではないにしろ、Vtuberの配信もキャバクラ的な側面が否めなくはない。飲酒を伴う雑談配信にバーやスナックといった単語をパロディー的に据える場合も見受けられる場合さえある。しかし、決定的な差が個々人間には介在しているように思う。私は少なくともキャバクラに行けない。キャバクラには行けない人種がVtuberの配信はキャバクラ的であっても見れる現実が少なくとも存在しているらしいのだ。

 私がキャバクラに行けない理由は大きく2つ。1つめは予算の問題で、2つめは自己肯定感の問題である。シンプルに金がないのと、冒頭でも述べたように私の顔面や性格は膨らませたカタツムリの様相を呈しているから、たとえ上手い具合にこなしてもらえたとしても、結局は「キッショ…」って思いながらお金払ったから仕事で嘘ついてくれていることがわかって辛くなる。そもそも挙動不審な引きこもりが無理して出てっても恥をかくしダメージを受けるから、その恥や労力を忍んでまで、汚らしい自分を羞恥と後悔の海に大金を払ってまで突き落として沈めようとは思えないのだ。

 それがことVtuberの配信においては、こちらの情報は文字情報のみである。おじさん構文のように字面からにじみ出る気持ち悪さから「この人カタツムリみたいな顔してそうだな」と思われたとしても、確証がないから何だかんだ有耶無耶にできる。情けなく立場のない現実世界の自分をいうものを連れて行く必要がキャバクラにはあるが、Vtuberにはない場合が多い。

 Vtuberの配信をキャバクラ扱いされたことに感じた小さな不服については、キャバクラ的な側面を含みこそするが、本質はそれのみでは決してないという確認はそう時間を要さずに完了したが、同時に私のやっていることはキャバクラに通うことより下種で、安上がりで都合のいいキャバクラ感覚で女性に絡んでいるのをドン引きしたストリートミュージシャン相手にハグを迫る中年と同じ土俵である気がしてきた。

 キャバクラ的な要素以外の魅力や楽しみかたもVtuberにはあるわけだが、もしかしてキャバクラの客よりも数段タチの悪い連中の相手を推したちは日頃から強いられているのではないだろうか。ひょっとしたら私もその1人で他人事ではないのかもしれない。自分にとって自分の好きなコンテンツを安くて都合の良いキャバクラにしないために自分は何ができるだろうか。

 現実世界に立つ瀬の無い私にとってキャバクラ的な側面も込みでVtuberを推すことは自分の安心や精神衛生のためと考えれば適切な距離が確保できているように思っていたが、本当に適切な距離を保てているのだろうか。

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