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綾波派でVオタクな私について

 私はVtuberの厄介オタクをしている者であるが、ふとエヴァンゲリオンなら綾波派で、グレンラガンではニア派であったことを引き合いにVtuberの厄介オタクをしている私の在り様について呆れを存分に含んだ皮肉的な納得を知人から頂戴した。あぁ~…なるほどね…と言った感じで。

 たしかに、アスカではなく綾波派だったし新劇場版のQなど直視できなかった。某頭脳明晰な有名芸人さながらに綾波を返せよ!と涙したし、グレンラガンもヨーコではなくニア派で同じくニアを返せよ!と涙した。これは私の周りにのみ限った話かもしれないが、思えばエヴァでアスカを推したり、グレンラガンでヨーコの谷間や太ももに熱い視線を送ったりしていたかつての仲間たちは、そんな過去などなかったかの如く立派な大人へと成長を遂げている。決してそんなことはないにしても、なんだかそちら側が正解でこちらが側が間違い探しの間違いの方であるかのように、綾波やニアに心惹かれた者だけがまだ同じ場所で逃げ遅れのように虚構に向けて空想を吹かしこんでいるのではないかとさえ思えた。

 そのことが何故Vtuber趣味とリンクするかについては嫌と言うほどわかりやすかった。綾波もニアも本来は何よりも大切であったはずのものを持ち合わせず、空洞や虚構を有す設計のいわば空っぽのキャラクターである。思い出をさかのぼると、私にとってそういうキャラクター達はその空洞めがけてダッチワイフやオナホのように、あるいはサンドバックのように自分の扱いきれない感情の全てを投げ込んでしまえた。なんとなく罪悪感も少なく済んだし言い訳がしやすく、つまりは都合がよかったのだ。私が個人的に設計の段階で空洞や虚構を有しているコンテンツに惹かれまくるのはそういうことなのかもしれないと思った。そういえば、どハマりしたボーカロイドもそうではないか。強めの寒気がした。

 前回、私は身体目当てでVを推しているに過ぎないと冗談っぽく書いては見たが、冗談では済まないような生々しさを書きながら感じた。今はVtuberの厄介オタクを名乗ってこそいるが、私は単に都合の良い心のオナホをずっと探しているのかもしれない。

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