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2年契約説を一旦信じることにした話

 2年契約説という言葉がある。きっと、それに該当するデビュー2年未満の推しを持つ者にとって、この言葉は遅効性の毒みたいに、背負った時限爆弾みたいに機能することになる。何を隠そう今も昔も私はその1人である。そして私はこの2年契約説を信じてみることにした。
 
 私はVtuberの厄介オタクをやっている者であるが、とある大手Vtuber事務所所属のライバーを推す者の間でまことしやかに語られる2年契約説という言葉がある。これは2周年を節目に卒業するライバーが複数見受けられ、マネジメント契約的なやつが2年契約でその節目が活動の途切れ目になるのではないかと推測するものである。関係者でない以上、推測の域を出ないと言えば出ないが、なんとなく言われてみればそんな気がして、確かめきれないから時に真実以上の重みをもつことがある。2年目ぴったりとか、1周年とかそういうキリの良いタイミングで旅立つ推しを見送る際、大人の事情なのかなと脳裏にへばりついて物寂しさに拍車をかけるあの感覚を知っている者も少なくはないだろう。

 ベースが商業なのだから、大人の事情にダダをこねるつもりはないが、確認の使用がない事実というのは、どうも憶測ばかり先走って、脳内を埋め尽くしたり、身動きが取れないほど重たくなってしまったりする。一旦こうなると、そういった見えない裏方の部分の恩恵でもってエンターテイメントを受け取る側として無邪気に都合よく笑顔でいた代償をツケで一括払いしたような気になることには変わりないではないか。
 
 冒頭でも述べたように私は2年契約説を信じてみることにした。良し悪しとか、真偽を明らかにする論争に参加しようとかではなくて、シンプルに自分もてる推し活に2年契約説を目安として活用することで、道しるべを設置したといった具合である。ゴールの無いマラソンを走り続ける自信はないが、1kmぐらいなら走れるかもしれないといった調子で、一旦2年で辞めると仮定してそれまでに自分ができることで推してみようと思ったのだ。目下、推し活はゴールの無いマラソンのような心象風景を幾度となく見せつけてくれやがることがあって、そのたびに私の心は弱いのですぐに音を上げることを繰り返しているから、その改善の一手にならないかと期待したのだ。

 仕事辛いけどボーナスまでは頑張ろうの心理で、なんとなく具体的な全貌や区切りが見えるとリソースの配分が少しだけ上手く行く気がした。仮に2年契約説なんて嘘さと思いこんで推しが2年ピッタリで卒業してしまった場合の後悔は計り知れないわけだから、それなら2年で推しが旅立った後残る悔いを2年ベースで考えれば減らしていける気がした。とかいいつつ、本当の契約は半年とか1年とかで、不意の卒業に涙する可能性も大きいわけだから、気紛らわしというか、気休めの一種だと思っている。

 愛を糧に今を夢中で走り抜けることが出来ればそれ以上のことはないが、私に限ってはそうでない以上、いつかくる終わりが見えない途方もないこの推す旅路というのが、心労になるタイミングは人より早いのかもしれない。途方の無さが息苦しいなら勝手に区切ればよい。2年とか、今年とか、今月とか、今週とか。今日だけとか、3分だけとかでもいいから、自分の手中に収まるスケールに区切って推すことを考えはじめたのだ。

 きっと、人それぞれに器があって、推しの全てを時間も全部込みで押し切れる猛者もいれば、私のような器の至極小さいのも居る。2周年で推しはいなくなると仮定して、その2年を細切れに細切れにした一片一片の中であれば、途方の無さに立ち尽くすような日陰者であっても、ひょっとすると瞬間最大風速じゃ胸を張れるぐらいの感情に出会えるかもしれないではないか。そして、2年過ぎたあとも推しが存在してくれていたとしたら、少なくとも今よりちゃんと推せるような気がした。

 心根が弱く膨大なものを前に臆する性格を持っていると今を生きろと言われたりする。今を生きるその方法というのも、きっと人それぞれに適正があって、無理にありのままを真正面から受け止めようとして心を砕くより、咀嚼できる大きさまでカットして1つ1つを噛みしめる方法の方が私にとってのそれなのかもしれない。

 推せるうちに推せという言葉もある。最近、私の脳内では2年から推しの2年に満たない活動歴を引いた年月を目安にさらに区切った推し活予定の立案と執行計画が動きだそうとしている。もちろん2年たって後も居てくれたら、追加でもうあと2年分の計画を考えるつもりでいて、その後もそれの繰り返しであることを祈っている。

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