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【随筆】【文学】善蔵を思う(一)

 葛西善蔵(1887年~1928年)の文学碑が北海道にある?しかも芦別に?何故?と、ずっと不思議に思っていたのだが、私が知らなかっただけで、善蔵には北海道を舞台にした作品がちゃんとあるのだ。「雪をんな」がそれで、「私小説の極北」のように言われる善蔵の作品世界にあって、一篇の散文詩のような味わいのある、幻想的な佳品だ。

葛西善蔵

 で、ある日のこと、いつものようにふらふらと行ってみた。随分前のことなので様子は変わっているかもしれない。
 国道38号線沿いに空知川を遡り芦別市街地へ。そこから約13キロ、道道旭川芦別線沿いに空知川支流パンケホロナイ川を遡り新城の集落へ。そこからさらに約5キロ、舗装道路からデコボコ道に変わり、細いトンネルのような林道を抜けると、中くらいの大きさの滝があらわれる。車を降りると、滝の周りの空気はひんやりと冷たく、鬱蒼とした国有林地内は昼なお薄暗い。ここが夫婦滝公園だ。
 映画のロケハンならここ、どう考えても心中現場だろうなどと穏やかならざることを考えつつ辺りを見回すと、心中ではなさそうな和やかなカップルを乗せた車がやって来た。夫婦滝と言うくらいだし、地元ではちょっとしたデートスポットなのかもしれない。滝をバックに記念撮影するカップルの反対側、少し離れた一隅に「雪をんな文学記念碑」が建っている。うっかりすると見逃しそうなくらいひっそりと。

 ……積もった雪は股を埋めた。吹雪は闇に
 怒り、吠え狂った。そしてまたゲラゲラと笑った。
 「どうぞお願いでございます。ちょっとの間
 この子を抱いてやって下さい」
 この時、この世ならぬ美しさの真白な姿の
 雪をんなは、細い声をしてこう言って自分に
 取りすがった……

雪をんな
雪をんな文学記念碑

 新婚の身重の妻を捨てて北海道に渡り、放浪の末、山奥の木材伐採場で働いていた男が望郷の念に駆られる。妻子の元へ帰ろうと、吹雪の山道を急ぐ男は雪女に出会う。雪女は子どもを抱くよう男に乞うが、男はそれを拒む。子どもを抱くと、その場で死に絶えてしまうという言い伝えがあるためだ。雪女の懇願を拒絶した男は、結局、妻子の元に戻ることはなく、永久に極寒の地を彷徨い続けることを運命付けられる――。「雪をんな」はそんな物語だ。
 津軽出身の善蔵が実際に北海道を放浪したのは17、18歳の頃。岩見沢駅で車掌をした後、行商、砂金人夫などの仕事を転々、1904年冬、叔父を頼って芦別市新城の山中、御料地での枕木伐採事業に携わった。その後、哲学館大学(現東洋大学)に入学、結婚は1908年、22歳の時で、郷里で簡単な式をすませると、半月後には新妻を残して単身上京する。「雪をんな」執筆は1914年(発表は3年後)、ちょうど妻が次女を身ごもっていた頃だという。出世作にして私小説の金字塔「子をつれて」(1918年)で世に認められる前のことだ。
 自己の罪悪感の象徴としての雪女(=妻)、その願い、子どもの抱擁を拒む(=情愛の世界を断つ)ことで、小市民的な安寧の中に“死に絶える”道ではなく、永遠のさすらい人(=芸術家)としての艱難辛苦の生を選ぶという苦渋の決意表明――十代の頃の過酷な労働、放浪体験という<事実>を素材に、作家としての出立に苦戦していた当時の内的な<真実> を再構成した作品――「雪をんな」は、そんな風にみることができるかもしれない。
 さらに、善蔵は「雪をんな(ニ)」という続編にあたる作品を発表している。前作発表から7年後、善蔵の没年の3年前にあたる。北海道を放浪し続ける「私」を再び語り手に、善蔵作品の中では突出して虚構性の強い「雪をんな」、その成立の事情を読者に解き明かすかのような体裁をとりながら、当時の作風である徹底した自己暴露とはほど遠い、それ自体が模糊とした虚構性に包まれた、前作に輪をかけて不思議な作品となっている。「メタ小説」のような趣きもある。
ここでは雪女の存在について、「私は何時も雪をんなと一緒に暮らしていた」と述べられ、私と雪女は、湖のような内海(噴火湾?)でしばしば釣りを楽しんだといい、さらに雪女の形象は、「カトリックの尼さんのAさん」に変奏する。私はその尼さんに救われ、神について教えられた……。
 何か、自身の内奥の最もデリケートな部分に触れるかのような韜晦ぶりである。正続の「雪をんな」について、鎌田慧が、<聖女>の形象が描かれた唯一の作品と指摘している点は大変興味深い。晩年に近かった善蔵が、自らの青春期の北海道体験を回顧し、その意味の核心としたもの……。“虚構の二重構造”という技巧の霧の中に、<祈り>を晦ませているようにも感じる。

 と、善蔵のことを大して知りもしないくせに、さも分ったような口を叩いてしまったが、善蔵なら許してくれるだろう、きっと。

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