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毒親と山田よねというキャラクター

現在放送中の朝ドラ「虎に翼」の中のキャラクター山田よねについて共感する部分が大いにあったので備忘録を書いている。

女子にしては短い髪。女性性を意図的に排除した服装。つんけんとした、つれない態度。第一の感想は「私だ」だった。典型的な自己投影だが、共通すると言える根拠をいくつか見つけたので順序立てて紐解いてみる

1.常に刺々しい雰囲気
この時代の毒親と今の毒親を比べてみるのもおかしな話だが、毒親の影響で人間不信に陥り、人を全く信用しない固い態度を保持するというのはある程度毒親育ちに共通する傾向なのではないか。実際、ポール・タフ「私たちは子どもに何ができるか」でも通常より親が不安定な環境で育った子どもは他人に攻撃性を発揮し問題児となる傾向があるという。同じく、Netflixドラマハートブレイクハイでもハーパーというキャラクターは、親のアルコール依存症が悪化する頃から学校内で問題を起こすようになる。私も同様、親の暴れ方がひどかった高校時代は特に学校に対する反抗心が強かった。学校に行っても疲弊し、家に帰っても休めず誰も助けてくれない、何も信じられないという怒りを抑えることが難しく、問題のある行動をしがちだった。勿論誰もがこうなるわけではない。怒りが内向きに行く人は「自分が駄目なんだ…」と自殺をしてしまうだろう。私や山田よねはその怒りが外方向に行くタイプだったということだ。日々過酷な環境で生きているとのほほんと生きているように見える同級生たちが羨ましく、妬ましく見えて日々一人で戦ってきている自分には呑気に見えたのだ。そうした「ふつう」へのあこがれや妬み、権威への怒りが常にあって刺々しい雰囲気、イライラを放つことをやめられないのだ。

2.学校での孤立
常に殺気立った雰囲気でいて級友が寄り付くはずもなく、当然友達はできない。仮に近づいてくる人がいたとしても基本的に人が信用できないので「こいつは何を私から得ようとしているんだ」という妄想的思考になってしまう。家の中で親に接近されるときに得てして親の承認と引き換えに何かを搾取されてきたからだ。毒親育ちにとって他者との関係性というのは常に取引関係として記憶され、メリットが得られそうにない関係性を築くことにメリットを感じない、もしくはメリットがありそうと感じる関係性以外構築しようとしない。だから必要性を感じない限りは人間関係を基本的に遮断する傾向にある。なぜなら親としての権力をかざし、恐怖に陥れられてきたせいで「人間=こわい」という間違った図式も描くようになっているからだ。根底に人というものに対する恐怖があるため、もちろん自分から積極的に近づいて関わろうというモチベーションも発生しない。先に挙げたNetflixドラマ、ハートブレイクハイでもハーパーは問題行動やその近寄りがたい雰囲気により学校で孤立するようになる。

3.性別性を意図的に排除した服装
作中で山田よねが女性らしい服装を止めた理由として「親に大事にされない性別として女性性を認識するようになったこと」「性被害に遭ったこと」が挙げられているが私はそれだけでなく「自分という存在に対する自己嫌悪」が「嫌いな自分を構成する要素としての自分の性別への侮蔑」に発展したことも原因の一つではないかと推測する。私も女性らしい服を着ることを嫌うタイプだ。それは「認めたくない自分」という存在の中にある「女性性」も認めたくないという気持ちに確かに基づいていると感じる。Twitterの毒親界隈というかTwitterに非常に多かった毒親育ちもなぜかはよくわからないが他の界隈に比べ「女装をしたい」「ネナベをしたい」という層が異様に多かった。これは単に「自分ではない何かになりたい」という欲求の発露なのかもしれないがそれにしても母数が他の界隈に比べて多かったので「自分とは違う(性別)になりたい」という欲求が自己否定から派生するという仮説は簡単に否定できるものではないと思う。先程引用したNetflixドラマのハートブレイクハイでも同様にハーパーは毒親の荒れ方がひどくなってから髪を剃り、丸坊主のスタイルで登校するようになった。

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