2020年 勝手にベストシスターフッド賞
※この記事には一部ネタバレが含まれます
10年代を置いてゆけ-全てが終結し新しいディケイドへ-
2008年から始まったMCUのフェーズ3完結、2011年に始まった『ゲーム・オブ・スローンズ』の完結、そして1977年から続いた『スター・ウォーズ』シリーズ スカイウォーカー・サーガの完結。2010年代の私たちの歓楽欲を十分に満たしてくれたこれらの”物語”の時代が終わり、誰も予期できぬ未知の10年間”ディケイド”が始まった。
その新たな時代の幕開けは、”シスターフッド(Sisterhood)”と共にあったと私は思う。シスターフッドとは、女性同士や姉妹関係の連帯を表す言葉。今年はハリウッドを中心として、そのテーマを扱った映画やドラマなどの作品が日本でも劇場公開やサブスクリプション配信されることが目立つ年となった。
本記事では、今年日本公開または配信された映画・ドラマの中で、シスターフッド的要素が扱われた作品を各部門それぞれ3作に厳選して紹介、解説する。
そもそもシスターフッドとは
2017年の#MeToo運動によって顕著化されはじめた現象で...と前置きをしてしまうとなんだか堅苦しい政治的な話なんでしょ?と思ってしまうかもしれないが、簡単にいうと「女性が主人公であることが当たり前になり始めた」だけのことなのだ。しかしハリウッド映画においては、確かに#MeToo運動がターニングポイントであったことは否めない。もし2016年公開の、オリジナルキャラクターを女性に置き換えたリブート版『ゴーストバスターズ』がもう少し遅く製作、公開されていれば評価は違ったかもしれない。
2020年の現在、"シスター"たちはハンマーを振りかざして子供を救うし、スパイになって世界だって守るし、母として父権社会に争うし、卒業式前夜にパーティーにだって行く。フィクションの中では。(卒業式前夜にパーティーは行けるかもしれない)
<映画部門>
最高裁判事を夢見る生徒会長のモリーと、アフリカでボランティア予定のエイミーは、高校生活の全てを学業に捧げきた。しかし遊んでばかりだと見下してきたジョックスや他の同級生たちは、自分たちよりもハイレベルな進路を勝ち取っている事実を卒業式前日に知ってしまう。そして2人は一晩で4年間分の青春を取り戻そうと、呼ばれてもいない卒業パーティに乗り込むのだが......
ハリウッド俳優であるオリヴィア・ワイルド初の長編監督作品!ダブル主演のビーニー・フェルドスタインとケイトリン・デヴァーは見事にヲタクを演じ切り、物語をテンポよく転がしてゆく。どんなストーリーにも悪役は存在するが、ここには誰ひとりとしてそうではない。モリーが密かに思いを寄せていたジョックスの青年は実は優しくヲタクな一面があったり、クラスに1人はいるお金持ちの彼は全然傲慢じゃない。少し嫌味なカースト上位の女子生徒には帰りに車で送ってもらったりと、本作はキャラクターのステレオタイプをぶち壊してゆく。その人のパーソナリティと知性を切り離し、そこに存在する多様性にわざわざ言及しないのは、もう当たり前になってきているのだ。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』
マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインが、最愛のジョーカーと破局。ジョーカーという”後ろ盾”があったためにお咎めなかった殺意が、一気に彼女に集中し、命を狙われる羽目に。しかしそれは同時に束縛からの解放を意味する。ハーレイはブラックマスクと対峙するために即席でチームを結成(する羽目になり)、ヴィランVSヴィランの戦いに挑む。
ムチャクチャな性格でバラバラな女性達たちによって組まれた最凶チーム。その目的は、ただブラックマスクを倒すためだけ。無駄にベタベタと仲良くしたりじゃれ合うことはない。「キライなあの女とも、これ対しては意見が同じだから、横に並んで一緒に戦う」シスターフッドのストーリーテリングのパワーはここにあり、まさにこの作品はそれを体現している。
結婚、そして出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるキム・ジヨン。忙しいながらも平凡な日々を送っていた彼女だが、時々意識が朦朧とし、記憶が曖昧になるようになった。介抱する夫デヒョンは、他人が憑依したかのようなジヨンの姿を目の当たりにする。デヒョンはその様子を本人に打ち明けることを恐れ、妻の症状を精神科医に相談しに行くのだが......
『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチョン・ユミとコン・ユの3度目の共演となった本作。国は違えど女性を取り巻く社会環境は日本も同じで、彼女が受ける様々な差別を、観客はストーリーを追うごとに突きつけられる。韓国の作家チョ・ナムジュの同タイトルの小説を原作としているが、そこにあるのはフィクションなんかではなく、現実だ。だからこそジヨンの閉塞感に満ちた日常は多くの人の共感を掴む。そしてそのジヨンの怒りを、私たちは現実社会にぶつけ、変革を起こさなければならない。それによってこの映画は、キム・ジヨンと、画面のこちら側の観客によって成り立つシスターフッド映画なのではないか。必要なのは、共感ではなく行動だ。そんなふうに監督に言われているような感覚を覚える作品。
<ドラマ部門>
セックスセラピストである母の影響で、性の知識だけは豊富な童貞高校生・オーティスが、フェミニストで学業も優秀であるのに、校内では尻軽と勝手にレッテルを貼られてしまっているメイヴと共に学校で密かにセックスクリニックを開くことから始まったシーズン1。続くシーズン2では、校内でクラミジア騒動が広まったことで学校の性教育の欠陥が浮き彫りになり、オーティスの母・ジーンが校内でセックスカウンセラーに任命されてしまう。メイヴの復学、アダムの退学、エミリーが痴漢被害を受けるなど、オーティスの周りでは事件が次々と巻き起こり......
オーティスを中心として物語が進められた前シーズンだったが、シーズン2では新キャラや教師、彼ら/彼女らの親を含めた大人達の抱える問題にもスポットライトが当てられた。ジーンが生徒の1人とのカウンセリングの中で、
”Sexuality is fluid.”(性とは流動的なものよ)
というセリフがある。『セックス・エデュケーション』が我々に提示する前提、つまりこれから当たり前にしていかなければいけない考え方は、全てこの一言なのかもしれない。それを裏付けるようにキャラクターの多様性は他の作品と比較してもとても進歩的だ。その中でも特に今回はエイミーに注目すべきだろう。彼女は第3話でバスに乗車中、見知らぬ男性に体液をかけられてしまう。メイヴがそれを発見し、2人で警察に向かう。その後エイミーは様々なシチュエーションでその犯人がフラッシュバックし、バスに乗ることはおろか、彼氏とまともにスキンシップを取ることすらできなくなってしまった。第7話、女子生徒たちが女性教師に対する卑猥な落書きをしたとして、バックグラウンドも趣味趣向もまるで違う6人が居残りをさせられる。その中にエイミーとメイヴはいた。『ブレックファスト・クラブ』では女性の役割はヲタクかマドンナだけであったのに対し、この空間にはそんなラベルはどこにも存在しない。彼女らに突き出された課題は「女性としての共通点を見つけること」。バラバラの彼女らはなぜか喧嘩腰だし、すぐに意見が食い違う。
”Stop fighting over a stupid boy!”(男なんかのためにケンカしないで)
オーティスの事で喧嘩を始めたオーラとメイヴに対してそう叫び、目を赤くして泣いてしまうエイミー。彼女はバスに乗れなくなったことをみんなに打ち明けると、他のメンバーも同じような体験があることを明かす。協調性のなかった彼女らは、全員が男性から同意無く性的アプローチをされた経験があることを打ち明けたことによって連帯感を増す。その帰り道にはみんなんでジャンクヤードへ行き、不満をぶちまけながらバットやハンマーで物をぶち壊し、次の日にはみんなでバスに乗って登校をするエンディング。このエイミーのエピソードは本作の脚本家ローリー・ナンの実体験を元にしているという。
10月に配信されてから間も無く世界中で話題となったこの作品。Netflixオリジナルシリーズの本作品は、アニャ・テイラー・ジョイ演じるベス・ハーモンが幼少期からの薬物依存を乗り越えて、世界一のチェスプレイヤーへと成長していく物語。
第1話の冒頭にはチェスの試合に遅刻するベスのシーンがあったのち、その後は丸々幼少期の孤児院での回想でまとめられている。ジャンキーなアニャを拝めるには2話まで待たなくてはならないが、シスターフッドドラマとして重要なのは、孤児院で長らく一緒に育ち、ベスが唯一打ち解けた少女ジョリーンの存在である。物語終盤、チェスプレイヤーとして名声を十分に築き上げたにもかかわらず、その他の事全てがどん底の状態に陥ったベスが唯一涙を見せたのは、ジョリーンだけだった。本作はあくまでチェスの物語として構成されているが、アタマとケツの重要なところで”シスター”を登場させることで見事な”シスターフッドサンド”が成り立っている。
アメリカの南部に位置する由緒正しきクリスチャンの高校に通うウェスレイ姉妹。婚前交渉が禁止させた宗教的環境の中2人は育ち、第1話の冒頭でマディー・フィリップス演じるスターリングは車内で処女を捨てる。姉妹のブレアと夜な夜な車で帰宅途中、偶然にも逃亡犯の車に衝突。逃亡犯を捕まえることはできたが、こっそり借りていた父親の車が破損。その修理代を貯めるためなくなく賞金稼ぎになることを決める2人だったが......
賞金稼ぎのバディアクションかと思えば、この2人はめちゃくちゃ恋をします。というよりも、そこが芯である。『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』で有名なジェンジ・コーハンが制作総指揮を務め、キリスト教文化の強い地域でセクシャルマイノリティと生きることの葛藤を巧みに浮き彫りにしている。姉妹の世話をする羽目になってしまった黒人の先輩賞金稼ぎバウザーと姉妹の掛け合いはとても軽快で思わずクスッと笑ってしまうが、ブラック・ライヴス・マターとしてのメッセージがセリフに乗せられることもしばしば。正統なコメディでありつつも、そこに広がっているのはアメリカの社会問題の縮図だ。
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