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どらいぶ

 幼馴染がやって来た。やって来たと言っても、同じマンションの中に住んでいるのだから、歩くにも数えられないくらいの距離をやって来たに過ぎない。彼女は一階で、わたしのうちは二階。
「取った」と、彼女はなにかカードのようなものを掲げて見せている。
「なに?それ?」と言う自分の声にあまりにも生気が無いのに驚いたのだけれど、それは気取られないようにクールを装う。「万引き、ダメ絶対」
「ダメ絶対」と、彼女も復唱する。「いや、盗んだんじゃないよ。取ったの、免許。車の運転免許」そう言いながら、彼女はそれをこちらに突き出して見せた。
「すっごいブス」
「うるさい。写真映りが悪いだけだよ」
 だいたい彼女は写真に取られるときにはいつも半目になる。今回はギリギリだ。
 その日、わたしは失意のどん底にいた。語りたくもないから語らないけど、とにかくどん底。深い井戸の底で、光がまったく見えない感じ。自分がそうやって起き上がり、彼女と言葉を交わしているということ自体が奇跡と言っても過言ではないだろう。別に夢だったオーディションに落ちたとか、子どものころから目指していたオリンピックの夢が挫かれたとか、そういうことではない。まあ、平たく言えば愛とか恋とかだ。あまり多くは語らない。
「ドライブ、行こう」
「え?」
「車、ドライブ」
「いや、それはわかるけど、免許取り立てでしょ?」
「うん」しか彼女は答えなかったけど、「だから?」と顔に書いてある。
「危なくない?」
「大丈夫」と胸を張る。「一度も事故を起したことなんてないよ」
「誰だって、初めて事故を起すまでは一度も事故を起したことが無い人だよ」
「は?」
 正直、わたしと彼女はあまり気が合わないのだと思う。幼稚園から小中高とずっと同じだったわけだけど、わたしたちがいつも一緒にいたのは同じマンションに住んでいるからであり、小学生の頃なんかは夏休み中一緒に遊んでいたけど、中学くらいからはそれぞれ別の友だちとの付き合いが増えていった。彼女はクラスの中心みたいなちょっと派手な仲間たち。中学の卒業文集で「将来大きなことをしそうな人」で一位になるのが彼女。わたしはどちらかと言うと図書室が主な生息地です、みたいな友達たちと。同じ卒業文集で「影が薄い人」で三位に食い込むのがわたし。高校になることには、ほとんど会話もしてなかったんじゃないかと思う。おそらく、互いにどう接すればいいのかがわからなくなっていたんだと思う。親友、では決してないし、赤の他人みたいな顔もできない。難しい距離感。それが、彼女が専門学校、わたしが大学と、別々になることで、なんだか少しずつ交流が増えて行っていた。
 で、免許を見せびらかしに来たりするし、ドライブに連れ出されたりもする。
 わたしは助手席に収まり、神様か仏さまに祈る。どっちにも祈ろう。この世に存在するありとあらゆる神に祈る。「どうか無事に帰ってこられますように」
「どした?具合悪い?」と彼女。
「いや、大丈夫」
 彼女のそそっかしいのは長年の付き合いでわかっているのだ。きっと、大変なことになる。
「どこ行くの?」
「こういう場合、海っしょ」
「遠くない?」
「車ならいけるでしょ」楽天的な彼女に不安になる。彼女がアクセルを踏む。ウインカーカチカチ、ゆっくりブレーキ。意外なことに、ちゃんと運転している。
「え?高速?」
「大丈夫だから」
 そして、無事に海に着いた。春先の海に人はまばらで、海から吹いてくる強い風が耳元でごうごう鳴る。わたしたちは波打ち際まで行って、波に追われてキャーキャー声をあげる。
「なんか叫べば?」と彼女。
「なんで?」
「なんとなく」
「なんて叫ぶの?」
「バカヤロー、とか?こういう場合」
「バカヤロー!」と、わたしは海のかなたに向かって叫んだ。犬の散歩をしている人が振り向いた。彼女が手を叩いて笑っている。そんな彼女を見ていて、わたしはふと思った。もしかしたら、彼女は知っていたんじゃないか。わたしが落ち込んでいることを。それで、ドライブに連れ出して、海に来たんじゃないか。なんだかんだわたしと彼女は幼馴染で、それでわたしの心配をしてくれていたんじゃないか。確かに、いい気分転換になった。わたしは空を仰ぎ、体を伸ばした。
「ありがとうね」と、わたしは言った。「ありがとう」
「は?」と彼女。「なにが?」
「なにが?って気分転換。気分転換に連れてきてくれたんでしょ?」
「は?なんの気分?」
「わたしの」
「どんな?」
「どんなって」と言って、なにかがおかしいことに気づいた。「違うの?」
「いや、練習だよ。運転の」
「なんでわたし?」
「いや、あんたなら、もし一緒に死んじゃってもいいかなって」
「いや、良くないよ」
「他の人じゃかわいそうじゃん」
「わたしでもかわいそうでしょ」
「あんたのママも許してくれそうだし」
「いや、許さないでしょ」
 拍子抜けして、体から力が抜けた。彼女がニヤニヤしながらわたしの顔を覗き込む。
「ひょっとして、フラれた?」
 わたしは無視する。
「で、気分転換にドライブに誘われたと思ったの?」
 無視。
「自意識過剰ー。だからフラれるんだよ」
「殺す!」
「こわー!」
 そして、砂浜でわたしたちは追いかけっこをして、わたしはクタクタになって、帰りの半分くらいは助手席で眠りこけていた。目を覚ました時には、マンションの駐車場だった。
「着いた?」
「生きてたね」と、彼女はニヤリと笑った。「生きてりゃ次の恋もある」
「そうだね」と、わたしも笑った。
「次の次も、次の次の次も」
「わたし、どんだけフラれんの?」

No.499


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