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ふたご座の彼女

 ぼくがいまよりももう少し若かった頃の話だ。
 その頃のぼくは、いまよりも世間知らずで、いまよりも無謀で、いまよりも人の痛みに鈍感だった。歳を重ねることで得るものもあれば、失うものもある。おそらく、差し引きはゼロなのに違いない。そして、その頃のぼくはいまのぼくと同じように愚かだった。だいたいにおいて、人の愚かさとは変わらないものだ。歳を重ねようとも。
 その頃、ぼくはふたりの女の子に恋をしていた。こう言葉にしてみると、とても不埒なことのように聞こえる。実際そうなのかもしれない。しかしながら、当時のぼくはそう感じていなかった。
 その女の子ふたりは双子だった。瓜二つの一卵性双生児、服装の好みや、髪型も同じ、同じ人物がふたりいるような感じだった。性格も、好きな音楽も、嫌いな食べ物も、何から何まで同じだった。本当に何から何まで。育ってきた環境が一緒だからというのはあるにしても、それほどまでに何から何まで同じなんてのは驚くべきことだとぼくには思われた。
「だって、君は一人っ子だから」と、彼女たちのどちらかは言った。確かにぼくは一人っ子だ。「だからわからないんだよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」と言われても、ぼくは半信半疑だった。世の双子がみんなそんなに何から何まで同じなんてことはないだろう。とはいえ、ぼくは片割れを持たない一人っ子だから、それについては憶測の域を出ることはできないのだけれど。
 そして、これは別に関係のないことだけれど、ふたりはふたご座だった。ふたご座の双子。それが彼女たちだった。
 彼女たちふたりが揃ってぼくの前に現れることはなかった。ぼくはそれぞれ全く別の場所で知り合った。最初に彼女たちのどちらかと知り合い、そしてそれからもうひとりの方と知り合ったのだ。もちろん、あとから知り合った方とは少し話が食い違うことになる。ぼくはそれが一度会ったことのある相手だと思っているのだけれど、相手の彼女は初対面なのだ。こちらと目が合っても知らんぷり、話しかけてもなんだか反応が薄い。忘れられてしまうほどの印象しか残っていなかったのかと、ぼくは少し傷付いた。ぼくはそんな風に傷付いたけれど、彼女たちはそういう齟齬には慣れているのだろう。
「たぶん、君が会ったのはわたしの双子の片割れだね」
「双子?」
「そう、双子なの」
 ぼくは彼女のそれこそ頭のてっぺんからつま先まで見た。以前に会った彼女と全く同じだった。
「別人?」
「そう」
「同じだ」
「でも、中身は違う」
 そんな感じで、まるでぼくはひとりの女の子に恋をしているみたいだったのだ。ぼくはすぐにどちらがどちらかを判別するのを諦めた。それは不可能に近かったし、なによりどちらもとても魅力的な女の子だったのだ。
 もちろん、不便もある。どちらかに話した内容や、一緒に体験したことを、もう片方は知らない。ぼくはどちらがどちらか判別できないので、うっかり彼女たちのどちらかと話したことや、体験したことを、別の片方に話してしまうことが何度となくあった。そのたびに、彼女たちは不機嫌になった。
「それ、わたしじゃない」
「ごめん」
「別にいいけど」と言ったきり、話しかけても答えてくれなくなった。
 彼女たちがぼくのことをどう思っていたのかはわからない。もしかしたら、ふたりでぼくのことをからかっていた可能性もある。いや、その可能性大だ。ふたりはお互いがぼくに会っていることは知っていた。もしもぼくに好意を持っていたとしたら、もう少しそれについて話し合う必要が出て来たはずだ。しかしながら、そういうことはなかった。もしかしたら、そういうことが起きたのかもしれなけれど、その前に全ては終わってしまった。何事もそうだろうけど、終わりはいつも突然だ。
 双子のどちらかが、事故にあって死んだのだ。終わりはいつも突然だ。それを教えてくれたのは、死ななかった方の彼女だ。
「彼女は死んだの」と、全てが終わってから彼女は言った。
「君はひとりになってしまったの?」と、ぼくは尋ねた。
「そう、ひとり」と、彼女は答えた。「でも、いつだってひとりだった」
 それから、彼女とは連絡が取れなくなった。
 そしてたぶん、もう二度と会うことも無いのだろう。

No.390

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