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巨人のいる風景

 頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めていると、巨人が歩いていた。今朝の予報には巨人が出るなんてのは無かったから、もしかしたら急に進路を変えたのかもしれない。そんなことはよくあることだし、驚くようなことではないけれど。
 わたしはそのまま巨人を見ていた。よく晴れた春の日、席替えで窓際の席になってからというもの、授業中はついつい窓の外を眺めてしまう。今度の定期テストではきっと壊滅的な点数を取ることになるだろう。まあ、いまだって胸を張れるような点数じゃないけれど。そんな悪い予感があってもなお、わたしはぼんやりと外を眺めている。それが、巨人がいるとなるとなおさらだ。巨人は雲をなびかせながら、ゆっくり、ゆっくりと歩みを進めている。一歩一歩確かめるような感じで。わたしのいる学校から巨人まではどのくらい離れているだろう。たぶん、ものすごく離れているのだと思う。巨人はそれこそ天を衝くように大きく、雲よりも背が高いこともあるくらいだ。その姿が見えても、ほとんどの場合ものすごく離れたところにいる。そして、巨人が歩くのはゆっくりだから、急に方向転換してこちらに向かってきたとしても、逃げるのは簡単だ。むしろ、こっちに来て、学校をぺしゃんこにしてくれれば、もしかしたら定期テストもなくなるかもしれないし、そんな混乱状態じゃ壊滅的な点を取ったとしてもしかたがないと言い訳できるかもしれない。
 うしろの席の友だちがわたしの背中をつつく。最初はなにか気のせいかと思ったけど、間違いなくわたしの背中をつついている。お互いにイタズラを仕掛け合うような仲の友だちだから、なにか悪ふざけに違いないと思って無視していたら小声で囁かれた。
「あてられてるよ」
「え?」
「こら」と、教壇の上で先生がこちらを見ている。「ちゃんと聞いてなきゃだめだろ。窓の外ばかり見てちゃ」
「すいません」教室に忍び笑い。「でも」
「ん?」
「巨人が」
「なんだって?」教室がざわつく。立ち上がって窓の外を見る子もいる。先生は顔色を変え、窓のところまで行って外を見る。「なんだ、かなり遠いじゃないか。ほら、授業授業。テスト近いぞ」
 そして、授業は再開され、わたしは教科書に目を落とすのだけれど、窓の外を眺めたい誘惑と必死に闘っている。巨人が歩いている。とても遠くでだけれど。
 巨人があらわれた一番最初の時には、世の中が大パニックに陥ったのを覚えている。わたしはまだ幼稚園くらいだったと思うけど、連日連夜テレビはそのことを報じていた。遠くから撮影された巨人の姿、巨人の足跡、それはサッカー場くらいの面積だとリポーターは言ってたっけ、そして、その足に家や、職場、生活している場所が踏み潰された人々の姿。突然日常を奪われた人たちは深い悲しみに沈んでいたし、その理不尽に憤ってもいた。
 その原因となった巨人について、人々は知ろうとした。たぶん、当然だろう。できることなら、退治しようとした。少なくとも、わたしたち人類の住む場所にはやって来ないようにできないか、研究がされ、あれこれ対策が練られた。結果から言ってしまうと、どれも失敗に終わったのだ。巨人を退治することなんて夢のまた夢、かすり傷ひとつ負わせることもできないし、その進路を変えさせることもできない。巨人がなにを考え、どこに向かっているのかもわからない。人間や動物を捕まえて貪り食べるなんてことも無い。ただ、歩いているだけ。蟻が人間の考えることがきっとわからないのと同じように、その逆もたぶんわからないのだけど、巨人の考えることもわからない。とはいえ、ただ歩いているだけでも、その巨大な足に踏みつけられたら、ひとたまりもない。家も、車も、ぺしゃんこになってしまう。本当のぺしゃんこだ。車のタイヤに踏みつけられた空き缶みたいに、完全にぺしゃんこ。でも、巨人は歩くのがゆっくりだから、それに人が潰されることはない。巨人の出現とその進路はいつも監視されていて、ニュースのたびに予報が出る。とはいっても、予報通り巨人が歩くとは限らないけれど、それでも、歩みの遅いこともあって、誰も慌てるようなことはない。そして、人々は次第に巨人が歩いていることに慣れてしまった。慣れるほかなかったとも言える。だって、巨人を退治することは不可能だから。いまだって、巨人に住む場所や、働く場所が踏み潰されてぺしゃんこになれば、そこの人は悲しむだろうし、憤りもするだろうけれど、どこかで「しかたがないか」とも思うに違いない。「運が悪かった」そう思うと思う。わたしなら、そう思う。
 放課後になって、わたしは教室に忘れ物をしたのを思い出して、取りに戻った。わたしが好きだった男子と、女子が楽しそうに話してた。わたしの姿を見ると、ふたりとも黙り込んで、わたしをじっと見た。わたしは忘れ物を取ると、そそくさと教室をあとにした。ふたりがまた話し始め、笑い合っていた。窓の外では、巨人が歩いていた。もしかしたら、誰かの住む場所を踏み潰しながら。


No.487


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