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別料金

 男がドアを開き、レストランに入って来た。夜もかなり更けたころのことである。出迎えるウェイターはいない。もしかして、もう閉店してしまっているのだろうかと男は一瞬不安に駆られるが、それであればシャッターを閉めるなり、鍵を閉めるなりしているだろう。時刻が時刻だからか、店内にひとりも客はいない。男はひとつ息をつき、適当なテーブルを選び、勝手に椅子に腰掛けた。
 テーブルの上に置かれた、だいぶくたびれたメニューに目を通していると、ウェイターらしき人物がやって来て無言のまま水の注がれたコップを男の前に置いた。そしてため息を一つ。腰に手をあて、そのままそこに突っ立っている。
「注文、いいかな?」男がウェイターらしき人物に尋ねる。尋ねられたウェイターらしき人物は無言のまま小さく何度かうなずいた。
 男が注文を告げる間もウェイターらしき人物は仏頂面でそれを聞き、注文を取り終えると何も言わずに厨房の方へ行ってしまった。
 男は唖然としながらその後ろ姿を見送った。なんて態度の悪い店員だ。閑古鳥が鳴いているのもうなずける。時刻のせいなどではないのだろう。もう二度とこんな店には来るものか、と思う。
 しばらくするとウェイターらしき人物が料理を手にやって来て、男の前に無造作にそれを置いた。動作としては放り投げるに限りなく近い。食器が音を立てながらテーブルに置かれていく。男の目はウェイターらしき人物の指が皿の中に完全に入っているのを見逃さなかったし、乱暴に置いた拍子にスープがテーブルにこぼれたのも見逃さなかった。男は完全に頭に来てしまった。
「おい!なんだその態度は!失礼じゃないか!」男は怒鳴った。「ちゃんと聞いているのか?こっちは客だぞ!」
 ウェイターらしき人物は小指で耳をホジっている。
「馬鹿にするにも程がある!」男はウェイターらしき人物の胸ぐらを掴んだ。「責任者を呼べ!」
 騒ぎを聞き付け、呼ぶまでもなく責任者がやって来た。
「何?」責任者は男に尋ねた。「なんだよ、大きな声を出して」
「その態度だよ!」男は責任者に向かって人差し指を突き立てながら言った。「客に向かってその態度はなんだ?」
 責任者はため息をついた。「うちでは愛想は別料金になってるの」そう言ってメニューを指でトントンと叩いた。男がその部分をよく見てみると、確かにそう書いてある。
「別料金?」
「そう、別料金」
 男が財布を取り出し、メニューに書いてある金額を手渡すと、責任者もウェイターらしき人物も急に愛想が良くなり、ニコニコ笑い出した。男が食事を始めると、ウェイターはしきりに世話を焼きたがる。
「大切なお客様ですから」
 男が食事を終え、会計を済ますと、あめ玉を一つ手渡された。
「これはいくらなんだ?」
「それはサービスです」


No.610

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