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六人の母

 彼には六人の母がいた。
 彼には二本の腕と二本の足があり、頭は一つ、そこに一対の眼、耳、鼻と口が一つあった。一軒の家に住み、一台の車を所有し、二つの仕事を持ち、いくつかの顔を持っていた。
 そして、彼には六人の母がいた。それには複雑な理由があり、語って語れないこともないのだが、もしも本腰を入れて語るとなると、それには中々の時間がかかるし、本腰を入れて語らなければその事情の表層的な部分にしか理解はいたらず、それは何も語られないよりも悪い事態になることだろう。選択肢は二つしかないのだ。時間をかけ、すべてを語り、理解にいたる道を模索するか。それとも、何も知らないまま、それはそういうもの、彼には六人の母がいたのだと納得するか。
 彼に与えられた時間は有限であり、それは誰にとっても有限であり、たとえばその時間を細かく分割していって、それは無限に切り分けることが可能ではないか、なんて言うのはよそう。それが正しくとも、彼には有限の時間しかなく、それは誰にとってもそうなのだ。込み入った話だし、聞いても大して面白くもなんともない。彼には六人の母がいた。それでいいではないか。
 彼は毎日母を訪ねる。母たちが来いと言うからだ。そうは言っても、六人全員を一日で訪ねるのは少し骨だ。彼女たちお互いは仲が悪く、それぞれ離れたところに住んでいた。誰もが息子である彼を独り占めしようとし、誰もが他の五人が息子である彼を独り占めしようとしていると疑っていた。だから、彼は六人の母たちに、一日一人の所にしか行くことができない旨を理解させ、順番に六人のもとを訪ねる、という取り決めにした。六人の母たちは六者六様の不平を口にしたが、そこは彼が、頑張った。本当は自分だって毎日全員と顔を会わせたい云々。となると、毎日自分の所にだけ来ればいい、と言い出す母もいて、というかみんなそう言うわけで、なかなか話はまとまらなかったのだが、どうにかこうにかそれで了承を得た。これにも込み入った話があるが、時間は有限である。そういうことでいいではないか。
 というわけで、彼は毎日母を訪ねるのだが、それは毎日違う母であり、六人の母がいるので、一日一人で六日かかるのだ。母のところで何をするかと言えば、たいていは説教及び自分がどれだけ息子のことを心配しているのかについてであり、爪を切れだとか、髪を切れだとか。風邪に気を付けろだとか、暗い所で本を読むな目が悪くなる、とかなわけだ。だいたい母とはそういうものである。そういうものでしょう?彼はそれに適当に相づちを打ちながら聞く。そうすると、聞いているのか、と怒られる。聞いているさ、と答えれば、じゃあ言ったことを言ってみろ、と言われ、なんとなしの答えを返すと、そらみろ聞いていない、とまた説教である。それは多少アリジゴクにも似ていたが、おそらく最も似ているのは彼の人生そのものだろう。
 七日目には、彼はガールフレンドに会う。とても美しくて、気立ての良いガールフレンドだ。それまでの六日でくたびれた彼は、ガールフレンドの運転する車の助手席で流れる景色をぼんやり見ている。
「ね、面白いでしょ?」と、ガールフレンドが言うのだが、彼は上の空である。なにしろそれまでの六日でクタクタなのだ。話を聞くだけの余裕がない。
「聞いてないでしょ?」ガールフレンドは言う。
「聞いているさ」と、彼は言う。
「じゃあ、どんな話をしていたか、ちょっと言ってみなさいよ」
 彼はため息をつく。
「なにため息ついてるのよ」と、ガールフレンドは不機嫌になった。
 彼はため息もつけない。

No.348

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