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往年のスター

 美しく通った鼻梁、物憂げな目つき、豊かで艷やかな髪、意志の強さを表すような顎、かつて、美男子の具現が彼であった。スクリーンに映し出された彼に世の女性たちは心奪われ、男たちは映画の中の彼のハードボイルドな振る舞いに感化されて、映画館を出ると肩で風切って歩いた。彼は紛れもないスターだった。それも一等星。夜空にまたたく星々の中でも燦然と輝く星、それが彼だった。
 スクリーンの中で、悪漢を投げ飛ばし、颯爽と美女を救い出す彼の姿は、フィルムの上には永遠にそのままの姿で留められるかもしれないが、時の流れは残酷である。シワが増え、髪も白くなる。抜群だったスタイルも崩れ、当然動きも鈍くなる。アクション映画はちとキツイ。もちろん、往年の輝きがすべて失われてしまうわけではない。熟成ともいえる部分はあるのかもしれない。しかしながら、彼に与えられる役割が変化していくという事実は否定できない。良くも悪くも、年相応のキャスティングがされるようになった。
 制作発表の日、その中央を占めるのは彼よりも若い役者、男前で、スタイルもいい。性格だって申し分ない。謙虚で、驕るところがない。主役はその若い役者だ。とはいえ、彼自身もそれは仕方のないことだとわかっている。長年その業界にいた彼である。それはそういうものなのだ。彼もまた、そうしてその座を奪ったのだから。それでも、彼の中に一抹の嫉妬が無いと言えば嘘になる。一度その座を手に入れたからこそ、その甘美な味わいも知っているのだ。そして、それはもう二度と取り戻すことはできないのだろう。誰も、もう自分には注目しないのだ。そう彼は思い始めていた。
「潮時なのかもしれないな」と、彼は呟く。「もう、潮時なのかもしれない」
「潮時って」と、彼のマネージャーが尋ねる。彼を長年支えてきたマネージャーだ。「なんの潮時なんです?」
 彼はマネージャーの顔を見、笑いを漏らす。その笑みを見て、マネージャーは胸騒ぎを覚える。彼は役者をやめてしまうのではないだろうか。そんな不安がよぎる。しかし、それでもいいのかもしれないとも思う。もう散々働いた。マネージャーはそれを間近で見てきたのだ。つらい仕事だってあった。売れてからも、全てが順風満帆だったわけではない。頂点を極めてしまえば、あとは堕ちるだけ。そして、多くの人もそれを見るのを望むものである。そうした視線にも散々さらされた。もういいじゃないか。ゆっくりと休んでもいいじゃないか。
 しかしながら、彼の頭にあったのは、別のことだった。
「拳銃を」と、彼はマネージャーに囁いた。「用意してくれないか?」
「拳銃?」マネージャーは生唾を飲み込む。「そんなもの、なんに使うんです?」
「次の撮影」と、彼は答えた。「実弾の入ったやつを」
 次の撮影は、彼が主役に射殺されるシーンである。もちろん、芝居用の拳銃が使われ、火薬と血のりと彼の演技で、彼は死ぬことになる。頭を撃ち抜かれる予定だ。
「それを本物の拳銃に」と、彼は囁いた。「入れ替えておいてほしいんだ」
「そんなことをしたら」マネージャーはブルブル震え出した。「死んでしまいます」
「結構じゃないか」と、彼は言った。「実に結構。そうなれば、世の中はわたしに注目することになるだろう」
「狂ってる」
「そうかもしれない」そして、ニヒルな笑みを浮かべる。「最後の、頼みだ」
 そして、撮影が始まる。
「アクション!」監督が叫んだ。
 主役の若い役者が拳銃を彼の額に向ける。彼は微動だにしない。引き金にかけられた指に力が込められる。破裂音。飛び散る血。倒れ込む彼。破裂音の反響が消え、あたりは静寂に包まれる。誰かが息を呑んだ。
「オーケー!素晴らしい演技だ」と、監督が倒れた彼に歩み寄る。歩み寄っても、起き上がらない彼に不審を抱いたようだ。彼の顔を覗き込み、それから振り返って主役の若い役者を見る。若い役者は、拳銃を手にしたまま震えている。首を横に振る。手から、拳銃が落ちる。ゴトリと、重い音。
「本物だ」と、若い役者はへたり込んだ。
「救急車!」監督が叫んだ。にわかに騒がしくなる。誰ひとりとして自分がなにをすべきなのかがわからず、右往左往するばかりである。その中で、倒れた彼だけが微動だにしない。死んだように動かない。その顔は、実に穏やかだ。実に満足そうだ。本物の静寂の中に、彼はいた。
「はい!オーケー!」と、少し離れたところで誰かが叫んだ。「みんな、素晴らしい演技だった!完璧だ!」
 彼は目を開き、立ち上がる。そこに歩み寄る叫んだ男。彼に握手を求める。メイク係がやって来て、彼の額の血のりをふき取っている。
「素晴らしい演技でした。うらぶれた往年のスターの悲哀が実によく表れていました」
「ありがとうございます、監督」といって、彼は握手をする。
「これもお芝居?」
「もしかしたら、そうかもしれない」


No.563


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