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堂々巡り

 世の中には「神様はただひとりしかいない」と言う人々もいれば「いや、ひとりなんてとんでもない。ざっと見積もっても八百万」なんて言う人々まで、神様について様々な見解がある。「神様なんていない」や「神様はもう死んでしまった」と言う者までいる。場合によって、この様々な意見は対立し、重大な問題にまで発展したりする。まあ、神様の人数でもめるわけではないけれども。そもそも、神様の数え方は「人」でいいのか?
 さて、様々な主張があるわけだが、実のところ、どの主張も正しいし間違っている。そもそも卑小な人間ごときが神様がどれくらいいるか数えようとすること自体が間違いなのだ。人間の持つ認識能力で神様を把握することは不可能なのだ。神様は複数であり、単一であり、なおかつ存在しないのだ。
神様はいない、と主張する人々がよく言うことだが「神様がいるならなぜ世界はこれほどに不条理なのか」という疑問がある。神様が少なくともひとり以上いると考える人々の中には「神様の意思は人間にははかり知れない。不条理に見えたとしても、理にかなっているのだ」と言う。
 少なくない人々が、神様が何をしているのか疑問に思っている。目の前の悲劇を、奇跡でもって解消してくれればいいのに、と思っている。どれほど呼び掛けても沈黙を貫く神様に不信感を持ったりする。
 さて、では神様(たち)は一体何をしているのか。だいたいは会議もしくは自問自答をしながら過ごしている。何についての会議?議題はこの世界を滅ぼすかどうかだ。
 なんて物騒な、と思われるかもしれないが、そんなことはない。硫黄の雨も大洪水もなし。阿鼻叫喚もなし。パッと世界が消えるだけだ、心配しなくてもいい。子どもがゲーム機のリセットボタンを押すみたいに。
 で、この会議ないし自問自答を神様(たち)はやっているのだが、この議論が結論をみない。全知全能の神様(たち)の議論は何か完璧な意見が出るとそれに完璧な反論が返り、止揚してまたその繰り返し。結論が出ない。また、神様(たち)は永遠の存在なので、そうして終わりの無い議論をしていてもなんら苦ではない。そもそもそんな発想がない。この議論に無限の時間がかかってもかまわないのだ。そのため、とりあえず今のところ世界は滅ぼされずにすんでいる。この先も議論が続く限り、滅ぼされることはない。その代わり、神様(たち)は議論に手いっぱいなので、誰かを助けたりもできない。全知全能であっても手いっぱいになるのだ
 無限の時間が経過した後、神様(たち)は、多数決で決めようじゃないか、という部分で意見の一致をみる。無限の時間が経過してしまったそこにはもう時間が残されていないからだ。そうなると、結論を出さざるをえない。さて、多数決となるわけだが、ここで問題となるのが神様(たち)の人数だ。一人か八百万か、はたまた存在しないのか。そもそも神様を数えるのは「人」でいいのか。
 堂々巡り。


No.569


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