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はい、コーチ

 わたしのコーチはママです。ママのことはコーチと呼ばないとだめです。どうしてかというと、ママはママじゃなくて、コーチだからです。
「もうママはママじゃないの」と、ある日ママは言いました。「コーチ。コーチと呼びなさい」
「はい、ママ」と、わたしは言いました。ママはため息をつきました。
「ママじゃない。コーチ」と、コーチは言いました。
「はい、コーチ」と、わたしは言いました。コーチはうなずきました。
「今日から、あなたにきびしくするけど、あなたのことがキライだからそうするというわけじゃないのは覚えておいてね」と、コーチは言いました。
「はい、マ」と、言いかけて、わたしは口にブレーキをかけました。「はい、コーチ」
 ママがコーチになったのは、わたしが競技をやりたいと言ったからです。
「あなたがやりたいって言ったとき」と、ママ、じゃなくてコーチはよくわたしに言ったものです。「コーチ、とても嬉しかったの」
 コーチもむかしは選手でした。わたしの何倍も練習したし、わたしの何倍も努力していました。だから、わたしは自分が努力してるとか、ちゃんと練習してると思っちゃダメです。コーチはもっともっとやっていたし、わたしのライバルたちはもっともっと努力してるし、もっともっともっと練習しているからです。だから、わたしはもっともっともっともっと練習して、努力しなきゃダメです。
 コーチはそうしてたくさん練習して、たくさん努力したけど、結果は残せませんでした。ケガをしてしまったり、不利な判定をされたり、相手がズルをしたりしたせいで、あまり勝てなかったからです。コーチはそれがくやしくてくやしくてしかたありませんでした。だって、ホントならコーチは勝ってたはずだから。勝って、勝って、世界一になってたはずだから。だって、たくさん努力して、たくさん練習していたのだから。でも、結局勝てないまま選手をやめました。くやしい思いはそのまま。どこにも消えません。
「あなたがやるって言ってくれて、とても嬉しかった」そう言って、ママ、じゃなくてコーチはちょっと泣くのです。
 わたしはたくさん努力して、たくさん練習します。コーチのくやしい思いを消さなきゃならないからです。だから、たくさん努力して、たくさん練習します。もっともっと練習して、もっともっと努力します。それがイヤだって言っちゃいけません。それに、それはそもそもわたしがやりたいと言ってはじめたことだからです。
「やりたくないならやめなさい」と、わたしが泣いているとコーチは言います。「やめればいい」
 わたしは首を横にふります。
「やるの?」と、コーチ。
「はい、コーチ」と、わたしは言います。
 わたしは勝ちます。だって、たくさん練習しているし、たくさん努力しているからです。勝つとコーチは笑ってくれます。でも、それでも負けるときもあります。負けるとコーチはすごく怒ります。どこがダメだったのか、全部言わなきゃなりません。わたしがどこで間違ったプレーをしたから負けたのか、全部ちゃんとわかっていないと、また次も負けるからです。全部ちゃんと言えないときは、言えるまで考えなきゃなりません。一晩中考えてもわからなかったこともあります。だから、わたしは負けたくありません。勝って、勝って、勝たなきゃダメなのです。
 勝って、勝って、そして、世界一になります。
「あなたは世界一になるの」
「はい、コーチ」
 世界一になって、そうしたら、コーチのことをママって呼んでもよくなるかな?






No.999

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