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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2022年7月の記事一覧

そして、戦争が終わる

そして、戦争が終わる

「戦争と愛は似ている」
「どこが?」
「いつもこの世界のどこかで、戦争をしているし、いつもこの世界のどこかで、愛が交わされている」
 彼女は臨時ニュースで終戦を知った。国中のテレビがひとりの男の顔を映し出していた。男は言った。「戦争は終わりました」気だるい午後。
 彼女は思った。終わったんだ。戦争は終わった。とはいえ、戦争は彼女の生活になんの変化も与えなていなかったのだ。戦争中も、彼女はそれまでと

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泳ぐ男

泳ぐ男

 男は泳いでいた。いつから泳いでいたのかはさだかではない。気づくと泳いでいた。それがどこなのかもわからない。だだっ広い水面だ。泳ぎながら、水面に顔の出るときに垣間見るだけだが、あたりに陸地は無いように思えた。ただ、海ではない。のっぺりと凪いでいて、波のひとつもなく、口に入っても塩辛くない。
 そのだだっ広い水面で、男はただひとり泳いでいる。とても静かで、自分の水をかく音以外にはなにも聞こえない。

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波の音

波の音

 男が海で溺れた。たいして泳ぎが上手くないにもかかわらず、沖合いのブイまで泳いでみようという気を起こしたのが悪かったのだ。往々にして、危機というものはこうして訪れるものだ。ちょっとした、軽い気持ちが命取り。変な気は起こさないに限る。
 海水をたくさん飲んだし、耳にも多量の水が入り込んだ。ちょっとした騒ぎになったが、それでもどうにかこうにか人の手を借りながら岸まで辿り着いた。
「すみません」男は息も

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欠落

欠落

 兄は几帳面な人だった。子どものころから、机はいつも整理整頓されていたし、学校のノートもとてもきれいに書かれていた。それも、別に必死になってそうしているわけでも、強迫的ななにかがあるような感じでもなく、ごく当たり前に振る舞うとそうなるのだというみたいに、ごく当たり前にそうしていた。同じ血を分けたはずのわたしにはとてもではないが理解できないことだった。
 わたしはといえば、机の上はゴチャゴチャで、い

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ひとりの女と

ひとりの女と

 変な夢を見ましたの、と女は言いました。あなたがいなくなってしまう夢。
 わたしになんの断りもなく、と女は言いました。あなた、いなくなってしまったの。
 聞いてらっしゃる? と女は言いました。あなたはいつもそう、わたしの話なんて、上の空でちっとも聞いてくださらない。
 どうせ、と女は言いました。他人の夢の話なんてつまらないと思っているのでしょう?
 いいえ、と女は言いました。全体、わたしの話すこと

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火種

火種

 胸の辺りに燃えるものを感じ、それが喉をかけ上がってきたものだから驚いて、耐えきれずにむせかえったら火種が喉の奥から口の中に飛び出してきた。口の中のそれは熱く、見なくても赤々と燃える火種であることがわかった。その火種は、言葉だった。それが言葉だというのは舌で触れればわかった。言葉だからと言って、それが熱くないというわけではない。まごうことなき火種であり、燃える言葉だった。
 それはあまりにも熱くて

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きみは炭酸が飲めない

きみは炭酸が飲めない

 燦々と照りつける太陽、青く晴れ渡った空、モクモクと湧き立つ入道雲、「あちー」って暑いのわかりきってるのに言う感じ、プールの匂い、奥歯にしみるガリガリ君、あとで気だるくなるのがわかってるのに入らずにいられない海、頭がキーンとなるかき氷、なにかが起こる予感だけはするお祭り、浴衣、縁日、ドキドキワクワク花火大会。夏だ。心躍る夏。楽しいことめじろ押しの予感しかしない。
 よろしい。留保が必要だ。
 もし

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賢く聡明な人々

賢く聡明な人々

 むかしむかし。
 人々は自分たちが賢く聡明であると思っていた。確信していたと言ってもいいだろう。多くの発明をしたし、素晴らしい芸術作品だって作った。なんと言ってもスマートフォンを作ったのだ。賢く聡明でないはずがない。
 もちろん、どんなに賢く聡明であっても、過ちを犯すことはあるだろう。人のいる建物にミサイルを打ち込んだり、大勢が歩いているところにトラックで突っ込んだり、陰湿な仲間外れをしたりもす

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天球をめぐる話

天球をめぐる話

 どこかのうっかりものが穴を空けてしまったのだろう。しかしながら、どうすれば天高くにある天球に穴が空くだろうか。天に向かって鉄砲でも撃ったのか。いやはやどうしてそんなことを。まさかそんなことをする者はいまい。おおかた、うっかり者の植木屋が、枝の剪定をしていた時に、その手にしていた鋏で天球を傷つけたのだろう。もしくは、煙突掃除夫が、モップかブラシの柄で突いてしまったか。
 穴の空いた天球はみるみる萎

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この混沌の世界で

この混沌の世界で

 空を飛行機が音も無く横切って行った。空のとても高いところ。あれに乗っている人間は、ここにわたしがいることなど知りもしないのだろう。雲ひとつ無い青空。
 なにかを忘れている気がしたけど、すぐにそれも忘れた。忘れていることを忘れた。気づいた時には、飛行機は空の彼方に消えていた。なにかを忘れられた気がした。
 虫けらを殺した。虫けらみたいに。虫けらを虫けらみたいに殺す以外の殺し方で殺せるなら教えてほし

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彼女の金魚

彼女の金魚

 彼女の部屋には金魚がいた。ぼくが転がり込む前からいたわけだから、ぼくの先輩ということになる。だいたい立場も似たようなものだ。先輩と呼んでいいだろう。先輩が後輩であるぼくのことをどう思っていたのかはわからない。金魚は水槽の中を気だるそうに泳ぐばかりだった。その目は、こちらを見ているのかいないのか、よくわからない。目が合っているようにも思うし、絶対に目を合わせないようにしているようにも感じられた。

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空っぽ

空っぽ

 男の頭は空っぽだった。それははた目にはわからない。男はそれなりの顔つきをしていて、まさか頭が空っぽだとは思えない。あるいは、男と親密に接してもそれはわからない。頭が空っぽの男だが、それなりに受け答えをちゃんとするからだ。男の頭が空っぽであるということ、それは男しか知らない事実。
 では、男はどのようにその事実、自分の頭が空っぽであることを知ったのか。
 ある日のこと、男が何気なく頭を動かした時、

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わたしは死んだことがない

わたしは死んだことがない

 休日の朝、彼女は遅く起きてきた。前までなら、休日であっても早起きしてきていた彼女だけれど、ここのところは仕事がなかなかに忙しいらしく、昼近くまで寝ていることが多くなった。ぼくもそれについてはとやかく言わない。とやかく言える立場でもない。
「世界が」と、まだ寝起きで寝ぼけまなこの彼女はつぶやいた。「滅んでしまったの?」
「え?」ぼくは読んでいた新聞から顔を上げ、彼女を見た。ぼんやりと窓の方を見てい

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