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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2022年6月の記事一覧

その複眼

 旅芸人は変わった形のパイプを燻らせた。旅から旅の生活である。ほうぼうの珍しい品を旅芸人は持っている。パイプに口をつけ、一息吸い込み、それをふうとため息でも洩らすかのように吐き出した。紫色の煙が立ち込める。安宿である。天井からぶら下がっているのは裸電球だ。
 旅芸人と哲学者が語らっている。本来であれば交わらないようなふたりだ。なにしろ住む世界が違いすぎる。それが、汽車の故障で足止めを喰い、どうにか

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囁く声

囁く声

 彼は一切口をきかない。一切だ。口数が少ないとか、寡黙とかいう次元ではない。一切言葉を発しない。言葉という言葉をだ。それゆえに、彼がなぜ沈黙しているのかを知る人はいない。当然のことながら、彼がそれを説明するということがあり得ないからだ。彼は言葉を発しない。言語的なものも、非言語的なものも、どんなメッセージも。
 当然、人々は疑問に思った。そこまで黙り込むのにはなにか理由があるに違いない。そうでなけ

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職人の手仕事

職人の手仕事

 その職人の手仕事の評価は揺らぐところのない確固たるもので、表彰を受けたことも一度や二度ではない。かなり大きな賞を受けたこともある。ところが、この職人、かなりの頑固者で、まあ昔気質というか、気難しいというか、それだけ有名人だから、その職人の手仕事を受け継ごうと弟子入りする若者もあるわけだが、その偏屈さ、頑固さにどの弟子入り志願者たちも三日ももたないで逃げ出してしまうのだ。
「ふん、あんな根性なしこ

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監視社会

監視社会

 監視者に選ばれることは最も光栄なことである。なぜなら、監視を任されるということは、国家にとってそれだけ信用のおける人間だと判断されたことになるからだ。
 監視者に選ばれた。わたしは喜んだ。狂喜乱舞と言っていいくらいに。わたしの国家に対する長年の貢献が認められたのだ。どんな貢献だったのかをここで具体的に挙げることはしない。地味だが、たいして役に立たないような貢献だとだけ言っておこう。
 しかし、こ

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翼

 夢を叶えた。翼を手に入れたのだ。翼、文字通りの翼だ。鳥のそれのように、空を飛ぶための翼。それを手に入れることが、わたしの幼いころからの夢であった。年端もいかなかったころから、わたしは呆けたように空を見上げ、飽きることなく鳥を見ていた。鳥の、その自由に空を飛び回る姿を。
 わたしの人生はすべてそのために捧げられた。あるいは、飛行機を操縦することで満たされるということもあり得たのかもしれない。事実、

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札束のゆくえ

札束のゆくえ

 彼らの目論見通りにことは進み、彼らはまんまと大金を手にしたのだった。完璧な計画だった。そして、それをもらすことなく実行した。それは芸術的と言ってもいうくらいの仕業。あるいは、彼ら自身にその自覚があり、それによって悦に入っていてもおかしくないほどに。
 しかしながら、それは確かに非合法的な手段で得られたものであった。犯罪と呼んで差し支えないだろう。いや、まごうことなき犯罪である。その彼らの手にした

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残忍な狩人

残忍な狩人

 あるところにとても腕の立つ上に残忍な狩人がいた。樹上のリスを気まぐれに射殺し、罪なく唄っていた小鳥の心臓を射ぬいた。別にその獲物を得んがためではなく、ただ単に殺すのを楽しんでいた。
 森の動物たちはみな狩人を恐れて、身を小さくして暮らしていた。うっかりその狩人に姿を見られれば矢を射られることになる。それは過たずに射られたものの心臓を撃ち抜くことだろう。森は陰鬱に静まり返ることになった。小鳥たちは

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不幸になる

不幸になる

 ある富豪がパーティに出たのがきっかけだった。一代で財を成した男で、もともとは田舎の工場労働者の子どもだった。当然、そうした社交の場にはあまり慣れていないし、代々金持ちといった人種とは些か毛色が違う。学はなく、鼻っ柱の強さと負けん気だけで成り上がってきた男だ。人の嫌がる仕事や汚れ仕事もやってきた。後ろ暗い仕事だってこなした。男は男でプライドがある。いや、自分の力でのし上がって来たからこそ、お坊っち

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金のなる木

金のなる木

 金のなる木の苗木をもらってきた。船員の友人だ。世界中の海を股にかけると言って過言ではない。ふらっとやって来て、珍しい土産をくれる。その金のなる木の苗は、聞いたこともないような名前の南の島に自生しているのだという。
「その島の人たちの使うカネがなるんじゃ困るぜ」
「島では木の実を通貨に使うってか? まさか、ちゃんと金が成るから心配するな。騙されたと思って育ててみろ」
 猫の額ほどしかない庭にそれを

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不仲

不仲

 ぼくと彼は不仲だと言う。学校中の噂らしい。初耳だ。ぼくの認識として、ぼくと彼は不仲ではない。別に仲がいいとは思わないが、話す機会があれば話すだろう。ただ、そのきっかけが無いだけのことだ。だから、話さない。それだけのことだ。
 そもそもぼくは無口なたちだし、彼も自分からべらべら喋る人間ではないように思う。ぼくは彼がどんな人間なのかを知るのに十分なほどぼくは彼を知らないから、彼についてのあれこれは結

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絶望的なくらいに絶望的

絶望的なくらいに絶望的

 ぼくらは抱き合っていた。ただ、抱き合っていた。
 それは愛とか恋とかとは無縁の抱擁だった。情愛も友愛も無し。人類愛でもなければ、隣人愛でも、無償の愛でもない。ただの抱擁。あるいは、なにかにしがみつく仕草に近かったかもしれない。
 深夜のオフィス街には人影はなかった。明かりのついている建物はあったけれど、歩いている人はいなかった。ビル風が耳元でごうと鳴った。冷たい風だ。車がタイヤを軋ませながら駆け

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純粋無垢で完全無欠の恋

純粋無垢で完全無欠の恋

 これはぼくの初恋についての話だ。
 それは純粋無垢で完全無欠の恋だった。初恋なのだからそれはそうだろう。初恋は純粋無垢で完全無欠なものだ。そうでしょう

「君」と、ぼくの恋した相手は言った。「わたしのこと好きでしょう?」
「え?」と、ぼくは頬が熱くなるのを感じた。「なにを言っているの?」
「君はわたしのことが好きなんでしょう?」と、彼女は言った。はっきりと、すべての音を明瞭に発音しながら。そこ

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箱

 とても優秀な箱職人がいた。どんな素材からでも、完璧な箱を作った。それは完璧な箱だった。芸術作品と呼んでも差し支えのないほどのものだったが、それは箱だった。箱は箱である。完璧に真な文。しかし、それはなにかを言っているとはとてもではないが言えない。
 箱職人は箱職人なので、箱しか作らなかった。それほど完璧な箱を作る技術を持っているのなら、それを応用し、なにか別の、もっと有用ななにかを作れるのではない

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なんて効率的

 川に橋をかけることになった。鉄道が走る橋になるという。確かに、線路が敷かれていて、それは川の手前で途切れている。向こう岸も同じ状況のようだ。
「ここに橋をかけることで」と、親方はみんなの前で言ったのだ。「物流が効率的になる」
 誰かが手を上げた。
「なんだ?」親方は片眉を上げながら言った。
「効率的って」と、そいつは言った。「なんですか?」
「お前はクビだ」親方は言った。
「え?」挙手した誰かは

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