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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年11月の記事一覧

蜂

 軒先に蜂が巣を作った。最近いやに蜂が多いと思ったら、巣があったのだ。
 すぐに業者を呼び、駆除してもらうことにした。
「危ないですよ」と、その場にいないよう促されたが、許される範囲でその作業を眺めていた。それはなんだか人間の心臓に似た形をしているように見えた。いまにも動き出して、どくどくと脈打ちそうだ。
 業者が殺虫剤を噴霧する。蜂たちは懸命の抵抗をする。もちろん、勝負は最初からついているのだ。

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インソムニア

インソムニア

 眠れなくなる夢を見た。それは夢とわかる夢だった。夢ならば、眠っているに違いなく、眠れなくともさして問題はないはずだ。それは夢でしかないのだから。ところがそんな達観はできず、夢の中で眠れずに、悶えるように何度も寝返りをうち、空欠伸をし、眠気を呼び込もうとした。しかし、ちっとも眠れそうにない。新聞配達のバイクの音が聞こえる。どこか遠くでカラスが鳴く。目を閉じたままでも、朝日が東の空を赤らめていくのが

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どうでもいい話

どうでもいい話

 葬儀場で働いていたことがある。正式の職員としてではなくて、アルバイトとしてだ。そのころわたしは、花の勉強をする学校に通っていて、その学生課の斡旋で働き始めたのだ。葬儀に花は欠かせなかった。わたしはその花担当として仕事をしていた。とはいえ、まだ勉強中の学生の身だったわけで、わたしはそれについては素人同然、名ばかりの花担当であり、仕事はほとんどが雑用だった。わたしに期待されていたのはいそがしいときの

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結末は

結末は

 さっき名前を聞いたけれど、もしかしたらそれは偽の名前だったのかもしれない。名前を聞いたさらにちょっと前に出会ったばかりの人だから、何を信用すればいいのかわからない。へらへらした締まりのない顔は、そういうずるがしこさみたいなものとは無縁そうで、バカっぽい。まあ、彼には別にわたしに嘘をつく理由なんてないだろうけれど。
 わたしにしたところで、身分証明書の提示を求めるほど、彼が誰なのか、とか、どんな職

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魔女のこと

魔女のこと

 あるところに、若く美しい魔女がいた。陶器のようになめらかな指で杖を振り、果実のようにみずみずしい唇の隙間から呪文を唱え、魔法をかけた。人々は魔女を怖れながらも憧れた。若く美しい魔女は強い魔力とそれと同じくらいか、それ以上の魅力を持っていた。
 時が流れた。ある日、若く美しい魔女は自分がもはや若く美しい魔女ではなく、年老いた魔女になっていることに気づいた。枯れ枝のようにやせ細った指で杖を振り、紫色

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乾いた風が吹き抜ける

乾いた風が吹き抜ける

 結婚とは蜥蜴だった。
 その当時のその土地でのことである。そこでは、結婚とはつまり蜥蜴だったのだ。
 そこでは、酒に浸した生きた蜥蜴を新郎新婦が呑み込むことによって結婚が成立した。人々が固唾を呑んで見守る中、新郎新婦それぞれの木の椀の中で酔っ払った蜥蜴を、新婦が呑み、新郎が呑み込むのである。呑み込まれた蜥蜴は腹の中で動き回るという。その腹の中で動き回る蜥蜴が、そこでは結婚なのであった。
 蜥蜴無

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彼の退屈な話

彼の退屈な話

 電話で話している時の、彼の息継ぎの音が好きだった。言葉と言葉のあいだに差し挟まれる、空気のこすれる音。それを受話器越しに聞くたびにゾクゾクしたものだ。
 誰の息継ぎの音でもいいわけではない。彼の息継ぎの音がいいのだ。別に、彼の鼻も、彼の指も、彼の髪の毛もわたしは求めない。その声すら求めない。息継ぎの音、それだけ。
 電話で話す時、たいていはわたしばかりが話題を提供していた。その日あったこと、不満

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ユートピア症候群

ユートピア症候群

同僚の様子がおかしい。以前からそれほど熱心に仕事をするようなやつではなかったが、いつもにも増してぼんやりとすることが増えている。サボる口実さえこしらえない。タバコ休憩だとか、充電だとか、そういう二束三文で買えるようなすぐにバレるような口実さえ。それはそれで苛つかされていたから、そういう類を口にしないのはまあいいとして、就業時間中にぼんやりされているのはそれもそれで困る。上司の視線が痛い。もちろん、

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彼女の嘘について

彼女の嘘について

 彼女はぼくに嘘をついていた。
「あなたを愛してる」
 それは嘘だったのだ。彼女はぼくを愛してはいなかった。嘘だと思いたかったが、それが真実だった。彼女はぼくを愛していなかった。
 嘘をつかれたぼくだが、彼女を責めるつもりは毛頭ない。ぼくが彼女を心から愛していたから? それもある。しかし、それだけではない。ぼくが彼女を責めないのは、彼女がもういないからだ。
 ぼくのそばにいないだけでなく、この世に

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にんじん

にんじん

 わたしはとても食べ物の好き嫌いの多い子どもだった。野菜はほぼすべてダメ、イモ類も野菜に含めるならかろうじてそれは食べられた。生魚も嫌い。魚の生臭さと、あの食感がダメだった。魚卵も苦手だった。牛乳もお腹を壊してしまうからダメ。リンゴもあの歯ごたえが苦手だった。いまだって、それが完全に克服されたわけではないけれど、だいぶ改善はされたと思う。別にその美味しさに気づいたわけでない。めんどくさくなったのだ

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三日坊主

三日坊主

 その男、三日坊主である。もちろんそれが彼の名前であるはずはない。職業でもない。性質である。根っからの性質なので、彼のことは三日坊主と呼んで差し支えなかろう。
 三日坊主はその人生を後悔していた。なにごとも長続きしないので、結局のところなにひとつとして身につかないまま大人になり、漫然と生きている。なかなか器用な男で、なにごとも初手から上手にやって見せるのだが、なにしろ根気が無い。すぐに飽きる。そう

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さいしょのともだち

さいしょのともだち

 人は一生のうちに何人の友だちを得るものなのだろう。もちろん、個人差はあるだろう。ぼくはきっとかなり少ない部類に入ることだろう。人見知りだし、打ち解けるのも苦手だ。よほど趣味が合うとか、そういうのが無いと友だちにならない。さらに言えば、大人になると知り合いは嫌になるくらい増えるのに、友だちと呼べる相手と出会うことはほとんどないと言ってもいいのではないだろうか。人付き合いは難しいものである。
 ぼく

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彼女は悲しみを持たない

彼女は悲しみを持たない

 彼女が自分が悲しみを持たないことを知ったのは、クラスで飼っていたウサギの死んだときのことであった。
 級友たちがさめざめと泣く中、彼女は何も感じなかったのだ。それどころか、なぜ泣くのかもわからなかった。それまでに、彼女は涙を流したことがあったのだけれど、そのほとんどは悔し涙で、残りはあまりの怒りに涙が溢れたのだったから、彼女はその場面で泣く理由がわからずに困惑していた。けれど、その疑問を尋ねられ

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美しくて儚い人々

美しくて儚い人々

 ぼくが彼らを知ったのはひょんなきっかけだった。
 甥っ子と河川敷でキャッチボールをしていたときのことだ。
 小学生の甥っ子は所属する少年野球チームでなかなかのホープらしく、ぼくの驚くような速さのボールを投げた。運動神経のいまいちなぼくとしては少し怖いくらいの球速で、怯えていないふりをするので精いっぱいだったくらいだ。
 その甥っ子の投げたボールを、ぼくが後ろにそらしてしまったのだ。
「すいません

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