マガジンのカバー画像

兼藤伊太郎

1,010
「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
運営しているクリエイター

2020年10月の記事一覧

ある女優の死

ある女優の死

 何気無くつけていたテレビがその女優の死んだことを報じた時、ぼくは衝撃を受けた。足元の大地が崩れ、ゆっくりと、渦に呑まれるような感覚だった。緩慢な落下。もしかしたら、少し取り乱しまでしたかもしれない。辺りを右往左往歩き回ったような記憶がうっすらとだがある。
 普段のぼくであれば、そんな反応は示さなかっただろう。くだらない芸能ニュースか、くらいで軽く聞き流していたに違いない。もちろん、人の死がくだら

もっとみる
絵描きさん

絵描きさん

 まだわたしの小さい頃、近所に絵描きさんと呼ばれる人が住んでいた。若い男の人で、いつも絵を描いていたから、みんな絵描きさんと呼んでいたのだ。
 河原で見かける時も、森の入り口で見かける時も、町で見かける時も、絵描きさんは必ず絵を描いていた。
「こんにちは、絵描きさん」と声をかけると
「こんにちは」と微笑みながら返してくれた。そして、その膝に置かれたスケッチブックを覗き込むと、わたしたちの住むその土

もっとみる
生まれて来なかった人

生まれて来なかった人

 人はわたしを臆病者と呼んだりするが、わたしに言わせれば、みんな無謀であり、不注意であり、蛮勇というか、蟷蝋の斧とでもいうか、あまりに不用意なのだ。わたしはむしろ適度に慎重であり、自分のことがわかっているのであり、無理をしないし、無茶を避けているだけなのだ。
 臆病と呼びたければ呼べばいい。最後に笑うのが誰なのか、最後になればわかるだろう。
 当たり前か。最後になれば最後に笑うのが誰かわかるだろう

もっとみる
はつこい

はつこい

 花咲く話は恋の話、それも初恋の話とかで、思春期の頃には、言葉を濁して適当な憧れの男子のでっち上げ話をしたものだけど、ちょっと歳をとってみると、別に恥ずかしがることもなく話すことができるようになったように思う。
 わたしの初恋の相手は同級生の女の子だ。ちなみに初キスもその子。まだ、ふたりともほんの幼い子どもの頃の話。
 でも、わたしは同性愛者とかではないと思う。それ以降、お付き合いをしたのはみんな

もっとみる
走馬灯

走馬灯

 走馬灯という言葉を初めて聞いたのは、祖父の葬儀の時だったと思う。ぼくがまだ幼かった頃の話だ。
 真夜中に電話が鳴った。受話器を手に応答する母の様子から、なにかが起きたということだけは察せられた。なにか、不穏なことだ。母にせかされながら慌ただしく身支度をして、家を出る。車の中、父も、母も、誰も口をきかなかった。いつもなら床に就いている時刻に起きていることが、ぼくを少し興奮させた。真夜中を過ぎるとオ

もっとみる
そいつが死んだのは連休の最終日

そいつが死んだのは連休の最終日

 そいつが死んだのはぼくがそいつに「死ねよ」と言ったからではないとぼくは思う。そんなことで人が死ぬものか。ぼくの一言なんかで人が死ぬものか。
 そいつが死んだのは連休の最終日、次の日は学校、という日の夕方だったらしい。その前日には家族でゆっくりと過ごしていたという。どこかのファミレスで夕食をとったとか、そんな冴えない感じだとかいう。そして、その翌日の夕方、両親の外出中にそいつは首を吊ったのだそうだ

もっとみる
みんな嫌いだ

みんな嫌いだ

「みんな嫌いだ」と少年は呟いたけれど、雑踏の音に掻き消されて、その呟きを聞いた者はいなかった。少年としても、それで別に構わなかった。だって、少年はみんな嫌いなわけだから。理解してほしくなどないのだ。みんなとは少年にとってのみんなであり、誰かのみんなではない。
 そのくせ少年はみんなに好かれたいと思っていた。抱きしめて欲しいと思っていた。頭を撫でられ、頬に口づけされたいと願っていた。温もりを誰よりも

もっとみる
四角い空

四角い空

 その頃はまだ幼くて、漢字は数える程度しか覚えていなかったから、そこになんと書いてあるのかを、ぼくには読めなかった。
 それなのに、そこにそれが書いてあったのを覚えているのが少し不思議だ。何らかの文字であり、意味を持っていると知らなくとも、それを文字として認識し、記憶を遡ってそこになんと書かれていたかを理解することなど可能だろうか。どうもできなさそうな話だ。その当時のぼくの眼に、意味の無いものとし

もっとみる
詩の心のあるところ

詩の心のあるところ

 技術革新はいつも人類を次なるステップへと導いていったが、今回のそれは大いなる一歩、有り体に言って、別次元への飛躍とさえ呼べるものであった。
 どんな技術か?お互いの意思を完璧に疎通することができる装置が開発されたのだ。阿吽、つーかー、一心同体、以心伝心、これで誰とでも、いつでも、思っていることを、一切の遺漏なく伝えることができる。これで話がなかなか通じなくてイライラしたり、「あの、あれだよ、あれ

もっとみる
星は巡る

星は巡る

 戴冠式は星の配列が悪いために延期となったのだった。
 占星術師たちは、この配列で戴冠式を強行すれば、王は非業の死を遂げ、国は衰え滅びるだろうと言った。それを聞いた次期国王は占星術師たちに星の配列についての再計算を求めた。これは異例のことだった。それまでの数百年の間、占星術師たちの言葉に従わなかった王はいなかったからだ。
 次期国王は占星術師たちの観測と星の運行に関する計算について疑いを持ったのだ

もっとみる
七階

七階

「君の仕事は」とわたしの雇い主は言った。「一階から六階までの見回りだ」
「わたしの仕事は」とわたしは復唱した。「一階から六階までの見回り」
「そして」とわたしの雇い主は続けた。「八階から十二階までの見回りだ」
「七階は?」とわたしは尋ねた。雇い主は首を横に振った。ゆっくりと、右へ、左へ、そして右、また左へ。
「七階は必要ない」と雇い主は言った。いかなる感情も交えない無機質な口調だ。「七階には立ち入

もっとみる
度胸試し

度胸試し

 やたらと店員の視線が気になってしまう彼は、心の中で自分の臆病さを罵り叱りつけ、自分を鼓舞しようとした。棚の影から、店員の様子を窺う。視線がぶつかる。怪しまれているような気がする。棚の影に隠れる。何気ない風を装い、店内を、品物を見て回るように歩いて回る。時折手に取り、検分してみる。そしてまた、店員の様子を窺う。レジで他の客の対応をしている。その合間にもこちらを見ているようyな気がする。考えすぎさ。

もっとみる
疲労困憊

疲労困憊

職場に疲労計測器が導入されることになった。
「過労死されちゃたまらんからね」と経営者はニコニコしながら言った。「これで疲れ具合を測って、疲れがたまっているようなら有無を言わさず休んでもらうからな」そしてウインク。「どんなに働きたいと言ってもな」
 我々、つまり雇われている人間たちはクタクタに疲れきっていた。連日の激務のせいだ。人手は足りず、しかし仕事は多い。疲労から些細なミスが起き、疲れているせい

もっとみる
魔女たちは歌う

魔女たちは歌う

 魔女たちは歌う。いつも歌う。針仕事をする時にも、食事をする時にも、水浴びの時にも、笑う時にも泣くときにも、眠っている時にさえ、魔女たちは歌う。息するのと同じに歌う。
 それは魔女がこの世に産まれたその瞬間、産声の瞬間から、普通の赤ん坊が泣き声を上げるところを、魔女の赤ん坊は歌いながら産まれてくる。その魔女の赤ん坊を産み落とした母親も魔女であり、魔女であるからには歌っているし、産婆も魔女であり、魔

もっとみる