ほぞを噛む【オリジナルSS】

ほぞを噛む

あぁ、またこの夢だ。何度も何度も見た夢、このあとの展開は知っている。

「もう俺たち会わないほうがいいな。さよなら。」

そう言って彼は立ち上がり、振り返ることなく私の部屋を出ていく。ドアが閉まる手前で、私は声を振り絞り叫ぶ。

「…待って!行かないで!」

そこで目が覚める。今日もそうだった。目が覚めて気がつくと私は泣いていて、強烈な絶望感と共に1日が始まるのだった。

もうあれから3年も経ったというのに、私は彼を忘れられなかった。夢でこそ私たちの終わりばかりを見るが、思い出すのは何気ない日常のワンシーンで、彼が好きだった音楽、彼が可愛いと褒めてくれた髪型、一緒に食べたケーキ、車を運転するときの横顔、そういうことを何度も何度も記憶が擦り切れそうなくらい反芻していた。でも、だんだんと思い出せなくなっていく。彼の声や喋り方、あんなに大好きだった笑顔ですら、今ではぼやけてしか浮かんでこない。彼がいないという事実以上に、私はそのことが悲しかった。

不思議だったのは、別れの歌を聴くよりも幸せなラブソングを聴いているときのほうが胸が苦しいこと。思い出される、霞がかった彼の笑顔。そういえば、と思い出し昔使っていたスマホの電源を入れ、カメラロールを遡った。そこには私が好きで好きでたまらなかった彼の姿があった。

『ピース、あ、動画?なんだよ、まぁいっか。誕生日おめでと。今日は飲むぞー!』

画面の中で彼が笑っている。胸が痛い。何度動画を繰り返し再生してみても、あぁ、私たちはもうここには戻れないんだ、そして未来もなにもないんだ、終わったんだ、二度と会えないんだ、そんな現実が目の前にあるだけだった。二度と幸せな時間には帰れない。彼じゃなきゃダメだったのに、失って、記憶も薄れかけてきた今になって、ようやく時間は巻き戻せないこと、やり直しなんて出来ないことに気がつく。いっそ何も思い出せなくなるほうが楽なんじゃないか、そう思ってカメラロールのデータを削除しようとするも、あとワンタップが出来ない。
彼は今どうしてるんだろう。もう新しい彼女と一緒に過ごしてるんだろうか、もしかしたら結婚してるんだろうか。笑ってるのかな、幸せかな、前に進んでいるのかな。私だけがいつまでも過去に取り残されて、擦り切れた思い出に縋って、後戻り出来ない時間をいつまでも後悔している。

End.


【後書き】
キーワードは「後戻り出来ないこと」
タイトルの「ほぞを噛む」という言葉を知って書きました。

朗読、声劇などご自由にお使いください。

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