見出し画像

ソル・ルウィット + 高松次郎 「Line for Earth Project」@"ハリウッドビューティープラザ3F" ユミコチバアソシエイツ


こんばんは!今日もお疲れ様です!

久々にいまの興味ど真ん中!みたいな展示があったので早速出かけた
例によって70年代でたぶん大半の人は無関心な内容だが、どうせみんな横尾忠則とか落合陽一とか見に行ってるはずなので、ここは逆張りで行きたい

ソル・ルウィット | 高松次郎
Line for Earth Project

2023年9月30日(土)- 11月11日(土)
会場:Yumiko Chiba Associates
東京都港区六本木6-4-1 六本木ヒルズ ハリウッドビューティープラザ 3F
営業時間: 12:00-19:00 定休日: 日、月、祝日

公式より

今月丸々やってるので余裕で見に行ける!!!

どっちの作家も過去に興味ない人にとっては「無」になってしまうと思うので、いちおう自分がなんで興味もってるか、についても書いとく

尚、文中敬称略

公式ステートメント

ちょっと長いので要点だけ先に書いとくと、

・コンセプチュアル・アートはアメリカで生まれたものだが、地域性があるものではない
・高松もほぼ同時に同じようなことをしていた
・それは同時並行的に発生していたと考えられる

という形で、その両者をならべてみたらどうなるか、というのが企画意図といえるだろう

このたび、Yumiko Chiba Associates では、ソル・ルウィットと高松次郎の二人展を開催します。
ルウィットは 1967 年に「コンセプチュアル・アートについての断章」と題されたテクストを発表し、60 年代後半当時の新た な動向を、「コンセプチュアル・アート」と命名しました。
同じ時期に、日本で活動していた高松次郎も、概念や思考を重視する主知主義的な傾向の作品を制作していました。高松の実践 を踏まえれば、コンセプチュアル・アートはアメリカ国内に限られた動向ではなく、世界同時多発的なものであったことがわかり ます。
ルウィットと高松は、芸術が個人の「表現」であるという態度を採用せず、立方体、線、遠近法といった、知覚や芸術を成立さ せる論理、構造、システムそれ自体を取り出し扱うことで、知覚や芸術がいかに成立するのかを問う作業に従事しました。
また、彼らは特定のルールが生み出す表象のバリエーションを、方やその有限性(ルウィット)、方やその無限性(高松)の可視化によって示すという行為を、互いに意識しないままに行っていたことによっても共通しています。
両者にとって、思考を展開する媒体としてのドローイングは、じっさいに制作された立体作品などと同等に重要な手段でした。 本展では、ルウィットと高松のキューヴ(立方体)を素材とした彫刻作品だけではなく、その思考の軌跡をたどるための重要な手 がかりとなるドローイングも併せて展示します。
本展は、主に 1960 年代後半から 70 年代にかけて制作された作品で構成されます。本展が、同時代における両者の仕事の併行 性をたどる機会となれば幸いです。ぜひご高覧ください。

公式pdfより

この2人の組み合わせが興味深い理由

▼高松次郎

高松次郎(1936-1998)
高松次郎は 1960 年代以降の日本の前衛芸術を牽引した、日本戦後美術における最重要作家の一人である。絵画、彫刻、写真、ドロー イング、パフォーマンスなど、多様な制作手法と多岐にわたる素材を通して、視覚や認識を成り立たせる構造やメカニズムを探究した。 芸術とその認識に関わる原理的体系に対する思索は、複数の独立した制作手法をもつシリーズとなって展開された。 1963 年には、赤瀬川原平、中西夏之とともにコレクティヴ「ハイレッド・センター」を結成。東京の都市空間を舞台に、さまざま なパフォーマンスやアクションを実施した。 初期の反芸術的な傾向を経て、高松の制作は、物質や知覚の問題に深く関わってゆく。その仕事は、初期の「もの派」の形成に大き な影響を与えた。1964 年からは、代表作となる「影」シリーズの制作を開始。実在と不在の境界を探究した。1980 年からは、絵画 シリーズ「形」を開始。色、かたち、空間が発生する瞬間を捉える、原理的な探究を通して、自らの思考の総合化と再検証を図った。

同上より

※※※高松次郎しってる人は読まないでいい部分※※※

・そもそも誰?って話だが

高松はしらなくても赤瀬川原平は知名度高い説ある

世間的には「トマソン」(賞味期限切れか・・・)の人、歴史的には「1000円札裁判」(作品のためにお札を印刷したら立件され有罪で結審、執行猶予ついた)の人だ

・ハイレッドセンター
いま問題にしてる高松は、その赤瀬川、そして洗濯バサミで有名な中西夏之と組んで(63年の個展から)ハイレッド・センター(高・赤・中)っていうグループで活動した人で、たぶんそれが一番知名度高いと思われる

・もの派出現以降
で、細かい話は端折るが(68年関根伸夫<位相-大地>の件)、その後「もの派」の論理的支柱として歴史に残る李禹煥が登場すると、また例によって日本美術界隈は「これからは<もの>!」みたいな空気(何度目だよ)になるわけだが・・・

具体とかと違って、もの派は最初からもの派グループがあったわけではなく李が「この人は自分の理論に近い!」って人をツモってもの派的なものを形成していった

高松次郎はそういう意味では別に「もの派」ではなく、そのフォロワーでもないのだが、独自にそれに近い実践を行っていた点、また李禹煥に高く評価されて対談とかもやったこともあり、60年代はより一層活躍して露出も増える

・なぜ「もの派」か
「もの派」がなんでそんな高く評価される(た)のか?
という点だが、雑にいうと「日本で初めてうまれた理論のある芸術運動」だったから、ってのがあると思われる
このあとのソル・ルウィットを見るとわかるが、日本の作家はこれをあんまやんない
やったとしても(以前も東京現代まとめとかに書いたが)「いや、そんな個人的なこと知らねーよ」みたいなことをポストモダン思想を引用しつつ小難しく書くだけのことが多い
(別にいまの話ではなく、70年代からそうなので悪化してるわけではない。ずっと病気なまま

そもそも李は日本に「こっそり入国」(国立新美術館、李禹煥展の子供向けパンフレットにガチで書いてあった)した美術家であり、日本土着の何かに汚染されてなかったためこれができた可能性はけっこうある

・・・やばいくらい長くなったのでルウィットについては簡単にする

▼ソル・ルウィット

ソル・ルウィット(1928-2007)
ソル・ルウィット(1928年生まれ、コネチカット州ハートフォード;2007年死去、ニューヨーク)は、ミニマリズムの主要な人物であり、コンセプチュアル・アートの先駆者でした。従来の美学よりもアイディアの探求を優先し、彼は彼の芸術的実践をその本質にまで絞り込みながら、その可能性を拡大しました。ルウィットのアートは、シリアル化、繰り返し、進行によって特徴づけられています。彼は彼の作品に系統的なパラメータを適用し、数学的な公式や制限された制約を使用してオブジェクトを開発し、完成した製品に関する主観的な決定をすることから自分自身を取り除きました。線と色のシステムを定義して作品を作成することにより、彼の壁の絵の豊富な出力は彼のキャリアの中でのブレークスルーを表し、彼の絵画、ドローイング、彫刻、写真、版画にわたる実践への関与を固定しました。

同上より
GPT4翻訳 一部用語を記事執筆者が適切なものに置換した

・キーポイントで言及される謎の作家

コンセプチュアル・アートのマニュフェストを出した、という点だけで重要な作家なのは確定だが、ルウィットはあんまり日本で紹介されていない
少なくとも高松が活躍した60~70年代の誌面で作品画像みた記憶ない

しかし、けっこうクリティカルなところで言及される、という重要なのかそうでないのかがわかりにくい作家である

自分が興味をもったきっかけとしては美術家の彦坂尚嘉の指摘
「もの派」爆誕のひとつのきっかけともなる重要な作品である「関根伸夫の<位相-大地>はルウィットの先行作を参照している」・・・という指摘である
(彦坂は当時から「もの派」を論理的に批判しているが、上記の指摘は最近の彦坂なおよしチャンネルのYoutubeがソース 時代だな

また、高松とルウィットについては当時の批評家の中原祐介が、後に桝田倫広がその関連性に言及してるそう(ギャラリーの人に教えてもらった)

なので、ぜんぜん紹介されてなかったのに、実はけっこう影響してそうな謎の作家、というのが自分の中の立ち位置であり、今回これを見るまで高松との関連性についてはまったく考えていなかった

とりあえずギャラリー紹介と展示風景にいってから続きは書く

場所はヒルズ!飯が高い!

ギャラリーの場所はギロッポンのヒルズ
近くにほかのギャラリーも多いし、まとまってるのは助かる

ただ、食いたくもないシェイクシャックに行きたくなるのは困る

で、そのヒルズの横にある建物にギャラリーが入ってんだけど・・・

はりうっど・びゅーてぃーとか書いてある

この米国信仰っぷりよ・・・
まあ、金出した人が好きにすればいいんだけどさ

こっから結構あるくのかな、とか思ってたらあっさりあった

あるやん

ドアも開いててウェルカムな感じ

ちなみに汗だくで自転車こぐ施設がとなりにあって音楽がうるさかったです

こっちはニューヨーク・・・
西なのか東なのかはっきりしてほしい

展示風景など

すごいすっきりしたギャラリーだったが、天井高くて見やすい
入口の本棚に関連資料がずらっと並んでて、めっちゃ勉強になった

あんまり作品入ってないけど入口からの眺め
正面の立体作品はルウィットのもの
高松次郎の透視図に関係する図(だと思う)
同じく高松次郎
同じく高松次郎
同じく高松次郎の立体作品
ルウィット
同じくルウィットの彫刻

なるほどな! 確かにけっこう共通性あるやん!(←影響されやすい)

いろいろギャラリーの人に質問したんだけど、二人の作品の作り方があれだって話だった

高松:
 幾何学的な構造、構成で作品を組み立てる
 →展示されている立体作品などは立方体で構成、そこにだまし絵というか透視図的な線が引かれている
 →その他の有名作だと遠近法を逆手にとったテーブルセットのやつ
  遠近法の椅子とテーブル
ルウィット:
 造形単位として小さな立方体を規定し、それで作品を構成する
 高松と同じく幾何学的な構成となる
 →展示されている彫刻がまさにそれ

この造形単位を設定するというのは、わりとふつうの手で、レジェもそういうことやってたと思う
ただ、抽象が「様式」としてとらえられがちだった日本では、こういうガチの抽象、というか「モチーフなしの抽象」があんまり根付かなかった
(特に抽象彫刻とか立体の分野で

なので高松のこうした実践は、コンセプチュアル・アートを規定していくルウィットの実践とほぼ同じことを同時代に並行的にやっていたと評価できるのでは?(また、そういう風にとらえて再評価すべき)という展示であると自分は理解した

おもったこと

▼めっちゃよい

いやー、にわか高松次郎好きとしてこういう構想画的なの一切みたことなかったんで「めちゃよい」という感想

謎の作家だったルウィットがどんな人でどんなもん作ってたか、というのをナマでみれたのもうれしい
なお、あの立体作品は本邦初公開らしい(そもそもルウィットの立体作品の展示がまれという話だった

▼参照について

ちなみに「高松次郎がソル・ルウィットを参照してたってことはないんすか?」みたいなけっこう失礼な質問したんだけど、まあ、昔っていっても
70年代だし当然「雑誌とかで見たことはもちろんあったろう」ということだった
ただ、作品に特に影響は感じられないので、そういう形(参照したとか)というような形ではなかったろう、ってギャラリーの人は言ってたが、自分もそう思う
考え方は似てるが、最終的なアウトプットはあんま似てない

また、関根伸夫と高松次郎の接点は、多摩美がそれで、関根伸夫が斎藤義重研究室にいたとき、高松は先生として多摩美にいってる(と教えてもらった
のでかなり早期から接点はある
また、たしか多摩美閉鎖中(学園闘争で)に斎藤義重が学外でひらいたいわゆる「Bゼミ」で、高松次郎も教えてたと思うので、その辺も接点としては考えられる(Bゼミってのは教える内容の段階で高松はもっと実践教えてたのでゼミ名はほんとは違うけど便宜的にBゼミと書いておく)

▼高松のトリック・アート的側面

これも彦坂が指摘しているところだが、高松次郎にはトリック・アート的な側面もある
今回展示されていた立体が好例だが、だまし絵というか錯視の効果を狙った作品だ
代表作である(さっき言った)遠近法のテーブルもそうだ

彦坂は「もの派」批判として展開している(もの派っていうよりトリック寄りの人も「もの派」に含めてんじゃん!的な)が、面倒なのでそれは置いとくとして、高松の幾何学的な構想とか発想がルウィットと似ているのはあくまで結果なんじゃないか?という気がしないでもない

遠近法シリーズに代表されるように、高松はトリックや錯視を使う作家でもあり、(このあと70年代後半で大流行する)エッシャーを引き合いに出すまでもなく、そういう作品のためには幾何学は必須になるからだ

まあ、ちゃんと資料に当たらないとわからんのだけど、その辺、作家の当時の意図、については今後も自分の中で気にしてみてきいたいと思った

おわり

かんぜんに偶然なんだけど、自分がちょうど興味ある時代の人たちの展示がドバドバでてきてビビる
とりあえず駆け足でみてきたが、この高松・ルウィット展はその中でもクリーンヒットのど真ん中

あとはTARO NASUでやっている松谷武判「Matsutani Hardedge 1970’s」
(松谷は元具体の人

国立近代美術館でやってる所蔵作品展「MOMATコレクション」

この近美のやつすごくて、マジで興奮したのでたぶん近々noteにすると思われ

そんでは

参考資料:コンセプチュアル・アートについての文章

ソル・ルウィットがマニュフェストを書いたというようなことを前の方で書いたが、pdfが転がっていたので翻訳してここに転載しておく

コンセプチュアル・アートについての文章
ソル・ルウィット

1 - コンセプチュアル・アーティストは合理主義者というよりむしろ神秘主義者である。彼らは論理では到達できない結論にに飛躍する。
2 - 合理的な判断は合理的な判断を繰り返す。
3 - 非論理的な判断は新しい経験をもたらす。
4 - 形式芸術は本質的に合理的である。
5 - 非合理的な思考は、絶対的かつ論理的に従うべきである。
6 - もし芸術家が作品の実行の途中で考えを変えたなら、彼は妥協する。
過去の結果を繰り返すことになる。
7 - アーティストの意志は、アイデアから完成に至るプロセスにおいては二の次である。彼の意志の強さはエゴでしかないかもしれない。
8 - 絵画や彫刻といった言葉が使われるとき、それは伝統全体を意味し、その結果、その伝統の受容を意味する。その結果、この伝統を受け入れることを意味し、芸術家に制限を与える。その制限を超える芸術を作ることに消極的になる。
9 - コンセプトとアイデアは異なる。前者が一般的な方向性を意味するのに対し、後者は構成要素である。アイデアはコンセプトを実現する。
10 - アイデアだけでも芸術作品になる。
何らかの形になる。すべてのアイデアが物理的に作られる必要はない。
11 - アイデアは必ずしも論理的な順序で進むとは限らない。思いがけない方向へ向かうこともある。しかし、あるアイデアが頭の中で完成されなければ、次のアイデアは生まれない。
12 - 身体化する芸術作品には、そうならないバリエーションがたくさんある。
13 - 芸術作品は、アーティストの心から鑑賞者への伝導体として理解されるかもしれない。しかし鑑賞者に届くことはないかもしれないし、芸術家の心を離れることはないかもしれない。
14 - ある芸術家が別の芸術家に語る言葉は、彼らが同じコンセプトを共有していれば、アイデアの連鎖を引き起こすかもしれない。
15 - どのような形式も、本質的に他の形式より優れているわけではないので、芸術家は、(書かれた、あるいは話された)言葉の表現から、物理的な現実まで、どのような形式も等しく用いることができる。
16 - 言葉が使われ、それが芸術についての考えから生じたものであれば、それは芸術であって文学ではない;数字は数学ではない。
17 - もしそれが芸術に関するものであり、芸術の慣習の中にあるならば、すべての考えは芸術である。
18 - 人は通常、現在の慣習を適用することによって過去の芸術を理解する。
過去の芸術を誤解する。
19 - 芸術の慣習は、芸術作品によって変化する。
20 - 成功した芸術は、われわれの知覚を変化させることによって、定石に対するわれわれの理解を変化させる。
21 - アイデアの知覚は、新しいアイデアにつながる。
22 - 芸術家は自分の芸術を想像することはできないし、完成するまでそれを知覚することもできない。
23 - ある芸術家は、芸術作品を誤認(その芸術家とは異なる理解)することがあるが、それでもなお、その誤認によって自分の思考の連鎖を狂わされることがある。その誤認によって、彼自身の思考の連鎖が狂ってしまう。
24 - 認識は主観的なものである。
25 - 芸術家は必ずしも自分の芸術を理解しているとは限らない。彼の知覚は他人の知覚より優れているわけでも劣っているわけでもない。他人のそれよりも劣っているわけでもない。
26 - 芸術家は、他人の芸術を自分の芸術よりもよく知覚するかもしれない。
27 - 芸術作品のコンセプトには、作品の問題や制作過程が含まれることがある。
28 - 作家の頭の中で作品の構想が確立され、最終的な形が決まると、その過程はやみくもに行われる。プロセスはやみくもに進められる。アーティストが想像もつかないような副作用がたくさんある。これらはを新しい作品のアイデアとして使うことができる。
29 - プロセスは機械的なものであり、手を加えてはならない。自然の流れに任せるべきだ。
30 - 芸術作品には多くの要素が関わっている。最も重要なものは、最も明白なものである。
31 - もし芸術家が同じ形を作品群で使い、素材を変えたとしたら、人はその芸術家のコンセプトがその作品に関係していると考えるだろう。アーティストのコンセプトがその素材に関与していると考えるだろう。
32 - 平凡なアイデアは、美しい実行によって救われることはない。
33 - 良いアイデアを台無しにするのは難しい。
34 - 芸術家が自分の技術を学びすぎると、巧妙な芸術を作ることになる。
35 「これらの文章は芸術についてコメントしているが、芸術ではない。

この文章の初出は『0-9』No. 5 (1969年1月), pp. 3–5

翻訳DeepL 一部欠けなどは記事執筆者が修正


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?