藝祭2023のかんそうと「60年前の美大生」が言ってたことについて
あんま行くつもりはなかったが、当日外でたらそこまで暑くなかったので行くか!となって藝大に見に行ってしまった・・・
なんかその後「藝大おじさん」が話題になってて「え? もしかして自分?」とか思って震えてる
まあ挨拶はそんなところにして、とりあえず「こんなん見ました~ めちゃ良い!」だけだとつまらんので、最近読んだ美術手帖61年5月号(第188号)が「美術学校になにを学ぶか」特集だったため、そこに載ってた60年前の美大生(卒業生)のコメントもあわせて記事にした
尚、文中敬称略
以下めっちゃ良い!などと思ったやつ
とりあげの基準
あんまりにも洗練されすぎてるやつは意図的に外した
これもう売れてるやろ!みたいなのはどうせみんな紹介する(というかされていた)と思うので、自分はスルー
とはいえ、とうぜん被ってるのもあると思うのでそこは不徹底
めんご
単璐薇 Luwei Shan,
The Remains of the Day
見た場所は工芸科の染色だったと思う(あやふや
すでに個展とかやってる作家なのでいきなり基準的に微妙なラインだが、まあいいってことよ
テキスタイルのところにあった作品で一番、作品らしさというか、メッセージ性を感じた
1枚目の写真に入ってる文言、これ肉眼でみたときはすごくみにくくて、写真にとったら見えるという、なんか不思議なことが起きてる文字なんだけど、たぶん「這個世界會好嗎」だと思われる(というタイトルの有名楽曲がある
「世界は大丈夫なのか?」っていうくらいの意味っぽいが、いまのこの時代、この数年間に中国語で提示されると、ものすごく重い気持ちになるセリフ
麻の乱れるように、ということばがあるが、ほんとうに我々のいまのこの日常の日々がこの布のように乱れて散り散りになってしまうという予感というか確信を突きつけてるいい作品だと自分は思ったっすね
都澤円,
四神記『青龍・朱雀・白虎・玄武』
若干中二っぽいというか田中芳樹くらいの世代感を感じてしまうタイトルだが、立体造形物としてすげえよくできてた
いやこれぜんぜん売れるでしょ!と思ったね(とりあげ基準からの逸脱
こないだの東京現代で工芸よりのブースに置いてあっても違和感ないっす
それがいいことかどうかは別にして
緒方盛元,
オリジナルサウンドトラックVol.1 ~抽出物を啜り飲む~
いまだに本当にこれがタイトルなのか疑ってんだけど、自分の写真を信じるしかない状況
なんかすごい変なとこに飾ってあった作品なんだけどバランスがよいのとかわいいので非常に印象に残った
ぶっちゃけどっかの個展で見てたら買ってたね たぶんね
(プライスリストがないときは強気
よくみるとわかるんだけど、なんか瘢痕のような、突起を押し当てたような痕がある が、それが何なのかはもちろんわからん
で、額縁っぽいものも、なんか絵と一体になってて、そもそもここまで画材なんじゃね?という印象(MDFっぽい
さらに画材が謎で
MDF(木材ボード)、油彩まではいいとして
「コーラルマウンテン」はコーヒー豆である 「20g」って多いんだか少ないんだかもわからん
コーヒーで着色したんかな、という感じなんだけど、だとしたらタイトルもなんか納得する
いい風合いあって、自分はとてもいい作品だと思ったっすね
Dominika Soroka,
題名不詳の作品群
この人が何者だかもわかってないんだけど、絵画棟の廊下に貼ってあった版画(?だと思う)がよかった
(版画研究室のRESEARCHERとしてDominika という人がいるので、その人だと思われ
昔のゲームブックに載ってそうな迫力
ウィリアム・ブレイクを思い出すような感じ
銀山めい,
blending (ocean)
魚類の版画だってぱっと見思うんだけど、目つきが胡乱で気持ち悪さを感じる作品
版画は、昔から海図とかに載ってる「未知の怪物」を表現してきた方法だからか、未知の怪物感が手法からも暗示され、なんともいえない不気味さをかもしだしてるんだけど、よくみるとそいつらは人の目をしている、という鏡像的な構造をもってる作品だった
ちょっとガラスが反射してうまく撮れなかったのが申し訳ないがこれが俺の精一杯なんだぜ!
作家のステートメントも掲示されていたので以下ocrでどうぞ
フランケン・キャスリン,
あのワニ / 次はのどぐろだ!
最初に言っとくと、この作家はめっちゃSNSでも挙げてる人多い…
が、写真がんばって撮っちゃったので挙げとく
まあ作品おもしろかったのでええやろ
ステートメントは以下
うん、わからん!
まあ白いので「うおお! アルビノ・アリゲーターやん!」ってテンションが上がって写真とってしまっただけなので自分も同罪だ
ステートメントあるんだけど、アホっぽい話なのでスルー
生魚が食えるようになって次はのどぐろ食いたいみたいな話だった
(間違ってたらすまん
この作品、あたまのところの魚部分が立体になんだけど、画面との融合具合がすごく、造形レベルが高かったのが印象的
ひとつ文句言っておくと、お嬢さんムーブすぎるんじゃね?(のどぐろ感)ってことなんだけど、いまどき美大に入るような人に質素なふりしろ、っていうのも誠実じゃない気もするので、むしろいっそお嬢様道を突き抜けていってほしいと思った
かねこもえ,
SHOP
個人的な事情とか感情で制作する人が多いのに、みんなやたらデカイ絵にしたり、無理して社会と接続して誇大妄想的になってるところで、この作品は自分の欲望というか、表現したいものと表現の程度が釣り合っているように思えた
正面から撮ると藝大おじさんの顔が映ってしまうため斜めからでしか撮れないんだぜ
こういう作品を作り続けることも立派な制作である
関谷晴菜,
題名不詳の作品群
作家の名前は せきや・はな と読むっぽい(インスタが情報源
昨今アニメ文脈からのキャラクター絵画もちまたにあふれていて、この作家もその文脈といえるんだけど、ちょっと違うのは、だいたいちまたのは2000年代以降、つまり「涼宮ハルヒ」「けいおん」以降の京アニ、シャフトのアニメ文脈に掉さしているのに対し、この作家はあきらかに80~90年代アニメの風潮を体現しているとこ
具体的にいうと、たぶん初代「機動警察パトレイバー the movie」くらいの感じで、「AKIRA」「オネアミス」ほど古くはないが、「エヴァンゲリオン」よりは明らかに昔、くらいの時代感だ
(もしかしたらもっとふるくて「うろつき童子」とか「獣兵衛忍法帖」とかの参照の可能性もあるが、違うじゃろとささやくのよ、私のゴーストが
もうガチでセル画表現
ここまでちゃんとやってるのってあんまないと思う
この感じっすよ
誰か特定のアニメーターのキャラ造形って感じしない
けど、あきらかに(陰影のつけ方とかで)昔っぽさが伝わる
これもいい作品!
矢作俊彦と組んでなんかやってたころの大友克洋っぽさ!
(たんに色彩のトーンのせいかもしんないけど、背景も大友の童夢→士郎正宗→二瓶勉とつながる伝統芸の雰囲気
ただ、キャラクター造形は大友の時代より最近で、「レベルE」くらいの富樫っぽさも感じる
・・・という時代を超えた夢のハイブリッド
これはマジでいいと思いました(まる)
後藤美里,
Reaching for / Cloud
まとまった作品で、支持体ふくめてきれいに仕上がってた
よくあるっていえばよくあるのかもしんないけど、きっちりした仕事で完成度高いのは素晴らしいと思った
作家名不詳,
題名不詳の作品
すげえな! 何もわかんねえや!
たぶんインスタのアカウントはわかったのでそれを張っておく
https://www.instagram.com/ink_ink_inks/
ちな写真のQRコードで𝕏のアカウントはいけるんだけど、そこに作家名とか書いてあるわけでもねえので本当になんもわからんくて笑った
このオブジェはほかに展示されてた同一作家の絵画作品とモチーフというか記号の連続性があり、これ単品でみてもなんか味があるような気がしたのでちゃんと成立してそうと思う
というところで感想編はおわり
とりあえず全体の印象
制作のモチベーションとしては以下の3つくらいな感じにみえた(といいつつ4つ書いた)
マーケットドリブン:5%くらい
売りたい、というか今まさに売ってる!人たち
いちばんキラキラ、ギラギラしてる自分病んでるんで:15%くらい
不幸自慢、らんま1/2の獅子咆哮弾的な戦い(より不幸な方が勝つとにかくやる気がねえ:70%くらい
「カス展」というモチベーションがカスな人たちが集まった展示をしていたが、基本的にみんな低空飛行で一刻もはやく学校をやめたがっているその他:10%くらい
たぶんなんかの動機をもっている独立独歩勢でじきに学校来なくなる
人の人生なんで勝手にシロクマなわけだが、そんなにいやならやめちまえよと思わないでもない・・・
で、冒頭にいった通り、たまたまなんだけど最近よんでた昔の美術手帖に60年前の美大生たちがどんな風に思ってたか?っていう特集があったので、比較検討のために以下にまとめる
60年前の美大生の声
掲載誌
ちな画像は国会図書館デジタルアーカイブ→印刷申請→スマホで撮影、という最高にアホな手順で手に入れたものなので著作権法的に問題ないはず
※と思ってたら、ぜんぜんあかんかったので消した
特集の出だしはこんな感じ
いまの倍率しらんけど、この当時(1961年当時)で14.5倍ってのはなかなかの倍率である
で、特集はこのまま元学生たちのコメントに移るわけだが、
けっこうな分量あるので部分にする
名前はいちおうイニシャルにしておいた(原著は実名
年表記は「昭和」、なので自分で計算して
◆「絵の周辺だけを彩る生活」S.Y 芸大油画科
芸大油画科34年卒、同専攻科36年卒
のっけから笑う 行きの列車でこれはうざすぎるだろ
というのがどういうことかというと
何を描くか、という一番大事な部分が素通り、というのはよく受験絵画でもいわれることだ
また、いまとちょっと状況が違うのはこの当時、1956年(昭和31年)の暮れに例のアンフォルメル旋風というのが起きて、フォーヴ→キュビズムが一気に陳腐化したというか、もう具象はダメ!みたいな話になった直後である点
タブローなんていらんみたいな話されてるときに、裸婦デッサンやってていいのか?と学生が思うのは当然だろ
これを繰り返してればたしかに「カス展」が開催されるような気がする
引用ながくなったのでこの話のオチだけ引いておわる
◆「抵抗だけが描くエネルギーではない」M.Y 芸大油画科
芸大油画科35年卒
けっこう同じ不満を書いてる
「明けても暮れても教室に裸のモデルがいるところ」「これを三年半続けてやっと卒業制作になると、またもやモチーフは人物」
という状況なんだけど、実際の世界は
この「世界・今日の美術展」というのがさっき書いた56年のアンフォルメル旋風のきっかけなった展示である
が、ちょっと複雑なのは、翌1957年にもタピエが来日し、「世界・現代美術展」というのを開催しており、自分はこっちのが本当に美術界を吹っ飛ばしたんじゃないかと思っている
なんでかっていうと、57年の「世界・現代美術展」には
ポロック、サム・フランシス、デ・クーニング、デュビュッフェ、フォンタナ、白髪一雄、田中敦子らのガチ勢が出てきたからだ
脇田和、山口薫が最先端だった日本とは戦闘力差がありすぎる・・・
パリ中心主義だった日本画壇は、実は覇権をとっていたアメリカの作家、さらには(無視してた関西の)具体美術運動の一団に殴り掛かれ、完全に下剋上されてしまったってのが実態なんじゃないかと思う
(アンフォルメルとかそういう話じゃなく現代美術の洗礼
で、そういう状況なんだけど、学校は特にかわらない、という話なんだが、美術界がちゃんと具体とか認め始めるのはさらに5年後くらいなので、まあ学校は無理だろう
この作家はいたずらに抵抗して無駄な労力を使うな、と警告している。
これは達観した意見だと思う。
◆「創作とは無縁な私塾の幻影」K.H 芸大彫刻科
芸大彫刻科34年卒
すげえ論理的! あたまよい
ほげー!! 言われとるで、先生ぇ・・・
ちなみに「おだ」とは
「かってに気炎を上げること。「―を上げる」」
という意味らしいっす
この「そこ」というのは、「教室制度というゼミ形式のものをゼミとして捉えず、私塾として考えるとこ」をさしてる
なんか徒弟制度的になっちゃってるよ、ということだろう
で、この作家はデパートで展示をしようとするんだけど、
商売人は生き馬の目を抜いて生きてるので、甘い評価はしない
なんかちょっと前にパブリックアートが撤去されるとかデパートに押し掛けた人たちもいたが・・・
この作家の偉いとこは「Mデパート宣伝部長氏こそ、最も早くぼくらの主張を感知した立派な観賞者」だと思い、「あの人の名前は覚えておこう。」と結んでいるところだ。
実際、この宣伝部長が一番作品を真剣に吟味したのは間違いない。
◆「がむしゃらな制作意欲にだけ駆られる」岡崎紀 多摩美大絵画科
多摩美大絵画科35年卒
なんでこの作家だけイニシャルじゃないかというと、多摩美の先生になったから
やべえ、めっちゃポジティブ!
やっぱ学校にハマる人はいるんだな、という印象
教員になることは、、、まあ絵で生活できたってことなんだろう
素晴らしいこってす
◆「タブローを作る基礎トレーニング」福島誠 武藏野美校西洋画科
武藏野美校西洋画科35年卒
ムサビ卒だけどこの作家も多摩美の先生になったので名前そのまま
(他にもいるんじゃないかと思うが調べる気がない・・・
石膏デッサンとかに対してこの作家は
と、かなり肯定的。
やっぱこうじゃねえと美大の先生にはなれないだろ、そりゃという気持ち
団体公募展系も積極的に使っていく派である
やっぱり体制順応度が高い!!
◆「すべて自分自身で学びとるだけ」I.Y 女子美大日本画科
女子美大日本画科35年卒
サラブレッドじゃん! と思いつつ、名前をイニシャルにする意味があるん?とも思ったがまあいいだろう
ひどすぎん?と思ったが、ちょっと女子美はひどかったのかもしんない
(この10年くらい前に女子美を取材してる記事あったが、生徒がみんなやる気ない、みたいな感じのレポートだった
出たっ! 講評拒否!! (講評不能、か
まあ、それはそうなんじゃないか
何しろ先生は先生であって、作家一本で食ってるわけじゃない、という根本的矛盾がある
なので美大教育で育成できるのは、作家ではなく、美大の先生なのかもしれない
(実際、学校に順応した岡崎氏や福島氏は立派な教員になったわけだし・・・
◆「自律性と問題意識をデッサンする」K.T 日大美術学科
日大美術学科36年卒
のっけから「大学からは芸術は生まれなかったし、また
生まれないだろう」と結論づけているが、その理由は
はい、、、という感じだ
そもそも組織ってのは時代からズレるもんだし・・・
これは明確に残ってるでしょ
むしろこの時代より、いまの方が明確にルートとしてありそう
(賞レース、審査員選出、出品作家の選好、そして教員へ
という言葉でこの作家は未来への意気込みを語っている
まあ、自力でやるしかねえ、ってことだろう
おわりに 60年前と比べてどうよ
どうなんすかね
自分は部外者なんでアレなんだけど、、、、
引き分け:先生が○○、なとこは変わってなさそう
現在に- :美術界が停滞してるぶん、空気はいまの方が悪そう
現在に++:食ってける率はマーケットがあるいまの方がよい
現在に- :学生のやる気は過去の方がありそう(女子美は怪しいが
プラマイゼロ、よくも悪くもなってないんじゃないか説
という感じで終わる
また60年後にどうなってるか見ものだが、たぶん何もかもなくなってるんじゃないか
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