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藝祭2023のかんそうと「60年前の美大生」が言ってたことについて

あんま行くつもりはなかったが、当日外でたらそこまで暑くなかったので行くか!となって藝大に見に行ってしまった・・・

なんかその後「藝大おじさん」が話題になってて「え? もしかして自分?」とか思って震えてる

まあ挨拶はそんなところにして、とりあえず「こんなん見ました~ めちゃ良い!」だけだとつまらんので、最近読んだ美術手帖61年5月号(第188号)が「美術学校になにを学ぶか」特集だったため、そこに載ってた60年前の美大生(卒業生)のコメントもあわせて記事にした

尚、文中敬称略


以下めっちゃ良い!などと思ったやつ

とりあげの基準

あんまりにも洗練されすぎてるやつは意図的に外した
これもう売れてるやろ!みたいなのはどうせみんな紹介する(というかされていた)と思うので、自分はスルー

とはいえ、とうぜん被ってるのもあると思うのでそこは不徹底
めんご


単璐薇 Luwei Shan, 
The Remains of the Day

見た場所は工芸科の染色だったと思う(あやふや
すでに個展とかやってる作家なのでいきなり基準的に微妙なラインだが、まあいいってことよ

The Remains of the Day, 2022
左半分 這個世界會好嗎?
もう半分だがこれでも切れてる・・・ 写真適当でごめんよ

テキスタイルのところにあった作品で一番、作品らしさというか、メッセージ性を感じた

1枚目の写真に入ってる文言、これ肉眼でみたときはすごくみにくくて、写真にとったら見えるという、なんか不思議なことが起きてる文字なんだけど、たぶん「這個世界會好嗎」だと思われる(というタイトルの有名楽曲がある

「世界は大丈夫なのか?」っていうくらいの意味っぽいが、いまのこの時代、この数年間に中国語で提示されると、ものすごく重い気持ちになるセリフ

麻の乱れるように、ということばがあるが、ほんとうに我々のいまのこの日常の日々がこの布のように乱れて散り散りになってしまうという予感というか確信を突きつけてるいい作品だと自分は思ったっすね


都澤円, 
四神記『青龍・朱雀・白虎・玄武』

若干中二っぽいというか田中芳樹くらいの世代感を感じてしまうタイトルだが、立体造形物としてすげえよくできてた
いやこれぜんぜん売れるでしょ!と思ったね(とりあげ基準からの逸脱

こないだの東京現代で工芸よりのブースに置いてあっても違和感ないっす
それがいいことかどうかは別にして


緒方盛元, 
オリジナルサウンドトラックVol.1 ~抽出物を啜り飲む~

いまだに本当にこれがタイトルなのか疑ってんだけど、自分の写真を信じるしかない状況

なんかすごい変なとこに飾ってあった作品なんだけどバランスがよいのとかわいいので非常に印象に残った
ぶっちゃけどっかの個展で見てたら買ってたね たぶんね
(プライスリストがないときは強気

オリジナルサウンドトラックVol.1 ~抽出物を啜り飲む~, 2023

よくみるとわかるんだけど、なんか瘢痕のような、突起を押し当てたような痕がある が、それが何なのかはもちろんわからん

で、額縁っぽいものも、なんか絵と一体になってて、そもそもここまで画材なんじゃね?という印象(MDFっぽい

さらに画材が謎

わかる? これやで、これ

MDF(木材ボード)、油彩まではいいとして
「コーラルマウンテン」はコーヒー豆である 「20g」って多いんだか少ないんだかもわからん

コーヒーで着色したんかな、という感じなんだけど、だとしたらタイトルもなんか納得する
いい風合いあって、自分はとてもいい作品だと思ったっすね


Dominika Soroka, 
題名不詳の作品群

この人が何者だかもわかってないんだけど、絵画棟の廊下に貼ってあった版画(?だと思う)がよかった
(版画研究室のRESEARCHERとしてDominika という人がいるので、その人だと思われ

昔のゲームブックに載ってそうな迫力
ウィリアム・ブレイクを思い出すような感じ

タイトル不明
タイトル不明

銀山めい, 
blending (ocean)

魚類の版画だってぱっと見思うんだけど、目つきが胡乱で気持ち悪さを感じる作品
版画は、昔から海図とかに載ってる「未知の怪物」を表現してきた方法だからか、未知の怪物感が手法からも暗示され、なんともいえない不気味さをかもしだしてるんだけど、よくみるとそいつらは人の目をしている、という鏡像的な構造をもってる作品だった

ちょっとガラスが反射してうまく撮れなかったのが申し訳ないがこれが俺の精一杯なんだぜ!

blending (ocean), 2023
部分
同じく部分

作家のステートメントも掲示されていたので以下ocrでどうぞ

この作品の中には複数の海の生き物がランダムに並べられ、リトグラフで刷られている。
よく見るといくつかは海の生き物の目を持っておらず、 人間の目を持っている。 その生物の持つ表情は生物らしい表情とも言い切れず、 人間の表情とも言い切れない。
この作品ではただ海にいる魚や貝を描いただけではない。 どちらとも言い切れない 「存在」を描いている。
この 「存在」 たちの混じりは、作者の日本とアメリカという2つの環境で育ったバックグラウンドが関わっている。
どちらにもなりきれず曖昧に感じる 「存在」 たちの混じり合い (多様性)を版画というメディアを通し、表現しようと挑んでいる。

銀山めい
blending (ocean)
2023
lithograph, gampi paper, ink
500x640mm

原典にある英文は内容同一だと思うので割愛

フランケン・キャスリン, 
あのワニ / 次はのどぐろだ!

最初に言っとくと、この作家はめっちゃSNSでも挙げてる人多い…
が、写真がんばって撮っちゃったので挙げとく
まあ作品おもしろかったのでええやろ

あのワニ, 2022

ステートメントは以下

あのワニ フランケン キャスリン
2022 布、綿、 粘土、アクリル絵具、 メディウム

いつもの暗い帰り道を歩くナタリー、 点滅する街灯と共
に大きいワニが現れた。
そのワニは望みを何でも一つ叶えてあげると申し出た。
失踪した父にもう一度会いたい夢を叶えるため、
ナタリーはハニの國へとついて行くのであった。

物欲しそうな視線が刺さる、 ワニがうろつく紅灯の巷を
通り抜けると景色が一変し静かな丘陵へと変わった。
頂上には大きな竜血樹とキラキラ光る石に囲われた
小さな池があった。

池を覗き込むとじんわりと人影が現れてきて、なにか
見覚えのある姿が浮かび上がった。
だがすぐにその優しいフォルムは鋭く尖った牙に変わ
りあのワニの大きな口へと変わった。 振り向くと同じ光
景が目の前まで迫ってきていた。 危機一髪で避けた
ナタリーはすぐさま来た道を全力で駆け逃げていった。

家にやっとたどり着いたナタリーは母に
「父に会った」と伝えた。

原典には英文あったが同一っぽいので割愛

うん、わからん!
まあ白いので「うおお! アルビノ・アリゲーターやん!」ってテンションが上がって写真とってしまっただけなので自分も同罪だ

次はのどぐろだ!-再漁-, 2023

ステートメントあるんだけど、アホっぽい話なのでスルー
生魚が食えるようになって次はのどぐろ食いたいみたいな話だった
(間違ってたらすまん

この作品、あたまのところの魚部分が立体になんだけど、画面との融合具合がすごく、造形レベルが高かったのが印象的

ひとつ文句言っておくと、お嬢さんムーブすぎるんじゃね?(のどぐろ感)ってことなんだけど、いまどき美大に入るような人に質素なふりしろ、っていうのも誠実じゃない気もするので、むしろいっそお嬢様道を突き抜けていってほしいと思った


かねこもえ, 
SHOP

個人的な事情とか感情で制作する人が多いのに、みんなやたらデカイ絵にしたり、無理して社会と接続して誇大妄想的になってるところで、この作品は自分の欲望というか、表現したいものと表現の程度が釣り合っているように思えた

SHOP, 制作年度不明

正面から撮ると藝大おじさんの顔が映ってしまうため斜めからでしか撮れないんだぜ

こういう作品を作り続けることも立派な制作である


関谷晴菜, 
題名不詳の作品群

作家の名前は せきや・はな と読むっぽい(インスタが情報源

昨今アニメ文脈からのキャラクター絵画もちまたにあふれていて、この作家もその文脈といえるんだけど、ちょっと違うのは、だいたいちまたのは2000年代以降、つまり「涼宮ハルヒ」「けいおん」以降の京アニ、シャフトのアニメ文脈に掉さしているのに対し、この作家はあきらかに80~90年代アニメの風潮を体現しているとこ

具体的にいうと、たぶん初代「機動警察パトレイバー the movie」くらいの感じで、「AKIRA」「オネアミス」ほど古くはないが、「エヴァンゲリオン」よりは明らかに昔、くらいの時代感
(もしかしたらもっとふるくて「うろつき童子」とか「獣兵衛忍法帖」とかの参照の可能性もあるが、違うじゃろとささやくのよ、私のゴーストが

タイトル不明

もうガチでセル画表現
ここまでちゃんとやってるのってあんまないと思う

上のと同じ作品

この感じっすよ
誰か特定のアニメーターのキャラ造形って感じしない
けど、あきらかに(陰影のつけ方とかで)昔っぽさが伝わる

タイトル不明

これもいい作品!
矢作俊彦と組んでなんかやってたころの大友克洋っぽさ!
(たんに色彩のトーンのせいかもしんないけど、背景も大友の童夢→士郎正宗→二瓶勉とつながる伝統芸の雰囲気

ただ、キャラクター造形は大友の時代より最近で、「レベルE」くらいの富樫っぽさも感じる

・・・という時代を超えた夢のハイブリッド
これはマジでいいと思いました(まる)


後藤美里, 
Reaching for / Cloud

まとまった作品で、支持体ふくめてきれいに仕上がってた
よくあるっていえばよくあるのかもしんないけど、きっちりした仕事で完成度高いのは素晴らしいと思った

Reaching for, 制作年度不詳
Cloud, 制作年度不詳

作家名不詳,
題名不詳の作品

すげえな! 何もわかんねえや!
たぶんインスタのアカウントはわかったのでそれを張っておく

https://www.instagram.com/ink_ink_inks/ 

作品名不明, 制作年度不明

ちな写真のQRコードで𝕏のアカウントはいけるんだけど、そこに作家名とか書いてあるわけでもねえので本当になんもわからんくて笑った

このオブジェはほかに展示されてた同一作家の絵画作品とモチーフというか記号の連続性があり、これ単品でみてもなんか味があるような気がしたのでちゃんと成立してそうと思う


というところで感想編はおわり

とりあえず全体の印象

制作のモチベーションとしては以下の3つくらいな感じにみえた(といいつつ4つ書いた)

  1. マーケットドリブン:5%くらい
    売りたい、というか今まさに売ってる!人たち
    いちばんキラキラ、ギラギラしてる

  2. 自分病んでるんで:15%くらい
    不幸自慢、らんま1/2の獅子咆哮弾的な戦い(より不幸な方が勝つ

  3. とにかくやる気がねえ:70%くらい
    「カス展」というモチベーションがカスな人たちが集まった展示をしていたが、基本的にみんな低空飛行で一刻もはやく学校をやめたがっている

  4. その他:10%くらい
    たぶんなんかの動機をもっている独立独歩勢でじきに学校来なくなる

人の人生なんで勝手にシロクマなわけだが、そんなにいやならやめちまえよと思わないでもない・・・

で、冒頭にいった通り、たまたまなんだけど最近よんでた昔の美術手帖に60年前の美大生たちがどんな風に思ってたか?っていう特集があったので、比較検討のために以下にまとめる

60年前の美大生の声

掲載誌

美術手帖 1961年5月号, 美術出版社
現在の出版社は カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社

ちな画像は国会図書館デジタルアーカイブ→印刷申請→スマホで撮影、という最高にアホな手順で手に入れたものなので著作権法的に問題ないはず

※と思ってたら、ぜんぜんあかんかったので消した

特集の出だしはこんな感じ

美術学校になにを学ぶか

卒業生の立場から

十四・五倍….……。これは芸大油絵科の今年
の入試競争率だが、この狭き門を運よくバス
したにしても、彼らを待つ”芸術”への道は
さらに狭く険しい。東京だけでも、芸大の他
多摩美大、武蔵野美校、女子美大、日大芸術
学部と美術学校の数は多いが、彼ら画学生は
そこで何を学び、何を得ることができるか。
以下は、本誌のその問いに対する各美術学
校卒業生の回答と、美術教育の場にある画家
伊藤廉、山本正氏の発言、それに評論家針生
一郎氏の、各美術学校卒業制作展に触れての
論評と提言である。

同書より 印刷→画像→画像ocr

いまの倍率しらんけど、この当時(1961年当時)で14.5倍ってのはなかなかの倍率である

で、特集はこのまま元学生たちのコメントに移るわけだが、

  • けっこうな分量あるので部分にする

  • 名前はいちおうイニシャルにしておいた(原著は実名

  • 年表記は「昭和」、なので自分で計算して

◆「絵の周辺だけを彩る生活」S.Y 芸大油画科

芸大油画科34年卒、同専攻科36年卒

東京へ向かう汽車に乗り込んだ時、私は突
然一人の男に話しかけられた。数年前美校を
卒業したというその男は、私がこれから芸大
へ入るのだと知ると、しきりに学校で絵を学
ぶことの無意味さを説いた。
「だが悲しむこ
とはないさ。四年間の青春はあの学校にはあ
るんだから。」と、在学中の愉快な奇行をな
つかしげに語り、私をなぐさめもした。

太字は記事執筆者
以下特記なければ同じ

のっけから笑う 行きの列車でこれはうざすぎるだろ

美術学校だから絵を描いている光景はざらに見られる。
だが私がこれらの光景に見出したものは、ふしぎなことに
絵画の不在であった。

というのがどういうことかというと

 私は何よりもまず、発想や方法が型に堕す
るのを恐れた。そして、絵画にもっとも重要
と思われる内部のイメージの問題が素通りさ
れているのも不満であった
。私は教室でモデ
ルに向き合いながら、「裸婦を描いて、この
複雑な現代をはたして表現できるか?」など
と、クソ真面目に考えていた。
笑いごとでは
ない。

何を描くか、という一番大事な部分が素通り、というのはよく受験絵画でもいわれることだ

また、いまとちょっと状況が違うのはこの当時、1956年(昭和31年)の暮れに例のアンフォルメル旋風というのが起きて、フォーヴ→キュビズムが一気に陳腐化したというか、もう具象はダメ!みたいな話になった直後である点

タブローなんていらんみたいな話されてるときに、裸婦デッサンやってていいのか?と学生が思うのは当然だろ

 みずからの趣向で選んだとはいえない対象
に向かって、開始のベルが鳴るといっせいに
筆を動かすのもおかしなことである。そこに
はたしかに絵かきはいた。だがポーズの終わ
りを告げるベルとともに、一人の絵かきは消
え失せ、芸術家を気取るだけの平凡な男が取
り残される。彼に絵筆を取らせたものが、彼
の芸術的表現意欲などではなく、ただの開始
のベルの音だとも気づかずに、一日の仕事を
成し終えたサラリーマンの解放された気分で
校門を出る。
「卒業してから十年描き続けら
れたらどうにかなる」と教授はいう。その十
年続けられるものが、五人といないというこ
とである。学校を出てからはポーズを催促す
るベルは鳴ってはくれない。

これを繰り返してればたしかに「カス展」が開催されるような気がする
引用ながくなったのでこの話のオチだけ引いておわる

 先日、銀座へ出かけた時、汽車の中で話し
かけてきた男を見かけた。彼は街頭の真中で
外人を相手に一心に似顔絵を描いていた。

◆「抵抗だけが描くエネルギーではない」M.Y 芸大油画科

芸大油画科35年卒

けっこう同じ不満を書いてる
「明けても暮れても教室に裸のモデルがいるところ」「これを三年半続けてやっと卒業制作になると、またもやモチーフは人物」
という状況なんだけど、実際の世界は

 私が入学したのは一九五六年で、教室の外
では「世界・今日の美術展」がはなばなしく
開かれ、美術界に大きく揺れ動いていたので
す。
一人一人の胸の中には教室制作と美術界
の動きとのギャップがあったにしても、ここ
の表面の無頓着なまでののどかさはいらだた
しく、平凡な抵抗が次第に消極的になった三
年生のころ、ここのアカデミズムは私の抵抗
ぐらいではどうにもならない根強いものであ
ることに気がつきました。

この「世界・今日の美術展」というのがさっき書いた56年のアンフォルメル旋風のきっかけなった展示である
が、ちょっと複雑なのは、翌1957年にもタピエが来日し、「世界・現代美術展」というのを開催しており、自分はこっちのが本当に美術界を吹っ飛ばしたんじゃないかと思っている

なんでかっていうと、57年の「世界・現代美術展」には
ポロック、サム・フランシス、デ・クーニング、デュビュッフェ、フォンタナ、白髪一雄、田中敦子らのガチ勢が出てきたからだ
脇田和、山口薫が最先端だった日本とは戦闘力差がありすぎる・・・

パリ中心主義だった日本画壇は、実は覇権をとっていたアメリカの作家、さらには(無視してた関西の)具体美術運動の一団に殴り掛かれ、完全に下剋上されてしまったってのが実態なんじゃないかと思う
(アンフォルメルとかそういう話じゃなく現代美術の洗礼

で、そういう状況なんだけど、学校は特にかわらない、という話なんだが、美術界がちゃんと具体とか認め始めるのはさらに5年後くらいなので、まあ学校は無理だろう

抽象が描きたければもっとよい環境があるはずです。
いたずらに抵抗などする必要はない、自由に抽象
が描ければそのほうがどんなによいかわから
ないのです。抵抗することだけが描くエネル
ギーになるとすれば、それはあまりにもケチ
くさくて一面的でありすぎます。

この作家はいたずらに抵抗して無駄な労力を使うな、と警告している。
これは達観した意見だと思う。

◆「創作とは無縁な私塾の幻影」K.H 芸大彫刻科

芸大彫刻科34年卒

 ぼくの卒業の時分、アンチアカデミズムを
叫んで騒いだことがあったけれど、美術に関
するかぎり、現在どんなに騒いだところで日
本にアカデミズムは生まれようがないのだ。
無いものに対するアンチとはたいへん観念的
なことで、ぼくには協力できなかった。
むし
ろ創作とはまったく無縁の徒弟制度とか、現
存画壇の変則的な面を反映した制度のほう
が、当時のぼくには頭にきていたようだ。

すげえ論理的! あたまよい

     もっとも、マスコミに乗った先生
は、つまらん学生のおだなど聞いているより
ご自分の財産作りに熱心でいらっしゃったか
らよくは知らないが
、どんな方法で制作した
ところでべつに放校されずに卒業したのだか
ら、他で騒ぐほど窮屈なところでなかった。

ほげー!! 言われとるで、先生ぇ・・・

ちなみに「おだ」とは
「かってに気炎を上げること。「―を上げる」」
という意味らしいっす

う。この間も卒業制作展を見に行ったが、あ
のラインダンスよろしく、大きさ、ボーズ、
デフォルメ、ディテールに至るまで、まった
く同じものがでーっと並ぶ現象はほかならぬ
そこから出ているのだ。
しかし学生の姿勢次
第で、学校生活を自由なものとして捉えるこ
とができるのではないだろうか。

この「そこ」というのは、「教室制度というゼミ形式のものをゼミとして捉えず、私塾として考えるとこ」をさしてる
なんか徒弟制度的になっちゃってるよ、ということだろう

で、この作家はデパートで展示をしようとするんだけど、

  東京池袋のMデパートの宣伝部長に、私
共の店としてあなた方に店の一部を貸すこと
は、はっきり言えば害にこそなれ絶対にとく
にはなりません、したがって去年の場所をお
貸しすることはできませんと大阪弁でまくし
たてられると、交渉していたぼくは「ごもっ
とも」と引きさがるよりしょうがなかった。

商売人は生き馬の目を抜いて生きてるので、甘い評価はしない
なんかちょっと前にパブリックアートが撤去されるとかデパートに押し掛けた人たちもいたが・・・

この作家の偉いとこは「Mデパート宣伝部長氏こそ、最も早くぼくらの主張を感知した立派な観賞者」だと思い、「あの人の名前は覚えておこう。」と結んでいるところだ。
実際、この宣伝部長が一番作品を真剣に吟味したのは間違いない。

◆「がむしゃらな制作意欲にだけ駆られる」岡崎紀 多摩美大絵画科

多摩美大絵画科35年卒

なんでこの作家だけイニシャルじゃないかというと、多摩美の先生になったから

 さらに、在学中の楽しい思い出に、各所に
おける各種の展覧会がある。多くの画友たち
といくたびとなく、あきもせず、いくつかの
絵の前にたたずんで、画論をたたかわせた。
好きな絵の前には日参のようにたたずんだ。
そして、私の内奥からむくむくと沸き上がる
制作意欲に、いても立ってもいられない思い
であった。

やべえ、めっちゃポジティブ!
やっぱ学校にハマる人はいるんだな、という印象

 これから、絵で生活できるか、私にはさっ
ぱりわからない。ただがむしゃらに進みたい
だけである。やめられないだけである。いま
の素直な気持は、こんなことを考えないで勉
強するということだけである。

教員になることは、、、まあ絵で生活できたってことなんだろう
素晴らしいこってす

◆「タブローを作る基礎トレーニング」福島誠 武藏野美校西洋画科

武藏野美校西洋画科35年卒

ムサビ卒だけどこの作家も多摩美の先生になったので名前そのまま
(他にもいるんじゃないかと思うが調べる気がない・・・

石膏デッサンとかに対してこの作家は

私はこれらのことが絵を
描いてゆくうえにすぐに役立つことだとは思
いませんが、美術家としてぜったいに必要な
絵画的 (鋭い観察力、厳しい表現力、
あくなき探究心、鋭敏な感受性、強い忍耐力
など)を育成するうえに最適とはいえないま
でも、ある程度の力は与えているのではない
かと考えております。

と、かなり肯定的。
やっぱこうじゃねえと美大の先生にはなれないだろ、そりゃという気持ち

 次に作品発表の場としての団体展、個展の
問題ですが、私は在学中より新制作展に出品
しています。現在の各美術団体は新旧、大小
いずれも多少のニュアンスの相違はあって
も、その内容はあまり変わりがないように思
います。そこで団体展を自作の発表の場とし
求める場合、自分の力が〝フル”に発揮で
きる団体をえらび、出品することが良いと思
います。

団体公募展系も積極的に使っていく派である
やっぱり体制順応度が高い!!

◆「すべて自分自身で学びとるだけ」I.Y 女子美大日本画科

女子美大日本画科35年卒

 暖かい日差しがアトリエ一ぱいに広がるこ
ろ、大学受験とはいったいどういう意味を持
つものなのか、などと思ってみます。
 それというのも、私の父の研究所(東京美術
研究所・土味川独甫主宰) からも毎年、大勢の受験
生が美術大学へ殺到するようすをいやでもみ
るからです。

サラブレッドじゃん! と思いつつ、名前をイニシャルにする意味があるん?とも思ったがまあいいだろう

 大学に入学するからにはもちろん大いに期
待をかけていたのですが、入ってみたら日本
画の本質も流派も伝統技法も、なに一つと
いっていいくらい教わらない
し、中途半端な
自然主義的な絵を四年間も、日本画の材料を
使って描くに過ぎない
ことを知りました。

ひどすぎん?と思ったが、ちょっと女子美はひどかったのかもしんない
(この10年くらい前に女子美を取材してる記事あったが、生徒がみんなやる気ない、みたいな感じのレポートだった

 学校の絵と自分の研究とは別にして勉強し
ようと思ったのは、夏休みの宿題に対して、
「こういう絵はわからない」と先生にいわれ
た時からです。
それ以後、学校の方は適当に
しておいて、もっぱら自分の仕事にとりかか
りました。

出たっ! 講評拒否!! (講評不能、か

 大学生活をふり返って特に感じたことは、
せめて絵描きがいかに生くべきかということ
だけでも教えてもらえると思っていた期待が
完全に破られたことと、教えている方もわ
かっていないのではないか
と思えました。

まあ、それはそうなんじゃないか
何しろ先生は先生であって、作家一本で食ってるわけじゃない、という根本的矛盾がある

なので美大教育で育成できるのは、作家ではなく、美大の先生なのかもしれない
(実際、学校に順応した岡崎氏や福島氏は立派な教員になったわけだし・・・

◆「自律性と問題意識をデッサンする」K.T 日大美術学科

日大美術学科36年卒

のっけから「大学からは芸術は生まれなかったし、また
生まれないだろう」
と結論づけているが、その理由は

           作家への才能の貧し
さのゆえに教育者になるということはナンセ
ンスだ。
大学は社会への一ファクターとして
約束されうる安全地帯では決してない現状、
そうしたなかでどのような小道具を自分のな
かにひきずりこむか。過去の形骸と惰性でし
かない美術家養成が、現代の作家を養成する
能力をもっていないことは当然であり、美術
教育によって養成される現代の作家などはあ
りえないのも当然だ。

はい、、、という感じだ
そもそも組織ってのは時代からズレるもんだし・・・

 過去の美術学校には、画壇への師弟関係を
延長するルートがあったかもしれない。現在
そのルートがどこかでのこっているとして
も、それがどれほどの今日的意義をもってい
るといえるだろう。

これは明確に残ってるでしょ
むしろこの時代より、いまの方が明確にルートとしてありそう
(賞レース、審査員選出、出品作家の選好、そして教員へ

いかなる手荷物も持
ちあわさないし、いかなる待合室もわれわれ
には設定されてはいない気安さから、自己の
創意と言葉でヴィジョンを明らかにしてゆく
だけなのだ。

という言葉でこの作家は未来への意気込みを語っている
まあ、自力でやるしかねえ、ってことだろう

おわりに 60年前と比べてどうよ

どうなんすかね
自分は部外者なんでアレなんだけど、、、、

  • 引き分け:先生が○○、なとこは変わってなさそう

  • 現在に- :美術界が停滞してるぶん、空気はいまの方が悪そう

  • 現在に++:食ってける率はマーケットがあるいまの方がよい

  • 現在に- :学生のやる気は過去の方がありそう(女子美は怪しいが

プラマイゼロ、よくも悪くもなってないんじゃないか説

という感じで終わる
また60年後にどうなってるか見ものだが、たぶん何もかもなくなってるんじゃないか





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