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すずめの戸締まりの感想。



久しぶりにnoteを書く。
今回はエッセイ風に書いてみる。

昨日『すずめの戸締まり』を見てきた。
地上波で冒頭が放送されたが、あれはほんの一部分。始まりに過ぎない。

どういう話なのか──。

簡潔に言えば、一人の少女がイスにされてしまった(呪われた)青年を元の姿に戻すため、旅の中人と出会いながら成長していく物語。

ただ根底にあるテーマが重いだけに、劇場の中に入る前には、震災経験者やトラウマのある方には、そういう描写が含まれているという注意書きもあった。

震災を思い出したくない人も多くいる中で、きっと賛否両論あるだろう。
けれどそれと同時に忘れてはいけない何かを、教えようとしているような感覚がしてならない。

それがなんなのか、あなたとわたしで違うかもしれないし、もしかすると似通っているかもしれない。
既に感想を読んでいて、そういう捉え方ができるのか……!と驚かされたことがいくつもあった。

私は震災経験者ではない。ゆえに心の底から被災者の気持ちを理解することは不可能だが、そんなひとりの人間が見て思った感想と疑問をここに記しておこうと思う。


※ここからはストーリーのネタバレ含むので注意※


いきなりラストシーンの話になるのだが、考えて考えて、そうだったのか!と思ったことがある。
正確に解釈が合っているのかどうかわからないので、単なるひとりごととして受け流してほしい。

それは最後ミミズと戦うサダイジン、すずめを守ろうとするダイジンが要石となって封じ込めたのが、東日本大震災だったのではなかろうか……と私は10時間後くらいにハッとした。

新海誠監督の前々作『君の名は。』の公開当初も衝撃を受け、何度か劇場に足を運んでいた。しかし瀧と三葉の年齢が3歳違うことに気づいたのはだいぶ月日が経った後だった。
お前は今まで一体何を見てたんだ?と、自分でも突っ込んでしまうほど。

どうも私は一度見ただけではストーリーを理解しないので、これが合ってるのか間違っているのかさえわからない。

一つ言い訳をさせてもらうと、自分のペースで読める本や漫画などと違い、映画は移り変わりが激しく、映像や音楽の迫力や美しさを視界に収めることに精一杯で、考える余裕がなくなるのだ。本当に言い訳だ。

すずめの母が大震災の津波で亡くなったことは、黒で塗りつぶされた日記を見る描写でわかった。(ここが一番私の中では恐ろしかったかもしれない)

ただあの戸の先で、過去に繋がることができたとするなら……そういうことだったのかもしれない。(もし説明されていたとすれば完全に聞き漏らし)

おかげでやはり一度見ただけでは感情移入できず、ほとんど涙も出ずに終わっていた。
こんな風に書くと感動したのかとも思われそうだが、心臓を揺さぶられるという意味でとても感動した。
ストーリーの流れを知ってもう一度見れた時、見方も変わってくるのだろうと思う。

ここからは考えてもわからなかった部分を箇条書き。

◯一番の謎はダイジン、サダイジンの正体。
元々人間だった説もあり。だとすると誰なのか?

◯東京の要石はなぜ外れたのか。
ダイジンを抜き効力が弱まり、サダイジンだけじゃ止められなくなった?どこか腑に落ちない。

◯震災を止めるために、ダイジンサダイジンはすずめについて行ったのか。

◯なぜすずめは常世を見ることができた?
過去に迷い込んだことがあったからだとすれば、なぜ迷い込んだ?

◯サダイジンが環に酷い言葉(本音でもある)を言わせたのはなぜか。
すずめも同じように「うちの子になる?」と環に自分が言われたことと同様のことをダイジンに言った伏線回収をさせたかったのか。それともただ環が言えずにいた本音を言わせたかったのか。人間を通して要石としての役目を放り出したダイジンを叱っていたのか……その後サダイジンは人間を守る行動しかしていないため、ここはどういう意図があるのか気になる。

◯ダイジンが痩せこけていた理由は愛情不足?

→これに関してTwitterで考察を見ていたら、神や廃れてしまった土地のことを人間が思えば肥え、人間が突き放し忘れていけば痩せ細るというような解釈を見つけた。

うおぉ、これはすごい!

確かにそうかもしれない。
その証拠に、すずめがガリガリだったダイジンに餌を与えうちの子になる?と優しくすればふっくらした元気な体になり、嫌いだからもう二度と現れないでと言えばまた痩せこけた。最後に案内してくれていたことに気づいたすずめが、ありがとうと感謝すると体の肉付きが戻る。

もしかしたらすずめが好きだからこそふんわりしたり、萎んだりしたのかもしれない。

けれどダイジン自身が忘れ去られた廃墟で守り続けても感謝もされず、ずっとひとりで寂しかったというようにも受け取れる。
だから痩せ細っていて、スズメに引っこ抜かれて嬉しかったのかも。それはそれで切ないが……

この体でいくと、東京にいたサダイジンが大きく力が強かったのは人が行き交う場所だったからとも読み取れるのだ。


新海本を読んでなお、結局のところ、行き着くところは人の思いなのかもしれない。

一見戸締まりという閉じ師の役目は、放置された人の思いや蓄積された人の念に鍵をかけるような行為に見えやすいが、廃れてしまった場所やその場に宿る魂に対しての慈しみを忘れず感謝を唱える意味合いの行動に思える。

すずめが大事なこと(鍵をかけること)をしているような気がする、と言っていたのは、災害を防ぐことだけではなくそういう意味もあるのだろう。


ラストシーンで過去の自分である12年前の小さいすずめに、あなたは誰なのかを聞かれ、すずめの明日!と答えるシーンがある。
来年の3月で震災から時系列的にも現代に沿うことを考えたらゾワッとしてしまった。
恐るべし、新海誠監督……


わからないことも含め長々と書いてきたが、本当に色々なことを考えさせてくれる作品だった。
日本に生まれたことの意味まで考えさせてくれるような。壮大で、深く、重く、けれど優しい世界を見せてくれたことに感謝したい。

これから物語を音楽とも照らし合わせていきたい。(圧倒されて歌詞の意味を考える暇もなかった)

そしてきっと違った見方ができるから、もう一度見る機会があればいいなと思う。

すずめの戸締まりは、言葉にできない感情・気持ちを宿していく不思議な作品だ。



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