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時刻表に乗る~西九州編~  vol.2

2. 肥薩おれんじ鉄道の旅

●定刻7時5分、八代行(6122D)列車は、ディーゼルカー独特のエンジン音をあげながら川内を出発した。

 川内(せんだい)から八代(やつしろ)までは約2時間半。1時間に1本程度の列車が設定されている。

川内川

 発車してしばらくは九州新幹線に寄り添って走り、川内川を大きな橋梁で渡る。川を渡って新幹線と分かれる。草道(くさみち)を発車してしばらくすると、さっそく海岸線にでる。
 この辺りは、地図を見てもわかるように、海岸線まで山すそが迫っており、線路は、山すそと海岸線のあいだの細い平地を蛇行しながら走っていく。線路が、海岸線ギリギリに敷設されているため、車窓からは海がよく見える。地図から見て想像していた通りの光景だが、海の広さに圧倒される。やはり、実物は想像を超えてくるものだ。東シナ海は天候が悪い割には穏やかなようだ。
 そんな地形でも、途中に平地が開けた箇所があり、集落が現れ、駅に到着する。
 そして、また山すそが迫り、海岸線を線路が行く、という地形を繰り返す。
 この辺りは、線路が蛇行しているため、長い編成の列車が走ると、編成全体が撮影できるため、列車が海岸線を走る様子を撮影できる撮影スポットとしても有名らしい。
 今日はあいにくの天気で曇っており、どんよりとした東シナ海が眼前に広がる。予報ではお昼ごろ雨が降りそうな予報となっている。

●少し大きな集落に出て、阿久根(あくね)に7時41分着。下り列車が待ち合わせのため反対側のホームに停車している(すれ違いポイント①)。

 ここで、川内から乗ってきていた乗客のほぼ全員が下車していまい、乗客は私一人となった。客がいなくなってしまったため、方言の応酬は聞こえず、ディーゼル列車のエンジン音だけが響き渡る。
 次の折口(おりぐち)まで海岸線を走り、そのあとはしばらく内陸部を走る。田んぼや住宅が点々とした風景が続く。ただ、決して平たんではなく、段差のあるような地形となっている。

●8時5分この辺りの中心都市で、新幹線の駅もある出水(いずみ)に到着。ここでも、対向列車と待ち合わせをする(すれ違いポイント②)。

 不思議なもので、乗客は私一人と思っていたにも関わらず、何人か途中から乗車していたのか、ここでも、数人の乗客が下車していった。
 発車まで少し時間があるので、駅舎のほうに行ってみる。まだ、8時であるため、駅舎の中の土産物屋は軒並み閉まっている。

●8時23分、袋(ふくろ)という駅に到着する。対向列車と待ち合わせをする(すれ違いポイント③)。

[使用写真]フリー素材 https://photock.jp/(※袋駅ではありません)

 なんとなく、愉快な、といっては地元の方に失礼かもしれないが、妙に心惹かれる駅名である。地名の由来が気になってしまったので、少し調べてみると、
『「袋」と言う地名の由来は、この地が山に囲まれて袋状になった小平地が多かった事から「袋」になったと言われる。』(Wikipediaによる)とのことであった。
 確かに言われてみれば、そのような地形をしているように見える。他地域にもある地名だそうで、海岸が湾曲して「ふくれる」状態になっていることから「袋」となったところもあるそうである。

●袋で対向列車の発車を待って出発すると、8時29分、水俣(みなまた)に到着する。

 水俣は言わずと知れた、水俣病の舞台となった街である。水俣だけでなく、水俣周辺の街でも、今現在苦しんでおられる方々がたくさんおられ、風化させてはならない公害病問題で有名な街である。
 肥薩おれんじ鉄道の沿線を見てきた限り、とてもそんな大きな問題が起きている街が近くにあるとは思えないほど平和な風景が続いていたが、水俣という地名を改めて聞くと同じ日本人として、襟を正す想いがする。決して他人事とは思わずに、問題意識を持って生きていかなければならないと強く感じた。

[使用写真]フリー素材 https://photock.jp/

 水俣からは、かつて、JR山野線という路線が宮之城線の終点薩摩大口(さつまおおぐち)を経由してJR肥薩線の栗野(くりの)までを結んでいた。この路線も金鉱山への人員資材輸送のために昭和12年(1937年)に全通した路線で、途中にループ線(路線をループさせて高低差を稼ぐ配線)があることで有名であった。
 宮之城線と同じく、金の産出量が減ってからは赤字ローカル線に転落し、昭和63年(1988年)に廃線となってしまった。

山野線と宮之城線
[使用マップ]国土地理院地図GSI Maps

 山野線の沿線の久木野(くきの)(水俣市)というところには、久木野城という山城がある。築城年代は定かではないが、 城主は久木野四郎あるいは相良四郎、相良駿河守頼雄などと言われているそうである。 天正7年(1579年)5月中旬に、薩摩から島津家重臣の新納武蔵守忠元が三千余騎を率いて肥後に乱入し、豊河内の城を責め抜き、岩群というところに城郭を構えて守ったとのことである。この辺りは、肥後、薩摩の国境地帯であり、他にも多くの山城跡が点在しており、肥後、薩摩の攻防の激しさを物語っている。
 今も昔も、この街は大変な苦労を背負っている街なのだと、厳粛な気持ちになる。

久木野城
[使用マップ]国土地理院地図GSI Maps

●8時36分、水俣を発車。津奈木(つなぎ)を発車してしばらくすると、走行中に対向列車とすれ違う(すれ違いポイント④)。ここも単線と複線の入り混じった路線なのだ。

 単線路線とばかり思いこんでいるので、突然走りながら列車とすれ違うと、いささか面食らう。
 肥後田浦(ひごたのうら)に近づくと、久しぶりに海を眺める。八代海、ー別名不知火の海ーだ。海は天気が悪い割には穏やかで、静かにこちらを出迎えてくれる。激しい活火山があるかと思えば、このように穏やかな海もある。私には、その動と静のギャップがとても魅力的に映った。
 次は晴れたときに来たいものだ。

●9時16分、上田浦(かみたのうら)で対向列車と待ち合わせをする(すれ違いポイント⑤)。ここはもう単線のようだ。

 しばらく不知火の海を眺めながら、列車は進む。
 日奈久温泉(ひなぐおんせん)を過ぎると、開けた平野に入ってきた。田んぼが広々と広がっている。
 球磨川にかかる大きな鉄橋を渡ると、川沿いを走っているJR肥薩線を跨ぐ。その後左に大きくカーブを描き、肥薩線と合流し、鹿児島以来の大きな街である終点八代が近づいてくる。

●定刻9時40分、終点八代に到着した。

 長いようで短い2時間半であった。地方でがんばっている第三セクター鉄道に感謝しつつ、八代駅のホームに降り立つ。次の鹿児島本線熊本方面行は10時5分発なので駅を出て探索する時間はない。
 私は鹿児島本線のホームにあるベンチで列車を待つことにした。目の前には日本製紙の工場が広がっており、貨物列車用のヤードもある。今は時間でないためか、車両は何も止まっていない。
 私は駅のベンチに座り、それらをぼんやりと眺めていた。

次回へつづく


[参考文献]
・JTB小さな時刻表 2021年秋号 JTBパブリッシング
・全国鉄道地図帳 昭文社
・水俣市文化財保存活用地域計画資料
・城郭放浪記(https://www.hb.pei.jp/)


〔表記の分け方について〕
太字表記した部分については時刻表や地図帳などの事実に基づいた内容である。
※時刻表の羅列だけでは寂しいのでフィクションで私の行動や周囲の乗客の様子や風景を書き加えた。その部分は細字表記となっている。また、歴史的背景の描写や街の紹介などは事実に基づく内容である。その部分は時刻表には無関係のため、細字表記となっている。


【今回のマップ】

[使用マップ]国土地理院地図GSI Maps

【今回のダイヤ】
 時刻表をもとにダイヤグラムを書き起こしたものです。一部ある複線区間ですれ違いが発生するようにし、活用できる設備を無駄なく最大限活用し、ダイヤ設定が上手にできていると感じました。

ダイヤグラム(一部列車抜粋)
※太線が乗車列車(6122D)


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