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リハビリ/テーマ/『春』20190321

 さて、今回は前々回くらいで駄文を垂れ流し色々な方向から顰蹙を買った第2回リハビリ企画である。

 このリハビリの目標は文章力を取り戻すことであり、誓って駄文を垂れ流したりイースト菌の量を間違えたパンのごとく膨らみ続ける承認欲求を満たすためでも次から次へと送られてくる古代兵器『OINORI MAIL』から現実逃避をするためでもない。文章力を取り戻すリハビリをするより一般社会に復帰するリハビリをしたほうがいいのではないかという意見もありそうだが、理系大学院という外部からはモラトリアム延長に見えるもののその実態は奴隷、という深くてこってりとした闇に潜む僕にとってそれは難しい提案である。さあ現実逃避の時間だ。

 今回のテーマは『春』。相も変わらず神がかったガチャ運を持つぷにばらさんにお題10連ガチャを3回回させた。まあ30もテーマがあれば書きやすいのが少しくらいは混じっているだろう。

 何だかバッドエンド多くないか?メリーバッドエンドというのが混じっているが、これは「周囲からはバッドエンドに見えるが、当人達にとってはハッピーエンド」であったり、逆に「周囲からはハッピーエンドに見えるが、当人達にとってはバッドエンド」というものである。難しい。例えるならあれか、人魚姫とかだろうか。それともヤンデレの女の子に拉致監禁されて養われエンドとかだろうか。こわい。この文章を読んでいる有限な時間を無駄に使うことが大好きな皆々様方は僕の壮絶なるバッドエンドを期待しているだろうが今の所バッドエンドを迎えたことはない。迎える前に何も始まっていない気もする。いや、断じて迎えたいわけではない。僕の迎えたいのは白馬に乗った石油王の娘とか現金3兆円とかそこらへんである。自衛隊に撃ち落とされて東京タワーに突き刺さったりとか彼女にストックで喉を刺されるようなのは御免である。よく考えると僕の人生のスタート地点が数々の人のバッドエンドが重なったところからスタートしているような気がするが、いつか面白おかしく書こうと思っているので今回それは割愛させて頂く。

 そんなわけで今回のテーマは前回よりも多少は書きやすいであろう『春』である。前回のようなただの変態の独白にはならない様に必死に舵取りをしているが、如何せん僕の類まれなる文章力は何かを悪く言うことにかけては一級どころか特級、それすらも超えて人間国宝級であり、ただでさえ水で極限まで薄めたカルピスのような内容をむしろカルピスというよりいろはすに近いのではないかと思われるほど薄めている最中でも既に悪態をつきたくてしょうがない。

 長々と書いたが、一言で言えば僕は春が嫌いである。

 春はとにかく面倒である。新生活の始まりと称し様々なものが高くなるし浮かれて人は騒ぎレオパレスは壁を薄くするし、僕が現在絶賛プレイ中のクソゲー、『人生』における就活エミュレーターは様々なマナーでセメントの塊のように塗り固められているし、花粉は空気中のアルゴン量を凌駕しているのではないかと思うレベルで空を舞うし、暑くもあり寒くもある毎日が続く。いいことと言えば猫が可愛いことくらいである。

 春といえば、桜である。僕の地元に桜が有名な場所がある。「桜 道路」とかで検索すれば出てくる。僕は一回も行ったことはない。

 話が続かないので、次の春といえば、を考えよう。春といえば、入学、とか出会い、である。先程述べた場所の近くに僕が通っていた高校がある。壁がピンク色、と言ってもやたら色あせたピンク色だ。夜になるともうラブホそのものである。教室やらトイレやらをそういう用途に使っているやつもいたので当たらずといえども遠からずかもしれない。僕はといえば寝ていた思い出しか無い。教室か部室か図書室か自習室で寝ていた。高校が大嫌いで、教師が大嫌いで、クラスメートのことも何人かを覗いて大嫌いだった。何のやる気も出ない毎日を過ごしていた。父は僕に「高校生活は人生で一番楽しい」とか言っていた。僕が行きたかった高校には行かせてくれなかった。不平不満の塊と化していた僕はカバンの中にし長期間放置されたイヤホンのごとく引っ絡まってひねくれていた。無為で無意味で無慈悲な、灰色に失礼なくらいの灰色な三年間を過ごした。

 もう春といえば、が思いつかない。『春』に関連するものを誹謗中傷してみたが、春には罪はなく、春というより何かの始まりが苦手なのである。裏を返せば何かしらが強制終了していることになる。僕の人生はまだバッドエンドを迎えてはいないと言ったが、短期的な視点で見れば終わっていると言ってもいいのかもしれない。2009年の僕、2010年の僕、2011年の僕、と言うように。もっと短期的な視線で見れば数年前の5月には酔って自転車で革にダイブした挙げ句流され危うくバッドエンドを迎えかけたし、12月にはメンヘラに喉をボールペンで刺されて危うくバッドエンドを迎えかけたし、6月には肺に2つの穴があきバッドエンドを迎えかけた。ドッジボールで最後の一人になってしまった陰キャの如く破滅フラグをぎりぎりで回避してきたのだ。そんな僕の必死の努力を無慈悲に、マイクロソフトが激怒するような強制終了して今年の春が始まるのである。

 どいつもこいつもきらきらした何かを身にまとって歩いている。対して整ってもいない顔に根拠のない自信をコピーアンドペーストしている。自転車や自動車は一時停止しないで突っ込んでくるし、コンビニ店員はお弁当に割り箸をつけてくれないし、僕は洗剤と柔軟剤を入れる場所を間違える。みんながみんな、今から何か素晴らしいことが始まると思っている。羨ましいと思う。きらきらに弱い僕はと言えばこの世界の隅っこで排気ガスと水を取り込んで生きる変な生物になりつつある。もし何かの間違いでプリキュアに遭遇してしまったらそのまばゆさから黒いどろどろした何かを残して蒸発成仏爆発四散するであろう。この丸い世界においても隅っこを見つけられるというのはもしかしたら稀有な才能なのかもしれないがこれが役に立ったことは今まで20年と少し生きてきて全くもってない。四角い部屋を丸く掃除する癖を持つ危険な独裁者が爆誕し人類を大掃除しようと企んだ時に少しだけ生存率が上がる程度だろうか。

 とまあ暗い話を書き連ねたが、自分を全否定されると感じるような恐怖の古代兵器『OINORI MAIL』にダメージを受けているだけで僕自身は至って元気である。むしろ手紙で祈られ、電話で祈られ、サイレントに祈られ、丁重に祈られすぎてもう僕の存在は就活生という人間の姿を捨て神となりつつある。この文章は漫画やゲームでよくある、大ダメージを受けた時に過去の記憶がフラッシュバックする演出の1つである。人生というクソゲーにおいてそれは走馬灯というものではないかとも思うのだが細かいことは気にしてはいけない。失敗やら嫌いなものも眼鏡を外して見てしまえばぼやけた過去である。積み上げてきたと言うか積み上がったと言うかわからないが、きっと無駄なものではないはずだ。こいつらを足蹴にしてでも踏み台にしてでも僕は春に進むべきなのである。バッドエンドにはまだ早い。

 そう思い直して僕はこの文章を書き上げ、スタバを出た。今日も説明会と筆記試験が待っている。一つ深呼吸をする。ぼろぼろの肺に排気ガスと花粉が流れ込んできた。やはり春は嫌いである。(完)

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