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自己紹介〜育児編〜『揺らぎあるライフワークの中で生きるとは』

こんにちは。
クリエイターゆうのです^_^

今記事では、子育て編と言うことで、自分を労り、取り戻すことに必死こいていた話をしたいと思います!
もう、この話をし出したら止まらないぐらい想いが溢れるのですが、何を一番伝えたいだろうと思った時に、このことが浮かんできました。

前記事でも書いた、母だけど、いくつもの顔を持って良いってことを伝えたいです。

完全に自分を見失った私


私は、母親になり、私と言うものが少しづつ無くなっていきました。
何色が好きだったか。
どんな服装が、好きだったか。
どんな食べ物が好きだったか。
何をしている時が、一番好きだったか。
こんな簡単な質問にも答えられなくなっていました。

母親になったんだから、子供の為に生きなきゃ。
無意識のうちに、そんな考えで、凝り固まっていたように思います。

私は、本来、派手な服装が好きです。
濃いメイクも好きでした。
お酒だって大好きだったし、昼より夜出歩く方が好きだったのです。
ヒールだって、大好きでした。
コツコツとヒールを鳴らし、ジャケットを羽織り、濃いメイクで颯爽と歩く自分が結構好きでした。

しかし、母親になると、家で子供と過ごすことが増え、子供を抱く機会ばかり。
ヒールも、派手な服も、私の生活の中で全くの不必要な物になっていきました。
そして、夜に出歩くこともなくなり、昼間の公園ばかり。
正直、つまらなかったです。
贅沢な話です。
だからこそ、話せませんでした。
母親になれたことに、幸せを感じなければならない。
このご時世に専業主婦でいれることに、夫に感謝しなければならない。
そう思うようになりました。

日に日に自分らしさは薄れ、地味になり、スニーカーにいつもデニムスタイルが私の定番となったのです。
そして、こんにちわ〜と愛想良いよそいきの声を出し、ニコニコし、公園デビューをする。
自分に違和感しかありませんでした。

自分がどうしたいのかが一番大事ってこと

今もそのようなママさんも多いし、自分も今もそうです。
だから、決してその服装がどうのこうのとか、専業主婦がどうのとか言いたい訳ではないです。
私が伝えたいのは、母親になったからと言って100%母親の顔。
母親としてしか生きない選択は、しなくていいんじゃないかと言うことです。


確かに公園に行くのに、ヒールは歩きにくいし、月齢が低いと後を追うことばかりなので、スニーカーのが断然良いです。
しかし、メイクは好きなメイクをしたり、好きなカラーの髪色にしたり、母親の顔の中に、自分と言うものも含ませてもいいと思うのです。
それに、母親らしい受け答えなんてしなくてもいいし、自分個人の意見を持っていて良いと思うのです。
少数派ではなく、多数派の意見に従う。お母さんってこう言うもの、と世間のイメージ通りに生きる。

そうではなく、自分はどうしたいのか。

これが何よりも大切なのだと、嫌って言うほど学びました。
とは言え、正直、あえて協調性を乱すことはしたくないです。
攻撃的と捉えられたくもないし。
でも、自分の考えを持っていたい。
この考えは、ワガママなのでしょうか?

自分を知ったからこそ伝え方を知りたくなった

私は、決してワガママなんかじゃないと思っています。
だったらどうしたらいいの?ですよね。
私個人の意見としては、伝える技術を磨けばいいかなと、現在は思っています。
とは言え、いつでもそれができる程、出来た人間では在りませんが。笑
何せ不器用で、誰よりも人間臭い女なので。笑
しかし、伝え方の技術を知らないなら知ればいい。
知れば、伝えられるようになるから。攻撃的にならなくたって、大丈夫。
と、自分自身の経験から感じております。

このことは、夫への伝え方に最も顕著に表れます。
近い家族であればあるほど、わかって欲しい気持ちが高まって、伝え方を間違ってしまったり、感情的になって、気づけば攻撃的になっていたりするものです。
それはこんな風な場面によく、起こります。
子供を預けて、出かけることや、一人時間を作りたい時などです。
伝える技術を使って、きちんと正しく自分の思いを言葉にすると、変ないざこざが起きずに済んだりします。
(必ずしも全ての夫婦に適応できるとは限りませんが。)
そうやって、素直に自分の想いをきちんと相手に伝わる方法で、伝えることで、申し訳なく思って夫に子供を預けるのではなく、堂々と自分に戻る日を作りたいと主張したら良いのではないかと、私は思っています。

そして、自分に戻った日は、いつもよりオシャレしたり、ヒールを履いたり、メイクを楽しんだりしたらいいやんか!!
罪悪感に苛まれて、ソワソワ友人達と会うのではなく、ただ自分に戻って、一人の女性に戻って、その場を楽しんだら良いやんかと思うのです!

私が私を取り戻せたのは

承認欲求で頑張ることを止められなかった私が、こう思えるようになったのは、

  • 他人の目を気にしなくなったこと

  • 要らぬ罪悪感を捨てたこと

  • 自分の枠、当たり前を外したこと

  • 自分の考え方の癖を知ったこと

  • 伝え方を知ったこと

  • そして、自分はどうしたいのかどう在りたいのかを知ったこと

  • 自分自身を知り、自分の価値に気づけたこと

これらに気づくのに3年を要し、現在もまだまだ自分を知ること、探求は継続されています。
現在に至るまで、と言うか現在もですが、苦しくもあったり、逃げ出したくなったり、もういいやって投げ出したりも、もちろんあります。
しかしながら、たくさんの経験により気づきを得たおかげで、今まで気づけなかった大切なことにも気づけるようになりました。
そして、愛しい瞬間を取りこぼすことなく、すくい取ることが出来るようにもなりました。

私、母、女、そして人間

だからこそ、今では沢山の顔を持つことを、自分自身に許可出来たように思います。
まだまだ、子供達に翻弄される毎日で、母の顔のパーセンテージが大きくはなりますが、これからは母の顔だけでなく、私、女、人間としての顔や思考を持って、書き続けたいと思っています。

育児は、本当に自分と向き合うことへのきっかけで、子供達がいたからこそこんなふうに私が私であっていい。
楽しんでいい。
全部欲張っていいんだと、気づかせてくれたようにも思います。

今は、小さな声の小さな表現者として、これからもこのnoteと言うプラットホームで、声を上げていきたいと思います。
長くなりましたが、ここまで読んでくださった方いらっしゃったら、本当にありがとうございました。
この自己紹介を通して、クリエイターゆうのを少しでも知っていただけたら幸いです^_^

これからも良かったら、応援よろしくお願いいたします。
コメントなども随時受け付けておりますので、お気軽にどうぞ!
では、また次回より、日々の暮らし、育児、パートナーシップ、キャリア、揺らぎある女性のライフワーク、母のパワーバランス、などに関する気づきや思考を、幾つもの顔を持って書いていきたいと思いますので、今後もよろしくお願いいたします^ ^





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