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私、書くことも辞めない、母も辞めない

こんにちは。
クリエイターゆうのです^_^

ここ最近は、書く作業(アウトプット)からずっと遠ざかっていました。
その期間、ずっと何をしていたかと言うと、ひたすら娘を観察し、考察し、さまざま方法を試し、また考察。そして、学び、娘と話すと言うこのサイクルを繰り返しておりました。
とにかくインプットしまくっていたのです。

この作業は、娘の癇癪から、どうにかしてしんどくない状態にしよう。
私も娘も、そして私たち家族を。
そんな思いから始まりました。
苦しい日もありましたが、たくさんの方の想いの詰まったメッセージに励まされ、今回は逃げずに向き合う選択ができました。

とは言え、まだ始まったばかりで、何も解決には向かっていません。
それに、こんな家庭内のゴタゴタを記事にし、娘のプライバシーを剥き出しにするのはどうなんだろうとも思いました。
しかし、私自身、このSNSの中にたくさんの悩みや、苦しさを吐き出すことで一歩、また一歩と自分を励まし労わる場となっていることに、改めて気づかされました。
私の文章を読むことで、不快になる方もおられるかもしれません。
そういった方は、読むのを止めて、自分の心地良いものを自分のために探していただきたいなと思っています。

昨日もまたいろいろな感情の変化で忙しく、とんでもないことになっておりました。
しかし、少しづつまた自分を知り、そんな自分もまぁいっかと、少し許せる気持ちになってきている今日この頃です。
育児日記のような私の暮らしの記録と、私、母、女、人間の幾つもの視点から気づきの日記のような記事を読んで、読者の方が少しでも自分の気持ちの何かに気づきがあったらなと、今日もつたない文章をここに綴っていきたいと思います。
私の小さな行動が、小さな波紋を起こせるように、同じように日々、七転び八起きし過ごす誰かの為にこの文章が届きますようにと願いを込めて。

許すって、自分の為のものかもしれない


昨日は、とてつもなく辛かった。知識を入れるとその後、視野が広くなる。
しかし、その前に一度自責しり、苦しくなったり、罪悪感に苛まれたりと、マイナスな感情に一度呑まれてしまう。
これは毎度のことなのだが、やっぱり苦しかった。そして、ちょうどPMS症状もあり、ついつい偏った思考になりがちになる。
PMS時の、私の思考の癖のようだ。
それが自分自身で分かっているだけでも全然違う。
分からず、どうしてこんな思考になるのかと責めるのと、今PMSだからとホルモンのせいにきちんとしてしまえるのとでは感情の落とし所を、こんなにもすんなり受け入れられるのかと感じた。
そんなことを考えながら洗濯物を干していた。そして、先日の発達に関する講座を思い出していた。
すると、PMSも重なり、涙が出た。
それから止めては、また流れ出てを繰り返した。

その間にも娘はまた乱暴な口調で、息子に暴言を吐き続けていた。
耳につく暴言と息子の泣き声は、一階から聞こえる。
やめて、と心が苦しくなった。
止めに入るも、今は良い言葉がけが浮かばない。
だから、ついつい本音が剥き出しになり、娘をまた傷つける。
自分自身の口も閉じたいのに、今日は言うことをきかない。
まるで独立した一部のように、自由に言葉がついて出た。
やっとのことで、娘と距離を取り、冷静さを取り戻した。
すると、やはり涙が出た。
もう逃げ出したい、結局向き合うのは私一人。誰も助けてなんてくれないんだと、いつもの思考癖が大暴れした。

しかし、私は絶対的に娘の味方ではいたいのだ。
とにかくそれだけは伝えたくなって、先ほどの事を謝罪し、思いを伝えた。
娘は黙って頷いた。
こんな日は、一人になりたい。そう願っても叶わない土曜日に、少しだけ絶望した。
その間にも、ずっと私には溜まった家事がのしかかる。
しない選択もできるが、結局は、その荒れ果てた状況を後に後悔する事を想像し、とにかく無心で手を動かした。
その間も、ずっと涙は止まらなかった。そんな時、娘がフラッと2階にやって来た。
心配かけまいと、私は必死で涙を堪えた。

そんな私の姿を娘は即座に気づき、そばに歩み寄って来た。
そして、「泣いたらええねん。苦しかったら我慢することなんかない。それで、ええねん。」と述べた。
私は、またもや娘に役割を課してしまったな、と情けなくなった。
しかし、もう自分を責めることをやめ、ただただ情けない私でいることにした。

娘はたくさんの言葉をつらつらと述べる。とても7歳とは思えなかかった。
まるで、口だけが独立し、別の人格を持っているかのようだった。
その間中、私は母親でなく、一人の人間に戻っていた。
娘も娘ではなく、一人の人間として対話してくれてるような気がした。

これは、私の勝手な捉え方でしかないが、今日はそう捉えることにした。
すると、少し情けなさが薄れ、素直に言葉を受け取ることが出来た。
このことが、ただただ嬉しかった。
私は一人じゃないのだと、猛烈に感じた。

そして、やっと、ずっと避けてきたことに向き合う勇気を得たのだ。
認めたくなかった部分。許せなかった部分でもある。
「私は、出来ないということ。不完全であるということ。完璧にはなれないということ。」
私は、ずっと出来るようにと死に物狂いの努力をしてきた。
出来ないことはダメと自分にバツをつけ、丸をつけてもらえる自分でいなければと思っていた。

ふと、幼少期の記憶が蘇る。
一生懸命やってもやっても上手く出来ず、なんで同じとこで間違えるのと怒る母の顔が浮かんだ。
そして、何度やっても指が届かずにいたら、指の間を切るよと言ったピアノの先生の顔も浮かんだ。
幼少期の記憶なんて不確かなものだ。
私の記憶違いかもしれない。それに、別に母を責めたいわけでもない。
だけど、ただ母を喜ばせたかった。出来るようになって、喜んでもらいたかったのだけは覚えている。
そんな風に少し、幼少期の記憶が蘇り、私は幼い自分を見つめているような気になった。

そして、もう出来ない自分を許してやってはどうかと、今の自分に問うた。
すると、今の私は昔の母のような顔をしていた。
許せないようだった。
許すって、他人のためにあるものだと思っていた。
しかし、許すとは、自分自身の為にあるものなのかもしれないなと、今日感じた。
出来なくてもいいやん。
その言葉にどうしても抵抗感があり、結局、幼い私に言ってあげることは出来なかった。
だからだろうか。
娘のあの言葉が、頭に響き続けていた。
「泣いたらええねん。苦しかったら我慢することなんかない。それで、ええねん。」
私は、また娘に救われたのだった。

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