泣くのは、無駄なことじゃない。そう、息子が教えてくれたこと。
息子は、終わりが苦手だ。
公園遊びの終わりに、いつも泣く。
バイバイを言われても、いつも泣く。
私は、そんな息子が苦手だった。
泣いて、 なにになるのだろう。
いつも、そう思っていたからだ。
だからだろうか。
いつも、息子に寄り添うことができなかった。
「泣いて、 なにになるの?」
「泣いて、誰かが助けてくれる?」
「泣いてなにかが変わるなら、みんな泣くよ?」
「泣いて誰かが助けてくれるなら、みんな泣くよ?」
「泣いたって、なにも変わらない。
変えるのはいつも自分で、行動しないと変わらない。
泣くのは無駄で、動いたほうが絶対いいよ。」
確かにそうだ。
私の道理は、きっと正しい。
でも、息子はきっと、正しさがほしいわけじゃない。
息子は、やさしさがほしいんだと思うんだ。
そう気づかされた最近は、私の口からこんな声かけが出るようになったのだ。
「泣いてもいいよ。」
そう発した途端、私は、なんだか胸のつっかえが取れたような気になった。
「泣いてもいいよ。」
「悲しかったんだね。」
「もっと、遊びたかったんだね。」
「だって、楽しかったもんね。」
いくら学んでもできなかった寄り添いが、今日、初めて自然にできた。
泣いてもいい。
悲しいって言っていい。
こうしたかったって言っていい。
そう泣いて、声に出すことで、本当の自分の気持ちに気づくのだ。
そんな当たり前が、許せなかったのか。
そう思うと、幼い自分が、なぜか脳裏に浮かんだ。
泣くのは、無駄なことじゃない。
そう、息子が教えてくれたこと。
そう、私が私に許してあげれた日。
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