#113【シリア】世界で一番優しさに満ち溢れた国
どうもてんです
皆さんシリアという国をご存知ですか?
知っていたらどういうイメージですか?
僕がシリアを訪れる前のイメージはたぶん今の皆さんとそう変わらないものだと思います
戦争、イスラム過激派、テロリスト、危険国家
大体当たらずとも遠からずそんなイメージの方が多いのではないでしょうか?
僕もそうでした
2011年の4月頃からシリアは戦争状態に徐々に突入していきISIS問題なども重なり今も戦争状態は解除されていません
今回のお話は戦争に向かう約1年前の2010年の2月頃の僕が見たシリアのお話です
いつか何かの形で『僕が見たシリア』を伝えたいとずっと思っていてかなり感情がこもっているので、少し長くなってしまうかもしれませんが是非とも最後までお付き合いいただけたらと思います
何故シリアを訪れたのか?
今は上に書いたように戦争状態のシリア
政府が止める中ジャーナリストを名乗りシリアに入り込み人質にされた事件なんかもありましたよね
【自己責任論】みたいな話題にもなりました
2010年頃も、戦争状態にはなかったものの北朝鮮と武器密輸で繋がっているとかテロリスト国家だとか少なくとも日本において評判の良い国家ではなかったです
僕が海外一人旅を始めたのが2007年頃
たくさんの出会いがあり、ヨーロッパを中心に大好きな建築や音楽に触れ、旅にどっぷりはまっていきました
そんな旅の中で出会ったたくさんの先輩バックパッカー達から
『シリアには今のうちに必ず行っておいた方がいい』
と言われて
『一体シリアの何がこんなにみんなを魅了するのか?』
と段々シリアという国に興味が出始め、学生最後の休みで南米(ウユニやマチュピチュ)に行くか中東に行くか悩みに悩んで最終的にシリアに行くことに決めました
この時シリアに行くという決断をして本当によかったなと思っています
最初は恐怖心でガチガチ。。。
シリアには1週間ほど滞在しました
トルコから飛行機で首都ダマスカスへ
だいぶ旅慣れて来ていて新しい国に入ることに不安なんてほぼ感じることもなくなってましたが、シリアの空港から出るときは非常に怖かったことを覚えています
空港の窓から外を見るとターバン巻いて長い髭を蓄えたヴィンラディン風の人達がたくさんいて
『the テロリストやん。。。』
と結構本気でびびり散らかしてました笑
おそるおそる空港を出てその日の宿を探すため地図を開けるとすぐに10-15人くらいのシリアの人達に囲まれてアラビア語でワーワーと言葉のシャワーを浴びる
何これ怖い!!
何!何!!
とプチパニックになっていると集団の中の1人が英語を話せる人を連れてきてくれました
『どこに行きたいの?僕らに何かできることはある?』
あーガイドしてガイド料をもらおうとしてるのか
シリアを訪れる少し前にインドを旅していたのでインドでよく見た光景だと思って
『ここの宿に泊まろうと思ってるんだけどあっちの方向で合ってる?』
と聞いたら
『その宿ならわかるから案内してあげる!』
と手を引かれ宿まで連れてってくれました
ガイド料とか払いたくないから連れてっていらんねんけどな。。。
と思いつつもこの大量のシリア人に囲まれる状況を脱したかったためその人について行くことに
その人がアラビア語で何かしら説明するとみんなにこやかに去っていく
インドなら、俺の方が案内うまいぞ!!みたいなよくわからん競争が始まるのにえらいすんなり去ってったな?と思いつつもちょっと安心した瞬間でした
歩いて10分ほどで空港で教えてもらった宿に到着
相場わからんけど1ドルくらい払えばえーかな、、、と思っていると
『じゃあ気を付けて!!welcome to syria!!』
とお金を請求することなく笑顔で去っていきました
え?ただの親切な人?
これまでこちらから道を尋ねたらその場所まで連れてってくれるような親切な人は何人かいたが向こうから話しかけて来て親切にだけして去っていくような人には会ったことがなく少し混乱しました
でもこの後すぐ、これがたまたま特別親切な人に当たったわけじゃなく会う人会う人みな心の底から優しい人達なんだということに気付くことになります
スークで出会った気のいいおじいちゃん
アラビア語で市場のことをスークと言うんですがダマスカスで真っ先に遊びに行ったのがスーク
日本で言えば『商店街』の方が響き的に近いかも?
シリアは基本的に物の値段が決められておらずお店の方と交渉で値段を決めます
大量生産品とかは値札貼ってたりもしますが
交渉制なので値段はあってないようなもの
買い手と売り手がどちらも満足する値段になれば交渉成立といったスタイルです
基本英語が通じないので電卓で数字を打ち合って決めるイメージです
スークに着くと小腹が減ったので何かつまむものを。。。と探しているとピーナッツ屋があったので値段交渉して1袋200円くらいやったかな?のピーナッツを買おうとしたときでした
急に横からおじいちゃんが割り込んできて何やらワーワー!店主とケンカをし始める。。。
お腹すいた。。。とりあえずはよ買わせろよ。。。
となっていると店主がちょっとすまなさそうな顔をしながらピーナッツとおつり100円くらいを渡して来ました
ぴったり払ったのに何故お釣り?となっているとさっきまでわめいていたおじいちゃんが満面の笑みで親指を立ててグッとこちらに拳を突き出してきました
どうやら外国人ってことで相場の倍の値段で売ろうとしてた店主をどなりつけて相場で売りなさい!!と言ってくれたようでした
何それ優しい
おじいちゃんありがとう!!
たった100円のことやし交渉して僕も納得して買おうとした値段やったので特にぼったくられたとも思ってなかったのにわざわざ僕のために店主とケンカしてくれたおじいちゃん
この時点で既にシリアのことが大好きになっていました
石鹸の街アレッポへ
2日ほどダマスカスに滞在してアレッポ石鹸で有名なアレッポの街へ向かうことに
アラビア数字というくせに中東で使われる数字は1234みたいな数字ではなくわけわからん文字が使われます笑
"下がアラビア数字、その真上がアラビア語圏で使われる数字。ややこしい笑"
なのでまずもってバスの番号が読めない。。。
何番のバスに乗ればいいよと教えられていたが読めないからどれ乗ればいいのかさっぱりわからん笑
またまた困っていると10-15人のシリア人達に囲まれる
そしてまたまたどこからか英語を喋れる人が連れてこられて『アレッポに行くために長距離バス乗り場に行きたい』と言うとバス停に連れて行ってくれて何とバス代まで払ってくれて隣に座ってる人とドライバーにこの子は長距離バス乗り場に行きたいので降りる場所教えてあげてというようなことを言ってにこやかに去っていきました
長距離バス乗り場に着くと隣に座ってた人が僕の手を引き『ここだよ』と教えてくれて受付まで行ってアレッポ行きのチケットを買うところまで助けてくれました
その後またアラビア語でワー!と何かを言われたので今度こそガイド料か!と思い『シュクラン!(ありがとう)』と言いながら1ドルほどを渡そうと思って財布に手を入れようとすると何ももらわず笑顔で去っていく
え?
ってなっていると近くにまた英語を話せる人がいたので『彼は何て言ってたの?』と聞くと『他に助けられることはないか?』って言ってたよ
と教えてくれたのでした
彼はこのバス停で降りる予定だったわけでもなくバスもたぶんそう頻繁に走ってるわけでもなくダマスカスの街で『この子に長距離乗り場教えてあげて』と言われただけなのに自分の時間と余計にかかるバス代まで使って言葉も通じない僕を助けてくれて、他に助けられることはないか?とまで声をかけてくれたのです
心のどこかでまだ無償の親切を信じきれてなくてガイド料ぼったくるためにやってるのでは?と疑ってる自分があまりに醜く、またこんなに優しい人達が存在するのかと感動し、チケット売り場で泣いてしまいました
その後バスに乗り途中トイレ休憩
小銭をいれないと入れないタイプのトイレでそのとき札しか持ってなかった僕は、どうしよ、と一瞬立ち止まった瞬間後ろに並んでたお兄さん2人がポンと小銭入れて、どうぞ!!とにこやかにトイレへ促してくれました
優しい人しかいないのかこの国は!!!
"トイレ代スマートに払ってくれた2人"
ちなみにこの後自分で見つけたバスに乗り込む時も前の人がさっと僕の分のバス代を払ってくれてシリアで僕は一度もバス代払っていません
意味がわからんほどに旅人に優しい人達
アレッポで出会った陽気な紳士
アレッポに着くとまた宿探し
予想通りまた大量のシリア人に囲まれて、そしてまたどこからともなく英語喋れる人が現れる
wecome to アレッポ!
と声をかけてくれて宿探しを手伝ってくれました
宿に着くともし何も予定ないなら観光連れてってあげるよ?と言ってくれたので是非!!とついていくことに
まさかそれから3日間毎日朝から晩までこの人と過ごすことになるとはこのときは思いもしませんでした。。。笑
おすすめのレストラン、アレッポ城、サウナ、石鹸屋さん、スーク、モスクとありとあらゆるところに連れてってくれて全ての観光代、飯代を払ってくれました
"毎日観光に連れ出してくれた友人"
何度も何度もこんなによくしてくれてるんだからむしろ僕が払う!払わせて!!とお願いしても絶対にお金を受け取ってくれない彼
何でそんなによくしてくれるの?
そう聞くと返ってきた答えは
『コーランの中に旅人をもてなせという言葉がある。君を助けることで僕は天国に近づける。お金をもらってしまうとそれは商売だ。僕が天国に行くためにももてなされて欲しい』
同じようなことをシリアにいる間何度も何度も言われた
そうして何度も何度も見知らぬ旅人を助け、無償の愛を注いでくれました
シリアを訪れたあと色々調べていくとシリアは日本より犯罪発生率が低く、更に検挙率も高いとのことでした
彼らはコミュニティーの中で生きていてもし犯罪を犯すとそのコミュニティーから除外されてしまうらしい
ただコミュニティーにいる限りは持てる者が持たざる者を助けるのが当たり前という教えが徹底されているのでどれだけ貧乏でも食いっぱぐれることはなく助け合いの中で生活が保障されるらしい
犯罪を犯すことのコスト、リスクの方がはるかに高く誰も犯罪を犯す者が極端に少ないそうです
困ってる人は助けてあげる
そんな精神が骨の髄まで染み渡ってる人達
シリアのその後
まだまだ書きたいことはありますが一旦ここで筆を置きたいと思います
観光スポットやシリアで撮った様々な写真はまた次回にでもアップします
最後にシリアのその後について
僕がシリアを訪れたのが2010年の2月
その約1年後2011年の4月頃より情勢が怪しくなりシリアは戦争状態になっていきます
更にISISが台頭していき僕が訪れたアレッポやダマスカスの街やスークはガレキと化してしまいました
あんなに美しかった街は人が住めない程に破壊し尽くされ、僕に無償の愛を注いでくれた人達とは連絡が取れなくなってしまいました
彼らの生死は今もわかりません
何とか逃げのびて生きていてくれれば。。。と願うばかりです
日本では『内戦』と表現されていますが僕はあくまで『戦争』だと思っています
そこについてここで語るのはやめておきますが僕が出会ったシリアの人たちは人殺しやテロリストや戦争屋とは程遠い人達でした
僕が見たシリアなんてシリアの1%にも満たない部分です
それでもただニュースで流れ聞く話とは全く違って、優しく、思いやりがあり、愛の塊のような人達に溢れた国でした
実際にシリアという国を訪れるまで何か漠然と危ない国と感じていたシリアが今では家族が住む国のように愛を感じています
『愛の反対は無関心』というマザーテレサの言葉があります
シリアを訪れるまで、そうなの?とあまりしっくりきていなかったこの言葉
今は本当にその通りだなと感じています
シリアを訪れ、もうシリアに無関心でいられなくなった今、僕に出来ることは僕が見たシリアを手の届く範囲の人達に伝え、シリアに関心を持つ人を増やすことかなと思っています
世界中の人達が互いが互いに興味を持てばきっとそれは世界を変える大きな力になると思っています
これを読んでくれたみなさんにシリアはこんなにも愛に溢れた世界一優しい人達が住まう国なんだということが少しでも伝われば嬉しいです。。。
文字ばかり長々と書いてしまいましたがまた次回、今度は写真でシリアの良さを伝えられたらなと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
美しく優しさに満ち溢れたシリアに近いうちにまた平和が訪れますことを心の底から願っています
使用機材
Canon EOS 50D
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