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救い43

祈りは届くか、届かないではなくて、行うことに意味があって、その後どうなるかなんてものは誰にも神にだってわからないのだと僕は思う。

1年経つ。

簡単に時間は過ぎる。
僕はというと、21歳。

大人プラス一歳。

なんだか、成人が18歳になったらしいけれども、僕の感覚は20歳で大人の区切りとして気持ちがいい。

18だなんて中途半端な年齢大人になれるわけがない。
なぜなら今の僕が大人だと言い張るのがいい憚れるのだから。

1年経っても同じ生活をしている。
親に寄生虫、家がお金持ちなのだもんで、齧れるスネは齧りつつ、バイトに明け暮れては、小説、絵、音楽をやる生活で、発表はもっぱらインターネット。
とりあえず見てもらいたいし、今のところはまず見てもらう努力をしなければ、いざ晒し者みたいな形で世界に這いつくばっても自分が自分であり続けるために。

「あ、あの、この間はありがとうございました。」

ダイレクトメールがチリリと鳴る。
身に覚えのない人だし、誰だけもわからない。

「あなたの投稿が好きで1年前に拝見していたものです。あの頃は私、高校一年生で、あの時も私のことを認知してくれて、」

はあ、全く身に覚えがないなあ

1年前っつったら、あの祈りの絵を描いた時期か、さっぱり覚えていない。いつだって僕は自分のことで精一杯だ。

「あなたの文章に救われていた方はたくさん居たと思いますよ。」
ほ、う。

結果は一年後に現れるってことなのかしら。
そうか、大きな結果は10年後って感じかしら。

「ありがとう」

連絡はそれで途切れ、インターネットのダイレクトメールってやつは、なんだか、テレパシーみたいで、ふっっとやってくるから、極々たまーにやってくる頼りには救いがある。

救ったつもりが僕は救われた。

そんな一日だ。


よろぴく!