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はじめまして。アメリカ生活15年を終え日本に帰国した元アメリカ公立学校教師のマリナです。


「やっぱり日本に帰りたくない。」
不安から始まった本帰国。大学はアメリカに行くと決めてから結婚生活3年目までの15年間、アメリカで外国人として生きていた私は緊張と格闘と夢を叶える喜びを持っていた。ただアメリカでの私の生活はドラマや映画に出てくるような典型的なキラキラしたものではなく、公立学校の特別支援教員(細かく言うと特別ニーズを持つ就学前の子どもの保護者へのコーチング)としてアメリカ中西部の田舎の9割が白人の町で生活していた。

職場に綺麗な花が咲いた。

周りに流されて生きていた子ども時代から、アメリカでアメリカ人と対等に働く生活を手に入れるまで肩に力を入れ続けたままガムシャラに走った。せっかくここまで来たのに日本に帰るとアメリカにいた時間が夢で終わってしまうようで不安でいっぱいになった。仕事も友達も慣れ親しんだ町も自由も無くなる。日本に帰ったら私は自分が誰だかわからなくなってしまう。肩に乗っていた原動力のような緊張感が急に落ちて体も心も元気がなくなり憂鬱になった。日本に帰ってきてもうすぐ半年経つが、この不安は今でも少しある。「15年間アメリカにいたから仕方ないよ」ってわかっていても、また振り出しに戻るのはキツイよって思ってしまった。

情報もあまり無いままやってきた田舎町。夜は真っ暗で怖いけど見上げたら満天の星空が美しい。

母によると私はアメリカに行く前までは、おとなしくて静かな子だったらしい。小学校の成績表には、「もう少し積極的になりましょう」なんて書かれたりもしてたみたい。18歳、「高校を卒業したらアメリカに行く」と決めたのに、出発の日が近づいて「やっぱりアメリカに行きたくない」と泣いた夜。父に「自分で決めたことは最後までやれ」と言わた。それは父なりの愛のムチであったと後から気付いたけど、その時は悔しい思いをした。アメリカに着いて、日本人が私を含め三人しかいない田舎の町での生活は不安で寂しくて隠れて泣いてばかりだった。アメリカ生活が始まってから両親には辛いと言う現状をあまり伝えられなかった。異国での生活を心配されたくないのと「自分で行くって決めたやろ」って言われると負けた気がするからだと思う。こうやって思い返すと、大人しいって言われていたけど、やっぱり私は根は気が強くて負けん気でいっぱいだったかも。日本ではそれをひた隠しにしていたけれど、アメリカではそれを剥き出しにしないと生きていけなくて空回りもしたな。涙のアメリカ学生生活から始まり、たくさんの学びの中で将来の目標に出会って、夢を仕事にできて、世界中の友達ができて、初めての恋愛と失恋を経験し、自分を一番応援してくれる優しい夫と結婚し、日本に帰る決断をした。

結婚してから「いつかは日本に帰るかもね。でもいつになるのかわからないね。」って夫と話していたのが現実になり、積み上げてきたアメリカ生活を手放すと考えた時、「やっぱり日本に帰りたくない」ってなった。15年前は「やっぱりアメリカ行きたくない」だったのに。「人生何があるかわからない」は本当だ。アメリカから帰国することを決めた時は不安だったけれど、なぜか光は見えていた。「やっぱりアメリカ行きたくない」って思って後悔しながら不安だらけで行ったアメリカで体験したことは私自身の実りになって成長させてくれたから、目の前に何があるかわからない次のjourneyもきっと何かしら実りを与えて私を成長させてくれると確信していたからかもしれない。

本帰国前に仲良しのお友達とロードトリップ。いつでも会えたのに会えないのは切ない。

でもやっぱり日本に帰る前日は瞼がぱんぱんに腫れるくらい泣いた。最後の友達とバイバイしてハグしたら涙が止まらなくなって。「笑顔でまたねをしようね」って言ってたのに。その光景を思い浮かべるだけで今でも涙が溢れてくる。でも日本で夫と一緒に生活できて、ずっと遠くで中々会えなかった家族と沢山会えるようになって、新しい出会いにも恵まれて、日本に帰ってきてよかったのかなってやっと思えるようになった。まだまだ逆カルチャーショックに驚かされるし、毎日観光者気分で刺激が沢山な日本生活。アメリカと日本の文化、教育、習慣の違いや長所と短所を記録するために少しづつ書いていこうと思う。

同僚のペットたち。私もいつかロバとヤギと犬とニワトリを飼いたいな。そのためにはロバが鳴いても近所迷惑にならないような広いお庭のあるお家を建てないとね。


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