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バスケまみれと夢に向かって突き進む中学校時代

1.更に少年化が進み、バスケ三昧の日々

小学6年生でバッサリショートに断髪してからというもの、私は更に少年らしさに磨きをかけていくことになります。

服は全てメンズのお店で買い、制服のスカートの下には常に短パンを履いており、断固としてスカートを履いていないと言い張る私。←子ども

小学校の卒業式も、母に何とかスカートを履きなさいと説得されましたが、断固としてパンツスタイルで出たぐらいです。(笑)

中学生になって一気にきつくなったバスケの練習にしごかれ、体重が一気に3kg絞られることに。

中学校は地域の3つの小学校が一緒になり、その中にバスケのとても上手い学校があったので、私は中学校でもレギュラーになるべく練習に打ち込んでいったのでした。

『SLUM DUNK(スラムダンク)』が正に大流行していた時代で、バスケ部のメンバーはかなり多かったので、わいわい苦しくも楽しい練習三昧の中学生活で、県大会等にも出場していました。

1年生の頃はほんの少ししか試合には出られませんでしたが、2年生になるとかなり出られるようになり、3年生ではバッチリとレギュラーを獲得。

運動能力も上がり、短距離はさすがに陸上部のこには敵いませんでしたが、リレーのアンカーには選ばれるぐらいで、得意の長距離に至っては、3年連続クラス対抗駅伝の区間賞に選ばれました。

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2.進路と夢の方向性の摸索

もちろん中学校時代も動物関連の本を読み進め、具体的な職業や、今後通う学校等を模索し始めました。

その頃見当がつくペット業界の仕事は『獣医』『動物看護士』『犬の訓練士』『ペットショップの店員/トリマー』等でしたが、私の目的は”捨て犬と捨て猫を世の中からなくす”だったので、どの職業に就けばそれが達成できるのかを日々考えていました。

そんな私の努力を見て、その時ダスキンの仕事をしていた母が、お客様に当時家庭で飼われているのは珍しい「オールド・イングリッシュ・シープドッグ」を飼っている人がいるからと紹介をしてくれました。

女の子なのにトムと名付けられたモサモサで大きな犬がとにかく可愛くて、団地生活の為に犬を飼ったことがなかった私は嬉々としてよく散歩に連れ出していました。

トム

※写真はイメージです。

珍しい犬種ですし、大きくてインパクトがあるので、よく人に呼び止められたり、「く、熊っ!?」と驚かれたりするのでいつも楽しく散歩ができました。

そうして散歩に通っている私を可愛がってくださったトムのオーナーさんが、トムを訓練に預けている『警察犬訓練士』の方をご紹介してくださり、なんと夏休みの期間を使って、住み込みのお手伝いをさせていただけることになったんです!

このことは、私が意識をせずに”引き寄せ”を起こせた人生で初めての体験だと思っています。

3.警察訓練所での生活と体験

もちろん家を離れて人の家で生活するのは初めてのことで、更に寝泊まりしていたのは、何と犬舎の上にある屋根裏部屋。

夜には天井を走り回る鼠の音なんかも聞こえましたし、下には警察犬である「ジャーマン・シェパード」や、預け訓練を受けている様々な犬種の犬達がたくさん居ました。

どこでも眠ることができるという特技は、おそらくこの頃から磨き上げられていったのだと思います。

訓練所には訓練士のお父さんとその奥さん、そしてお二人の子どもの女の子と男の子が居たので、私は特にさびしいと思う事なく、日々の掃除や犬の散歩を手伝い、訓練をする模様を見学させてもらいました。1日の流れは大体このページのような流れです。

そしてこの訓練士さんに指導をしていただき、トムと一緒に『訓練協議会』にも出場しました。

当日は私のあまりの緊張がトムに伝わり、競技中に大きな方をしてしまったトム。(←かなりの減点)でもそのおかげで肩の力が抜けた私たちは、その後大きな失敗もなく、練習でほぼできなかった「停座及び招呼」もバッチリ決めることができ、褒められたのを覚えています。

でも訓練士に関しては、この体験を通して毎日の終わりなき犬のお世話の大変さと、ほとんど訓練所を出ることのない環境、そして、警察犬の訓練士になっても捨て犬と捨て猫はいなくならない等の理由で、この道ではないと実感することとなりました。

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でも、例えば今であれば、ネットを検索して出てきた理由により実際に体感せずに訓練士にならないことを決めていたかもしれません。でも私の時代にはそれがなかったので、自分でやって決めるしかありませんでした。

挑戦していなければ、あのご家族にも会えず、家族と離れて過ごす経験や、屋根裏部屋での生活、大型犬同士の喧嘩を仲裁する経験、賢い犬達と子どもと一緒に川へ遊びに行く経験。家で過ごしていたら、一つもできない体験だったと思います。

今では、そうして実際に動いて感じることができた体験が、今の自分を支える”自信”へと繋がっていると実感しています。

そしてシェパードは本当に賢くて、家族に優しい頼りがいのある犬種なので大好きになりました。そしてその仔犬の可愛いことといったら!家族と離れ、犬にまみれた夏休みを過ごし、新しい事ばかりを目の当たりにした夏でした。

4.異性間のもつれとトラウマ

中学ともなると、徐々に異性への意識が芽生え始めるころ。

意識をしだすからか、少しずつ男子と女子の接点がなくなっていく中、私は人類皆兄弟!とばかりに、男子も女子も関係なく仲良しでした。

流石にこの頃から、小学校の時のように休み時間に男の子と遊ぶことはなくなりましたが、それでも仲の良い男子はたくさんおり、特にサッカー部のこ達とはよくたまって仲良く話したりしていました。

そんな中、中学3年になった頃、仲の良い男子数人から「付き合ってほしい」と立て続けに告白されることに。こんな少年みたいな私のどこが良かったのか分かりませんが、心まで少年だった私は”つきあう”の意味がよく分からず「今までのままでよくない?(笑)」と全て断ったのでした。

すると、多感な時期で繊細な男子は、廊下ですれ違う時やクラスでも私を避けるようになり、私はそれがとても悲しかったのを覚えています。せっかく仲良しだったのに、話もできなくなるなんて。。

「恋愛って面倒くさい」。これがその頃の私の感想でした。

5.高校を決めた理由

この時期に女性の獣医師さんが書いた3部作のエッセイを読み、自分は『獣医』にはなれないと痛感した私は、この時点で大学に行く選択がなくなり、進路を専門学校に絞ることにしました。

この時はHPで情報検索ができる時代ではなかったので、大学や専門学校がたくさん載った図鑑のような冊子に無料の資料請求はがきが付いており、それを片っ端から全国の専門学校に送って資料を郵送してもらっていました。

偏差値的には進学校に行けると言われてはいたものの、その高校には普通科しかなかったので、私は

市立であること
生活と情報分野に関する様々な資格が取得できる
家から自転車で通える
通学路に『福岡市総合図書館』がある
女子校である ← 告白後に避けられたトラウマ

これらの理由で『福岡女子高校』の生活情報課に行くことを決めました。

6.中学校のいくつかのエピソード

この頃から時折後輩の女の子に恰好良いと気に入られるようになり、自宅に手作りのぬいぐるみを持ってこられるという経験を持っていた私は、3年の時の担任の先生に「おまえは宝塚にはいれ。」と言われたことも。

そして生理痛の痛みで苦しんでいる私に、その先生が「小梅、おまえは女に抵抗しているからそんなに生理痛がひどいんぞ。」と言われ、「えっ!!?ならずっと治らんやん。。」と純粋な気持ちでショックを受けたこともありました。(笑)

「ヒッチハイクで旅がしてみたい!」と言うと、「女の子は危ないからだめっ!」と親に言われ、「女の子って不便!!」と更に女であることに反発を強め、男の子に生まれたかったと願っていたこの頃の私。

でも家族に対しての反抗期はなく、学校のルールをしっかり守る優等生。先生に怒られたのは、一度友達にもらったミンツを一粒食べて、「もらったやつも悪い!」とガチの拳骨をくらった時ぐらいでした。

今思えば、学校をさぼったり、街を歩いて補導をされたり、少しぐらいやんちゃをした方が人生のネタとしては面白かったのに。(笑)

そしてその後も更に夢には一直線。私の人生の試行錯誤は続いていきます。

小梅

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小梅の人生の礎を築いた0歳から専門学生までの物語。

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