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部活をしている意味はあるのだろうか

1日は24時間


最近、やりたいことややらなければならないことが多くなってきたように感じる。もちろん、それは自分が選んですることを決めていることだ。誰かに無理やりやらされるようなことではない。

それらが増えると「忙しい」と感じたり、「時間がない」と感じたりする。自分以外の人でもこれらの言葉を使っている人は少なくはないはずだろう。もしかしたらこの記事を読んでいる人も日常的に使っているのかもしれない。

しかし、1日は平等に24時間ある。これは揺るぎない事実だ。神様が「ウーン。君は忙しそうだから今日は28時間与えるよ。」とかは絶対にないのだ。だから、限られた時間(24時間)で何をやるかすなわち取捨選択をしなくてはいけない。今日は何をやろうか、これをやろう。しかし、これは今急いでやる必要はなさそうだな。では、これをすることをやめてあっちをしよう。という具合にだ。


部活をやる意味があるのだろうか

まず、自分の一日のやりたいこと、やらなければならないことを頭の中でリストアップしていった。部活や筋トレ、学校の課題などさまざまなことがあることに気づいた。

そして、1つの疑問が生まれてきた。

「部活をやる意味はあるのだろうか」

これは自分の中では定期的に出てくる質問だ。ドラえもんでいう出木杉君ぐらいのポジションだろう。自分は毎回この質問とたたかっているのだ。何か紙に書いてメモしてればいいなとこの記事を書いて気づかされたけれど、この記事をメモ代わりにすることを決めた。(もしかしたら、過去にも同じような記事を書いているかもしれない…)


この質問が生まれてくる要因は部活を楽しめていないときだ。部活よりもやりたいことがあったり、部活で嫌な思いをしたりとかだ。自分なりに分析すると、今は簿記やFPの勉強をしたい気分なのだ。そうだ。だから、気分が乗らないのか。

気分が乗らないときにそれをするほど、時間が無駄だったなと感じるときはない。だから、気分が乗り気になるまで部活にはいかなくていいと思った。こう文字に起こすと、気分屋みたいだ。いや、気分屋みたいというか気分屋なのだ。自分はそれを悪いことだとは思わない。

気分が乗らないことを解決するには時間以外他ならない。だから、部活が行きたくなるまで気ままに待とうと思っている。意味何かそんなたいそうなことを考える必要なはない。気ままに待てばいいのだ。


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