800字SS

透明な声

地元の小さな書店の店員として働いている僕に、とある本を探している、と尋ねてきたのが彼女だった。「この本を探しています」と表示されたタブレットを見せられて、それがマイナーだけど僕の好きな作家の本だと分かった時、なんだか嬉しくなってしまってやたら話しかけてしまった。この作家が好きなんですか? あれは読みましたか? これはおすすめです、なんて。彼女はただうんうんと頷いていた。それでなんとなく、この人は人と話すのが苦手なのかなとは思ったけれど、まぁいろんな人がいるし、と特に不思議には思わなかった。むしろ、人と話すのが苦手ならこんなに話しかけて悪かったな、と少し反省した。それから彼女は何度かその作家の本を買いに来てたけど、あえて話しかけないようにした。

何日か経って、偶然彼女を近所のカフェで見かけた。遠目に見かけただけだけど、そこですべての謎が解けた。友人らしき女性と二人で席に座っていた彼女は、手話で会話していた。相手の女性は普通に声で話していたが、彼女は手話で答えていた。つまり耳は聞こえるが声を出して話せないのだろう。手話が分かれば彼女と話せる。そう思った僕はすぐにDVD付きの手話の教本を買って覚えることにした。

また何日か経って、彼女が店に来た。会計をするとき、ここぞとばかりに覚えたての手話を使った。
「この前の、本は、面白かった、ですか? ……って、あってるかな?」
彼女はそれを見ると、はっとした顔をして、そのあとふわっと笑顔になった。
「まだ簡単なのしか分からないんですけど、いま勉強してて。よかったら今度、本の感想とか教えてくださいね」
ニッコリ笑った彼女は、僕にもわかる手話でこう答えてくれた。
『ありがとう』
初めて間近で聞いた彼女の「声」は、透明で流れるようで、とても美しかった。

——————————

第五回100人共著プロジェクトMVA受賞作品

頂いたサポートは同人誌の制作、即売会等のイベントへの参加、執筆のための資料の購入などに充てさせていただきます。