800字SS

羽化

 待合室から新幹線のホームへ移るとまだ肌寒かった。桜前線はいま埼玉を抜けたあたりらしいから、きっと新幹線の中ですれ違うのだろう。3月27日。とうとうこの日が来てしまった。
 両親の離婚までは想定内だったけど、そのあと東京に引っ越すことになるとは思ってもみなかった。だけどまぁ、家の事情を考えると仕方ないことだと思うし、最良の選択だとは思う。元々高校を出たら上京するつもりでいたから、それが3年早まったと思えば納得も出来た。
 でも、心残りが一つだけあって、私はそれを消化しきれなかった。小学校の頃に私をいじめから守ってくれて、それからずっと好きだった君に、卒業式の日にありがとうの一言すら言えなかったのだ。チャンスはいくらでもあったのに、私が気弱すぎて一歩が踏み出せなかった。「好きだ」が言えなくても「ありがとう」くらい言いたかったのに、私はそれすら言えなかった。そのまま気づけば君は校舎からいなくなってて、その日の夜、私は大泣きした。
 連絡先なんて知らない。私は一か月前にPHSを買ってもらったけれど、君は持ってないし、住所や電話番号なんて当然聞けなかった。あとはもう、奇跡しかない。
 卒業式の後、出かけるたびに街の中に君の姿を探した。いつかみたいに君が友達と自転車で歩いてないかな、なんて。でも、見つからなかった。あの夜あんなに泣いたのに、私は弱虫から羽化できないままで、共通の友達に連絡して君に会いに行くなんて思い切った行動はできなかった。そして、今日になってしまった。
 乗車予定の新幹線がホームに飛び込んでくる。強い風が、私の短く切りすぎた髪を巻き上げる。君は来ない。だって教えてもいないから。分かっているけど探してしまう。
「ほら、行くよ」
開いたドアの向こうで母が呼ぶ。行かなきゃ。山に雪が残る街から、もう葉桜の街へ。弱虫は蛹に乗って、東京に着いたら蝶になるから、だからいつか、きっと会いに行く。

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VALU版ワンドロ&ワンライで書いた「旅立ち」( https://note.mu/mt_316/n/n0aebffac91e9 )を推敲・改題したものです。



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