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勝ち目がないならルールを変えちゃえ。

マーケティングのお話です。ここでいう「ルール」というのは消費者の中に暗黙的に存在する購買行動の基準。例えば一昔前のエアコンは「省エネ性能」が最重要な選択ポイントで、ほとんどの人がエアコンを買うときにカタログの「消費電力量(電気代)」の項目を見て比較したと思います。シェアNO1のブランドは売り上げを技術開発や人材の確保、より性能向上が見込まれる資材の調達などに当てることができ、革新的なイノベーションでも起きない限り、省エネ性能の差は広がる一方。理論上、このルールの下では2位以下は永久に1位に勝てない。

しかし、実際には省エネ性能は無限に高まるわけではなく、一定の水準に達した段階でその差はほとんどなくなってきます。今では1日つけっぱなしでも電気代は数十円というのが普通になり、家庭ではリビングに1つから、各部屋に1つという変化が起きる。そうなると、今度はメンテナンスというポイントが選択軸として強くなってくる。エアコン選択のルールはこの10年ほどの間で「省エネ性能」から「防カビ/お掃除性能」へと変化しています。このように、ルールはその時代の環境や消費者のライフスタイルによって変わるもの。

当然、ルールが変わればパワーバランスが変わるわけですから現市場での2位以下に逆転のチャンスが生まれてくるということになります。ちなみに「差別化」とはちょっと違います。差別化とは、既存ルールの中で競合他社が取りこぼしているニッチなニーズやビジネスチャンスを拾っていこうというもので、ルールの書き換えによって自社の強みを主要ニーズに転換してしまおうというものではありません。

【ルールを変えて市場を塗り替えた商品たち】

ダイソンが掃除機業界に引いた新しい基準は「吸引力の持続性」。キシリトールがガム業界に引いた新しい基準は「虫歯予防」。MacがPC業界に引いた新しい基準は「操作の直感性」。Reveurがヘアケア業界に引いた新しい基準は「シリコンの有無(ノンシリコン)」。身の回りにある、いつの間にかシェアがひっくり返っていたもの。その中には、みんなが気づかないうちにルールを書き換えて、その地位を築き上げているものがたくさんあります。

【シャープの「亀山モデル」という大発明】

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ブラウン管の次世代を争う、プラズマVS液晶の争いが集結した後にやってきた「液晶テレビ戦争」。価格も品質も参入ブランドのほとんどが横並びのカオス状態。強いていうなら赤の発色が綺麗なのはコレで、黒の締まりが良いのはコレ、リモコンが使いやすいのはコレ、くらいの超マニアックな話が飛び交っていました。家電のプロである量販店の店員に聞いても「最終的には好みっすね」とお手上げ状態。売り場では各メーカーから派遣された販売応援員による、激しい値引き合戦が行われていました。消費者は「価格」と「画質」以外に選択基準を失った状態。このカオス状態を打破して一人勝ちしたのが、シャープの「亀山モデル」という戦略。他社が独自の映像エンジンや液晶パネル技術をCMで訴える一方、シャープは突然次のような文言をテレビの横に添えたCMを開始します。

「世界の亀山モデル」

そして家電量販店には「亀山モデル」と書かれた輝くシールを付けたAQUOSが並びます。テレビの最重要選択肢は「画質」というルールから一人逸れて、「生産工場で選ぶ」という新基準・新ルールを引いたわけです。このファクトリーブランディングが大ヒット。「どれを選べば良いかわからない!」という消費者の受け皿として頭一つ抜けた存在となります。

冷静に考えれば「亀山なんて初めて聞いたわ!」「何を持って”世界の”なの?」って話なんですが、僕もその当時、消費者の一人としてコレを何の違和感もなく受け取り、妙な納得感を持ってAQUOSを買いました。

コレ、ものすごく正しいテレビCMの使い方をしたなと。テレビというメディアの信頼感を使い、大量出向で刷り込む。日本が世界に誇る大女優・吉永小百合さんの存在も「世界の」に対する納得感に繋がったし、15秒というメディア特性も「言い切り」を助けたと思います。「亀山モデル」を目印に買えば良いので、売り場で消費者は迷う必要もない。消費者が迷わないので店員さんも画質の微差の説明に追われることもない。SHARP以外のメーカーには悪夢のような話ですが、それらを除けば、たった一言でたくさんの人を幸せにした、まさに大発明。

【所ジョージ流・TPP問題解決法】

価格競争力で勝ち目のない輸入米に対して、国内農家をどう保護するか。そこで所さんが面白い提案をしていました。

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TPPによる農産物の関税引き下げ・撤廃が、国内農家に大打撃を与えるということが様々なメディアで騒がれていた時期。農薬を飛行機で撒いちゃうような大規模農業に、家族単位で農業を営む日本の農家が、価格で敵うわけはない。人件費だって全然違うわけだし。政府が提示した補助金という対抗案も一時しのぎに過ぎない。そこで、所さんがこんなアイデアを提示します。

国内産は「お米」と呼んで、
外国産は「ライス」と呼ぶことにしない?

「どっちが安いかってったら、そりゃ外国産には勝てませんよ。だけど日本人ってやっぱりお米が好きでしょ。僕らのソウルフードはライスじゃないのよ。僕はお米かライスかって聞かれたら、ちょっとくらい高くたって、お米を食べたい。だから、国は補助金云々言ってないで、呼び方や表記を変えましょうってしちゃえば良いと思うのよ。それはTPPのルールにも違反しないわけでしょ?」

いや、天才かよ。

所さんの提案は、補助金で価格差を埋めるんじゃなくて、価格で比較されない状況にしようってことです。毎日食べるものだから1円でも安いものが欲しいというのが、家計を預かる者としての暗黙のルール。そのルールの下では国産米は輸入米に勝てません。だからそうではないルールに書き換えようということ。

【ルール変更には社会的同意が鍵】

ルール変更で大逆転を果たした商品に共通することは、現市場の1位に対する「潜在的な」不満と欲求に切り込んでいるということ。「潜在的な」をあえて強調したのは、消費者は暗黙的なルールに従って購買行動をしているので、自身でもそのルールに対する不満に気づいていないケースがほとんどだからです。逆に言えば、どんなに商品の機能が優れていても、潜在的な不満や欲求に合致していなければ、ルール変更に対する社会的な同意は得られないでしょう。ダイソンに当てはめて言えば、「吸引力が最強」では日本の家電メーカーからシェアは奪えなかったと思います。消費者が不満に思っていたのは「吸引力」そのものではなく、「吸引力の低下(最初はいいけどゴミが溜まってくると吸えなくなってくる・・・)」だから。微妙な差だけど結構重要なポイントです。

所さんのエピソードでは「俺たちは米で育った。米が好きだ。味や食感はそんなに変わらないかもしれないが、ライスは似て非なるものである。だからちょっと高くたって、お米を食べようよ。」っていうところに、郷愁の念やナショナリズム、そうした情緒的な同意が生まれる気がします。

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