怒りが教えてくれるもの

怒涛の日々が終わった。そこまでの時間を拘束されていなかったし体力的にも余裕はあった。それでも心は死につつあるというか、自分のペースで日々を過ごせていない、何かにずっと追われているかんじ、時間との戦い、、、達成感や冒険的な刺激を楽しんではいたけれど、ずっとそれだと持たない、少しずつ何かを剥ぎ取られているような感覚があった。これでまた自分の心地よさ、許容範囲、諸々の境界線、などを改めて知る。少なくとも今のね。

そしてわたしは怒っている。これはいい怒りだなと思う。今までありがとう、次へ行く、今までのパターンは手放す、新しい選択をする、そちらを信じる、などとひとりでたくさん宣言していた。

自分でどうするのかを決めないと。来るものにただ反応していくだけなんて、嫌だ。こうでもしないと、自分の望みが何なのか、知ることが出来ないよね。

自分のしっくりくるペース、働き方、休み方、自分のサイクルに従う、、を採用していると、世の中に存在している型に自分を当てはめるのがなかなかに難しくなる。最大限に自由なものは存在するけど、自分にしかわからないペースやリズムを大切にしたいのなら、やはり自分で自分にしっくりくるものを作らなきゃね。

健全な怒り。自分を自分たらしめるものは何?戦闘態勢、自分自身との。

お前はそんなもんじゃないだろう?何がしたい?本当はどうしたい?

様々な不満、心がざわつくもののすべてがどうでもよくなったら、じゃあどうする?どうしていく?の世界線へ。

わたしはこれからどういう世界を創っていく?




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