銭湯で聞く訛り混じりの会話に、旅情を感じるのだ。【Short Letter】
郵便受けに、1枚の絵葉書が入っていた。
それは、ある銭湯からの招待状だった。
差出人の名前は、人蔘湯という。まるで身体の芯から暖まりそうな薬湯のような名のその風呂屋は、愛知県豊橋市にある。
実はこの招待状、銭湯を存続させるためのクラウドファンディングの返礼なのだ。昨年一度閉店したが、新たな経営者を迎えて復活をすると聞いて思わず協力をしたのだ。葉書の四隅を切り取って、2回分の入浴券とドリンクと引き換えることができる。
単なる復活ではない。なんと、サウナが新設されたというのだ。サウナーとしては、なんとも嬉しい情報だ。
昨今、銭湯は数が激減している。無理もないだろう。家に浴槽があるのは今となっては当たり前。さらに後継者不足や設備更新による多額の出費などで経営を続けられなくなる店舗も多いと聞く。
一方で、銭湯は今でも地元の人々の交流場所である。さらに近年のランニングブームやサウナブームで、その価値が見直されているのも事実だ。かくいう私も銭湯が大好きで、家の狭い湯船に入るくらいなら、1週間に1回は広い湯船で身体の疲れを癒したいと思っている。
さらに言えば、旅人と銭湯は親和性が高い。特に、青春18きっぷや夜行バスを使用するような人間にとっては、銭湯はライフラインのような存在だ。
移動前にひとっ風呂浴びて汗を流してからバスに乗り込んだり、逆に旅行先で疲れた身体を癒すにも最高だ。昼すぎから夜まで開いていることも多いのでいい暇つぶしにもなる。常連客の訛った会話に聞き耳を立てるのも、旅情を感じる良いものだ。
サッカー遠征で毎週のように全国を飛び回る、このマガジンの読者諸兄もきっと銭湯愛好者が多いのではないだろうか。
遠征で全国を旅すると、その街その街に馴染みの風呂屋ができる。京都で言えばサウナの梅湯。そして惜しくも先日閉店したタワー浴場。名古屋なら八幡湯。そして、豊橋なら人蔘湯だ。
豊橋市は人口約37万人。長らく愛知県第二の都市として君臨しており、現在でも東三河地域では最大の規模を持つ街だ。自動車輸出港として栄え、手筒花火も有名だ。予め丼の底にご飯がよそってあるボリューミーな地元グルメ、豊橋カレーうどんも美味しい。
交通でも面白い。新幹線が停車し、名鉄とJRが競うように名古屋方面に列車を走らせる。一方で長大ローカル線として名高い飯田線の終着点でもあり、渥美半島へと延びる豊橋鉄道も接続している。そして、なんと言ってもこの街の交通の特徴は、路面電車があることだろう。その終着駅である『運動公園駅』を降りると、岩田運動公園にたどり着く。
この公園には、プロ野球の開催実績のある野球場やJFLでの試合開催実績のあるスタジアムがある。路面電車で向かうことができるスタジアムというのは、全国でも珍しいだろう。ただ、惜しむらくはここ豊橋を本拠地とする全国リーグのチームがないことだ。現在JFLに所属しているFCマルヤス岡崎が毎年ホームゲームを開催しているが、年間数試合と絶対数が少ないのだ。
そのため、この街にサッカー遠征で訪れたことがあるという人は少ないのではないだろうか。
ささやかな自慢なのだが、私の応援している東京武蔵野ユナイテッドFC(昨年までは東京武蔵野シティFC)は、ここ5年間で2回豊橋での試合を経験している。そして、その試合に際して私も豊橋を訪れているのだ。
そして、人蔘湯との出会いもまた、サッカー遠征の際に見つけたことがきっかけなのだ。
出会ったのは今から4年前。6月のことだった。試合前日に豊橋駅へと降り立った私は、豊橋鉄道へと乗り込んだ。
豊橋鉄道の終点、三河田原駅。ここからレンタサイクルに乗り換える。行き先は伊良湖岬だ。岬までは約30km。ママチャリで走るにはなかなかのロングライドだ。沿線にはメロンのビニールハウスが立ち並び、半島の先端に近づくにつれてリゾート感が強まってくる。カニの爪のような形の半島だけあって、海岸線はどこまでも遠くまで見える。
岬の先端には港があり、海の向こうの三重県鳥羽市までフェリーで向かうことができる。鈴鹿ポイントゲッターズの試合へ向かう際に、利用したら面白いかもしれない。
30km走ったら、30kmかけて駅まで戻る。豊橋の街へと戻った頃には、西へ東へと移動をしてへとへとだ。銭湯で身体を休めたい。
そこでGoogle mapで「銭湯」と入力すると、街にいくつかのピンが落とされる。駅前にはサウナ施設、少し駅から離れればスーパー銭湯もある。しかし、その中で何やら気になる名前を見つけた。
「人蔘湯」
いっぽんでもニンジン。にそくでもサンダル。そんな歌を口ずさみたくなる名前だ。人参が湯船に浮かんでいるのだろうか。せっかくなので、ここに向かうことにする。
豊橋駅前から、歩いても10分ほどの場所に、その銭湯はある。名前の割に建物はモダンな作りだ。脱衣所から先は、昔ながらの銭湯の雰囲気が漂う。華美な装飾や変わり湯がたくさんあるわけではないが、こういうのがいい。無料で入れるミストサウナもありがたい。
残念ながら人参は湯船に浮かんでいなかったが、その昔ながらの雰囲気や地元の人々で賑わう姿は一見客の私にも気分が良いものだった。だからこそ、クラウドファンディングのホームページで名前を見た時にすぐにこの銭湯だと気づいたし、すぐに協力したいと思ったのだ。
昔のように地元の力で銭湯を維持するのは、もしかすると現在では難しいのかもしれない。しかし、ならばこれからは全国の銭湯好きが支える番なのだ。
これからは銭湯を守る人々の熱意がそれを支えていくのだろう。
そして私も、微力ながらそれを支えていきたい。
そんな人蔘湯は、閉店を経てこの4月に帰ってきた。この話の最後に、先日再訪した時のことをお話ししよう。
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