人生は旅ってつまりそういう事。
「Go to heaven for the climate, go to hell for the company」って言葉があります。
直訳すると「気候のためなら天国へ行きなさい、仲間が欲しいなら地獄に行きなさい。」となります。
つまり、このフレーズが言いたいのは、「天国は気候が良くて環境には恵まれていますが、つまらないかもしれないですよ。でも地獄は環境は恵まれていなくても仲間が居て面白い場所ですよ。」って事です。
普段生活していて、決断しなければいけない場面はたくさんあります。大きな決断でなくても、例えば「今洗濯するべきか?後でやれば良いか?」や、「今この友達を励ますべきか?放っておくべきか?」など、自分がどう言動するか決断する瞬間に直面する事は誰でも避けられません。
人生何が正しいのか、何が正解なのかって考えながら目の前で起きる事を1つずつ消化していますが、結局正解が分からないままずっと探り探り迷っているって事が生きているって事で、それが生きている証拠なのかなって思う事もあります。
そして、道徳的に正しい事がいつも正しいとは限りません。この世の中、社会、置かれた環境、という土台が人それぞれ違っています。そもそも土台が不公平で歪んでいる状態のため、常に道徳的に正しい行いをしていればその人が必ず幸せになれるとか、幸せになるに値するって事ではないんですよね。だから人は何が正解か分からいまま常に考え模索しているんだと思います。
私は小さい時から正義感が強く、常に道徳的に正しい事が正しいと強く信じてきました。でも色々経験して、ここ数年はそれに疑問を持ち始め、それだけが正しい事ではない気もしています。
例えば、私は無責任・責任転嫁・ゴマすり・偽善者って事が大っ嫌いで、絶対そういう人間にはなりたくないと信念を持って生きてきたし、そういう人でない変なプライドもあります笑 でも、それが果たして正解なのかなぁ。そういう人も居るから世の中成り立っているんではないか?とか、そういう人もそういう人でそれなりに理由があったり、その人なりに一生懸命生きているんじゃないかな?って思うようになったんですよね。もしかしたらそういう行動を取らざるを得ない環境で育ったのかもしれないし。もちろん仕事でそういう人に直面してイライラする瞬間はありますが、その瞬間昔ほどむきになって反応しなくなったというか、しょうがないって受け入れる自分も見えるようになってきました。
だからと言って、特に私の場合は対人関係で道徳的に正しい事をしないって言う選択肢はズルイ事をしている気がしてなかなかできなかったり、そんな自分を許せる気がしません。でも自分は完璧な人間でもないし、完璧からほど遠いので、例えば会社で嫌な事があってストレスが溜まったら人の悪口を言い、そんな自分が嫌になったり小さく思えたり。
人生は旅。最終目的地がどんな場所か、どんな人が居るのか、想像を膨らませながら、どの想像が正しいか分からないまま旅路を一歩一歩進んでいく。どの旅路が近道か、どの旅路が危険なのか、ただコンパスだけを頼りに地図もなく前進している事が人生なんだろうって思います。だから人生は旅って言うんでしょうね。というより人生は一生迷子って感じですよね。迷路に放り投げられたみたいな。毎日混乱ですよ。
最初のフレーズに戻ります。これは死んだ後の話ですが、このフレーズを見ると、死んだ後でさえ、何が幸せか分からなくなってきますよね。だから、もし天国・地獄という概念が本当だったとして、例えば道徳的に正しい事を常に選んできた真面目な人が、当然のように天国に行っても幸せを感じるかといったらそうじゃないかも知れないんですよね。周りはつまらない人ばかりかもしれないし、楽しくないかもしれないんです。
確かに地獄は人格者でなくても歴史に名を残したような興味深い人生を送った人、多そうですもんね。地獄ってちょっと楽しそう・・笑
結論、死んでからも何が正解か分からないのに、生きている私たちが何が正解か分かるはずがないんだと思います。でもそれを探り続け、少しでも自分のレベルアップをして目的地に近づこうとする努力の過程が人生であり、若いって事・生きているって事なんだろうと思います。
そんな風に思った土曜の朝でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?