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国葬儀の是非よりも、もっと語るべき本質的な問題とは

9月27日の安倍元総理の国葬儀に向けて、慌ただしさが加速しています。
 
国葬儀には、アメリカのハリス副大統領や、インドのモディ首相、カナダのトルドー首相、フランスのサルコジ元大統領等、元職を含め49人の首脳級のほか、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長など、218の国・地域などから約700人が参列する予定です。

国内の約3,600人と合わせると、総参列者数は4,300人程度が見込まれており、警察は、会場となる東京都千代田区の日本武道館を中心に、約1万8,000人を上回る規模で警備に当たります。

国葬儀が行われる日本武道館
時事ドットコム

国土交通省は、上空からのテロに備えるため、26~29日の間、会場を中心に半径およそ46キロの上空に飛行制限区域を設定。この区域では、羽田や成田などを発着する定期便や、警察や消防、報道機関のヘリコプターなどを除き飛行が禁止されます。
 
また、警察が最も警戒するのは、山上容疑者のように特定の組織に属さない「ローンウルフ(一匹オオカミ)」です。26~27日にかけて、海外要人の来日・離日の際の移動などに伴い、首都高や一般道で大規模な交通規制を実施すると発表しました。
 
巷には、連日、国葬儀の是非を問う報道やインターネット投稿が溢れ、大規模な国葬儀反対集会が全国各地で行われています。
 
1 国葬儀について
(1) 国葬の定義、法的根拠

国葬は、「国費を使って行う葬儀であり、国に功労があった人が亡くなった際に国家儀式として行われる葬儀のこと」とされています。
 
戦前は1926年に公布された「国葬令」が根拠となっていました。しかし、現在はそれを定めた法律は存在しません。
 
そのような中、政府が示した根拠は2001年に施行された「内閣府設置法」。内閣府が所掌する事務を定めた法律で、その4条3項には「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」という記載があり、これを法的根拠として閣議決定で行うという見解でした。
 
(2) 岸田総理の説明
更に、岸田総理は、安倍さんを国葬儀とした理由について、次の4点を挙げています。
① 憲政史上最長の8年8か月にわたり重責を担ったこと
② 震災復興、経済再生、外交などで大きな実績をあげたこと
③ 外国首脳を含む国際社会から高い評価を得ていること
④ 民主主義の根幹たる選挙が行われる中、突然の蛮行で逝去したこと
 
そして、「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と語りました。

国葬儀について説明する岸田総理
首相官邸ホームページ

総理の説明は、道義的には理に適っていると思います。しかし、法的根拠や意思決定の手続き、或いは、多額の公費負担については曖昧さが残り、連日、国民やマスコミの間で論争になっています。
 
2 個人的な違和感
戦後日本において、ほぼ前列のないことであり、このような混乱は無理もないことでしょう。むしろ、賛否両論あるのは当たり前のことで、大いに論議されて然るべきと思います。
 
信教の自由という観点からも、私自身、賛成なのか反対なのか、その事について、ここで主張するつもりもありません。
 
ただ、国葬儀に係る世の中の動向をみていて、幾つか感じている違和感があるので、そのことについてお話し致します。
 
(1) 死者に鞭打つ一部の団体
先ず、国のために全てを捧げ、あのような死に方をした安倍さんが、亡くなった後もひどい言われ方をしていること。
 
国葬儀に反対しているはずのデモ隊に、安倍さん個人を誹謗中傷するプラカードが多分に紛れ込んでいたりとか…。それは「国葬儀反対」の趣旨に反していませんか?
 
日本はいつから死者に鞭打つ悲しい国に成り下がってしまったのでしょう。
 
安倍さんを「アベ」と呼び捨てにしたり、もし、自分の身内だったらどんな気持ちになるでしょうか。
 
安倍さんのご遺族に対する人として当たり前の思い遣りとか、反対する側も一定のマナーを守って欲しいと思います。
 
(2) 行き過ぎた感情が生み出す「分断」
悲しいことに、男性が焼身自殺を図る事件が起きたりと、国葬儀の是非を巡り、やや感情的になり過ぎている側面も否めません。
 
岸田総理が述べたとおり、これは強要されるものではないので、賛成の人は賛成、反対の人は反対。それでいいと思います。
 
国際情勢が日々不安定化する中、賛成派と反対派、それぞれが正当性にこだわり過ぎるあまり、この国を「分断」しては本末転倒。特に、マスコミは不必要に賛否を扇動すべきではないと思います。
 
(3) 外来集団による国民・国家への浸食
そもそも、安倍さんを死に追いやったのは山上容疑者。もっと言えば、山上容疑者を凶行に走らせたのは、彼の母親と旧・統一教会。
 
国を挙げて問題視しなければならないのは、山上容疑者を追い詰めた旧・統一教会という存在なのであり、国葬儀の是非が過熱するあまり、そのことを忘れてしまってはならないと思います。

大和西大寺駅前にて
(Photo by ISSA)

一般市民から、何千万円というお金を当たり前のように受け取っている時点で、まともじゃないですよね。
 
その上、お金がなくなって苦しんでいる信者とその家族を平気で見殺しにできるような集団に、いったいどうやって「世界平和統一家庭連合」とやらを実現できるというのでしょうか?
 
多額の献金は、海を越えた反日国家へと流れ、指導部が私腹を肥やし、更に、日本の政治中枢にまで食込もうとしていた…。
 
恐ろしくないですか?
 
国民も政治家もマスコミも、日本国内に浸食しつつある脅威というものに、もっと危機感を覚えた方がいいと思うのです。
 
4 本質的な問題とは
そのような中、私たちが本気で論じなければならないことは、「私たちは、いったい日本というこの国をどんな国にしたいのか」ということに尽きると思います。
 
死者に鞭打つ悲しい国、行き過ぎた感情による国民の分断、外来集団による国民・国家への浸食。それらを看過することが、私たちが望んでいることなのでしょうか?
 
安倍さん亡き今、国を率いるリーダーも、報道メディアも、著名人も、文化人も、誰も「美しい国、日本」を熱く語ろうともしない。
 
私たちが抱えている本質的な問題というのは、そこにあると思うのです。

結 言
間もなく、安倍元総理の国葬儀です。これはもう決定事項なので粛々と実行されるでしょう。
 
ただ、国葬儀の賛成派も反対派も、今一度、この本質的な問題に目を向けて、ひとりひとりがこの国の在り方に思いを致す
 
私は、安倍さんの国葬儀が、そのような機会になって欲しいと、そう願ってやみません。

伊勢神宮 一の鳥居
(Photo by ISSA)