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安倍元総理を偲ぶ

2022年7月8日午前11時31分頃、奈良市内の大和西大寺駅近くで、安倍晋三・元内閣総理大臣が男に銃撃されて死亡しました(以下、敬意を込めて「安倍さん」と記述)。
 
12日に東京の増上寺で葬儀が営まれ、多くの人が会場周辺に集まりました。沿道には、頭を下げて祈る人や「安倍さん、ありがとう」などと声をかける人々で溢れていました。

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沿道から安倍元総理を見送る人々

国のために力を尽くされた方が、功績を称えられることもなくこんな形で終わるなんて。今でも、何だかとても悔しくて、残念で仕方ありません。
 
この忌まわしき日は、未来永劫にわたり日本史の1ページに刻まれることになる。しかし、その前にきちんと安倍さんの功績を示さなければ浮かばれないーーー。今回はそのような思いから執筆することにしました。
 
1 安倍晋三とは
安倍さんは1954年9月21日に元・外務大臣の安倍晋太郎の子として生まれました。本籍は山口県長門市。母方の祖父は岸信介、大叔父は佐藤栄作という政治家一族で、幼い頃から身近に政治がある環境で育ちました。

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安倍晋三の家系図(Trend Labo

成人後は神戸製鋼所での勤務や、外務大臣だった父の秘書官を経て、1993年の衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選を果たしました。その後、内閣官房副長官、自由民主党幹事長及び内閣官房長官を歴任し、2006年に自民党総裁に選出されて内閣総理大臣に指名されました。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣でした。
 
潰瘍性大腸炎のため、一旦、2007年9月に総理大臣の職から退くことになりましたが、2012年12月に再び内閣総理大臣に選出されて、第2次安倍内閣が発足しました。その後、2020年9月に総辞職するまで、連続在職日数(2822日)及び通算在職日数(3188日)とも歴代最長を記録し、安倍一強とも呼ばれた8年間で、様々な外交・安保政策を推進しました。
 
2 安倍さんの功績
ここでは、安倍さんの外交・安保上の功績についてご紹介します。安倍外交は、一言でいえば「地球儀を俯瞰する外交」と「積極的平和主義」でした。

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首相官邸 特集ページ

(1) 国家安全保障会議(NSC)の創設
2013年、最初に取り組んだのが日本版NSCとも呼ばれる国家安全保障会議NSC:National Security Council)の創設でした。この創設で省庁横断的な情勢分析が可能となり、外交・安保関連の政策提言が飛躍的に向上したといわれています。
 
(2) 国家安全保障戦略(NSS)の策定
更に、同年12月、我が国として初めて国家安全保障戦略NSS:National Security Strategy)を策定し、防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画(中期防)などの防衛力の整備を、より戦略的・計画的に行えるようにしました。
 
(3) 平和安全法制の制定
2015年には平和安全法制を成立させ、従来、自衛の範囲を超えるもので憲法上許されないとしてきた集団的自衛権(注1) の行使を、存立危機事態などの新三要件が満たされる場合に限り容認する道を切り拓くとともに、自衛隊による在外邦人輸送を、より実効性のあるものにしました。
 
(注1) 自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていなくても実力をもって阻止する権利
 
(4) 自由で開かれたインド太平洋構想の推進
国内の安保体制が整うと、今度は2016年に開かれたアフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)において自由で開かれたインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo-Pacific)構想(注2) を打ち出します。
 
(注2) 2012年に国際紙に掲載した自身の外交・安保構想である安保ダイヤモンド構想を更に発展させたもので、当初から日米豪印4か国(通称、クアッド)による地域への積極関与と法の支配の重要性を説いた
 
安倍さんは海軍力の重要性と、今がまさにその時であることを誰よりも深く理解した政治家でした。ルールに基づく国際秩序を確保することにより、グローバル・コモンズ(国際社会の共有財産)としてのインド太平洋地域を発展させようと国際社会に呼びかけ、日本がその陣頭に立つ決意を示しましたのです。
 
実際に、安倍政権下で護衛艦「いずも」が就役し、2019年にトランプ米大統領来日の際は、横須賀に停泊していた2番艦「かが」艦上で日米共同会見を開き、そして近くそれらの艦上で運用される多数の新型ステルス戦闘機F-35の調達を約束しました。
 
そして今現在も、海上自衛隊の実働部隊が日本周辺で弛まぬ警戒監視活動に従事しつつ、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた様々な活動に従事しています(彼らの名誉のためにも、容疑者を「元・海上自衛官」と呼ぶのはそろそろ止めにすべきだろう)。

令和3年度インド太平洋方面派遣(IPD21)

安倍さんの8年間というのは、まさに日本を取り巻く安保環境が急速に悪化した時期でもあります。国際情勢が激変する中で、迅速かつ適切に対処できたのは安倍さんだったからこそ。これらの政策が実現していなかったら、日本は一体どうなっていたのでしょう。日本のリーダーが安倍さんで本当に良かったと思います。

3 当日の警備態勢
話は事件に戻りますが、演説当日の警備態勢はどうだったのでしょうか。私は当初から本質的な問題点は当日の警備体制(特に背後)と、VIPの予定を事前に公表したことにあるのではないかと、そう考えていました。
 
実際に14日、岸田総理は「率直に言って、警備体制に問題があったと考えています。」と語っています。

銃撃の状況(朝日デジタル)

以前、在外公館に赴任する前に、要人警護を含む「警備のいろは」を教わったのですが、警備の基本は「抑止」と「対処」です。
 
特定の人物の生命・財産を脅かそうとする相手と対峙する際、最も肝心なことは「相手に事を起こす決心をさせない」ということです。つまり、睨みをきかせて相手をけん制し、「何かやりにくいなあ、今日はやめておくか」と思わせることが何よりも先ず重要なことなのです。
 
安倍さんの背後から近づいてくる輩はいないか、なんか怪しいヤツがいるけど大丈夫か、そういった雰囲気であちらこちらに睨みをきかせ、無線機で情報をやりとりする。そして、ちょっとでも誰か近づこうものなら、相手と安倍さんの線上にすっと割って入る。そういった行動を取るだけで、ずいぶんと抑止できるものなのです。
 
「抑止」とは、基本的には相手との心理戦であり、犯罪者の心理に則した行動をする。仮にSPが足りなくても、事前に警備要員に指示して知識づけをしておけば、訓練されていない要員であっても十分に抑止力の一翼を担わせることができるのです。
 
ところが事件発生時、警備要員も選挙の支援者もみんな安倍さんと同じ方向を向いていた。抑止力がまったく働いていないのは素人目にも明らかで、本当に悔やまれます。
 
おわりに
安倍さんが総理大臣としてご在任中、あるお題を与えられて何度か首相官邸に足を運んだことが思い出されます。これほど日本の安全保障に真剣に取り組まれた方は居なかった。
 
現場の献花台には、連日、多くの方々が弔問に訪れています。ネット上にも沢山の安倍さんの死を悼む声が上がっています。更に、米国をはじめ、欧州、アジア、中東、アフリカなど多くの国々の指導者や各方面からも、安倍元総理への哀悼の意が伝えられています。

森友問題等へのイメージからか、生前は安倍さんを批判し誹謗中傷する声が強く、日本国内には、どこか安倍さんの功績を正面から称えることを躊躇させるような雰囲気がありました。
 
しかし、安倍さんが亡くなった今、多くの人々が「やっぱり、そうだよね。安倍さんて考え方や人柄も素晴らしかったよね! 身を粉にして国家・国民のために本当によく頑張ったし、沢山の功績を残したよね! 日本の将来を任せられる真のリーダーだったよね! 日本にとって本当に大きな損失だよね…。」そういうことに、多くに日本人があらためて気づかされた。そのことが今、安倍さんの死を悼む声や弔問客の波となって押し寄せている、そのように感じられます。
 
前回の記事でも結びに引用しましたが、危機管理評論家の故・佐々淳行氏は「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」と常々話していました。
 
政治家のような国家の安全保障に携わる方々や、実際に防衛・警備に携わる者たちが「楽観的」に構えて準備を怠っていると、このような恐ろしい事件が起きるのです。そいうった意味では、安倍晋三という政治家はこのような考え方を良く心得ていて、極めて「悲観的」に想定し、「抑止」に重心を置いた現実的な方策を準備しようとしていました。
 
ただ闇雲に反対するだけで何の具体策も示さないとか、他国が日本に牙をむくことはないと「楽観的」に考えているリーダーは、必ず国家や国民を危うくすると思います。
 
多くの良識ある日本国民が目覚めて、安倍さんの目指した「美しい国」日本に向けて再出発する。安倍さんの死をきっかけに、日本社会にそういった潮流が生まれるのなら、私は決して安倍さんの死は無駄ではなかったとそう思えるのです。

日本のためにすべてを捧げる覚悟があります 〜 安倍晋三 〜