在外勤務で学んだこと(第3回)
第2回では、領事関係のうち、日本人に対する各種行政サービスの提供と、日本に渡航する外国人への査証発給業務についてお話ししました。
第3回では、治安情報に基づく安全情報の提供や事件・事故被害者に対する援護・保護業務、並びに大規模災害・騒乱・紛争等の緊急事態発生時の自国民保護活動等、いわゆる「在外における公安系のお仕事」について概説していきます。
1 海外渡航・在住の日本人数
近年の情報通信技術の発達は目覚ましく、海外との距離はより一層近いものになりました。
しかしながら、(新型コロナウィルス流行前の2019年以前では、)ビジネスで海外を訪れたり駐在する重要性は依然として変わっていません。2019年に海外に向け出国した日本人は約2,008万人でした。
また、人口が減少し少子高齢化が進む中、海外居住の日本人も増加傾向にあり、国内労働力流出の一因にもなっています(訪日外国人数の増加は、観光収入のほか国内労働力確保のねらいもある)。
2 海外邦人援護件数
こうした中、在外公館による海外邦人援護件数も増加傾向にあり、現在も高いレベルが続いています(注:本統計は、在外公館で把握している援護事案のみであり、海外邦人に係る全ての事件・事故等を網羅したものではない)。
3 脅威事象に対する在外公館の考え方
下図は、脅威事象と対策の相関関係を表したものです。
何を脅威と感じるかは個人差のあるところですが、「自国民保護」を任務のひとつとする在外公館では、上図の縦軸に記載のとおり、その国に潜む日常の小さな危険(ミクロ)から国家存亡の危機(マクロ)に至るまで、考えられる脅威事象をシームレスかつ幅広に列挙し、発生前の予防策(Precautionary Measure)と発生後の対応策((Counter-) Measure)、具体的には、事件・事故の未然防止を図るための情報収集・発信と、事件・事故及び緊急事態発生時の体制づくりに平素から取り組んでいます。
その際、留意すべきことは、大きく分けて脅威には「国家・組織・個人の意思が介在しない偶発的又は自然発生的なもの」と、「国家・組織・個人の意思が介在するもの」があるということです。英語で安全は「Safety」や「Security」、危険は「Danger」や「Risk」、情報は「Information」や「Intelligence」などと訳されますが、それぞれ後者の英語には、「脅威の元となる相手の意思をどう読み解くか」という要素も含まれており、領事や警備対策官に任ずる者には、常に後者の目線に立ち、管轄内の邦人の安全を確保するために「どのような創意工夫を凝らすか」という能動的な思考を働かせることが極めて重要になります(情報収集活動のやり方については「基礎的インテリジェンスの実践法」を参照)。
4 安全対策
上図左下に記載の「安全対策」は、治安情報提供と事件・事故の予防策や被害軽減策に係るアドバイスを中心とした活動です。
日本政府は、国民に対して「渡航の自由」を保障している関係から、政府が国民の海外渡航を「禁ずる」ことはできず、外務省が発する海外安全情報では、どんなに危険な地域でも退避を「勧告する」のが関の山です。
海外安全情報は、在外公館の領事や警備対策官などが起案し、在外公館長の決裁を経て外務省に進言されています。
【参考】海外安全情報に係る豆知識
○ 脅威の対象のみならず、当局側の対応力も考慮
○ 各レベルの境目は国境や州境であることが多いが、現実にはその境目で危険度が変化する訳ではない(ので、概念的に捉える必要)
○ 他国が発信する安全情報との間で、脅威認識については見解の相違があっても構わない(その国のテロ・犯罪集団が、国籍、人種、年齢層、性別等、主に何をターゲットにしているかにもよるので)
○ 内容が厳し過ぎると、観光収入減少への懸念から在外公館がその国の政府からクレームを受けることも
○ JICA等、独自の安全情報体系を有している組織・団体には、外務省の海外安全情報よりも緩い規範とならないようアドバイスする(JICA等の安全情報は職員のみを対象として「内部規範」であるのに対し、外務省の安全情報は全ての日本人が対象)。
5 邦人援護・保護活動
このように、在外公館としては治安情報の提供と事件・事故の予防策や被害軽減策に係るアドバイスを積極的に行うことで、事件・事故に遭遇する日本人を出来るだけ少なくすることに重きを置いて活動しているのですが、それでも、先述のとおり、事件・事故に遭遇する日本人が後を絶ちません。
(1) 活動主体と実態
下図は、日本国内と駐在国における活動主体の相違について概念的に示したものです。
日本国内では日本の警察・消防が事件・事故に対応しますが、外国では、その国の警察・消防が事件・事故に対応します(在外公館が主体となって解決に導くことは出来ない)。
「海洋にまつわる話(第2回)」の冒頭でもお話ししましたが、法の考え方は属人主義と属地主義に大別され、すべての外国人は、その国の道交法や刑法のような「属地法」並びに法執行機関に服する義務があります。
裏を返せばその国の政府には、「自国の領域にある全ての外国人を保護する義務がある」ということでもあり、そのことについて、日本国旅券に記載された公文書で、その国の政府に対し「同人に必要な保護と援助を与えるよう要請」しているのです(「海洋にまつわる話(第2回)」の日本国旅券の保護要請文を参照)。
しかし、いわゆる「人治国家」と揶揄されるような、法律や当局があまり機能しておらず、賄賂などで問題解決を図る文化が浸透しているような国では、問題解決はおろか、まともに取り合ってくれないこともしばしばです。
(2) 在外公館の対応
そのため、在外公館ではこのようなことも想定して平素から当局の責任者やその上位者との「顔つなぎ」をしておいて、状況に応じて電話をしたり直接会うなどして問題解決に向けた働きかけを行います(他方、在外公館は日本政府の代表であるが故に非合法なやり方を取る訳にはいかず、そう意味では、自ずと出来ることには限りがあるといえる)。
また、必要な場合は領事が現場に赴いて被害者を保護し、在外公館又は近傍の医療機関やホテルなど、先ずは被害者が安心できる場所に連れていって必要なケアを受けさせるとともに、事件・事故に至った状況などを聴取した上で所用の援護業務(各種情報提供、旅券や証明書やレターの発行、支援者・団体などの紹介、当局への働きかけ等)を行います。
(3) 加害者への対応
あと、難しいのが事件・事故の被害をうったえている日本人は「本当に被害者なのか」という観点です。外国人との間にトラブルを生じた日本人は、「私は日本人だから、日本の在外公館は必ず私の味方になってくれる」との思いが強く、自らの正当性を強調しがちになります。
しかし、よくよく話を聞いたら、実は被害者自身にも非がある、或いは被害者でありながらも、見方を変えれば加害者でもあるというケースもあります。
ここで重要なことは、在外公館は司法機関でも弁護士事務所でもないので、一方的に自国民の話だけで自国民の側に立つことは難しく、増してや在外公館が主体的かつ一方的に問題解決を図ることはできないという原点に立ち返ることです。
邦人の加害(容疑)者が発生した場合は、ある程度は心情に寄り添い必要な支援を行いながらも事件・事故に対する中立性を保ち、その国の当局にも不当な扱いがないか観察している、というスタンスで対応します。
(4) 死亡者への対応
冒頭のグラフにあるように、毎年、海外で死亡する日本人も少なからず発生しています。死亡者及びその家族に対する援護業務も領事の重要な仕事のひとつです。
死亡者が発生した場合、先ず、現地当局の法的処理(原因究明のための解剖)に委ね、領事が死亡者の身元確認を行います。
その後、家族の意向などを確認しつつ保管・葬儀・搬送要領について支援しつつ、死亡者の旅券失効処理や、死亡届の作成支援(場合によっては受理)、死亡証明書の発行等、所要の事務を行います。
そして、日本人の場合は家族が遺骨、或いは遺体のまま本邦へ搬送することを希望することが多いので、遺体・遺骨証明書を発行して棺に貼付し、空港等で見送ります。
【参考】邦人援護・保護活動に係る豆知識
○ 領事は、治安当局と同じ地図を持つことで、ある程度、道路や地区の名称を正確・迅速に共有できる
○ 他方、途上国では道路名や施設名が複数あったり、詳細な住所が存在しない等から、事件・事故発生場所の特定に時間を要する場合も
○ 途上国では、警察が「パトカーを持っていないので、大使館の車で警察官を迎えに来い」と言われることもある
○ 土地勘がない場所に向かう場合、現地の運転手又はナビゲーター(或いは事務所からの無線誘導)による道案内が必要
○ 海外で事件・事故に遭い、大変怖い思いをした被害者に、いきなり事情聴取を始めてはならない(このような場合、先ず、被害者の心情に寄り添い精神的な安心感を与えることが肝要)
○ 警察から「容疑者の特定に協力してくれ」と頼まれても慎重に対応すべき(容疑者の中には凶悪犯も含まれており、顔を見られると後から復讐を受ける可能性がある)
以上、領事業務のうち、事件・事故に係る安全対策及び邦人援護・保護教務について概説しました。
次回、第4回では大規模災害・騒乱・紛争等の緊急事態に備えた平素の対策及び発生後の緊急事態オペレーションについて概説致します。