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サブカルは英語の勉強に向いてない

英語を勉強しようという理由で音楽や映画の作品を使うのはあまりよくないと思う。ある種の小説もそうだ。

最近またオアシスにハマっているので久しぶりに彼らの動画を観ている。

しかしまあ、けっこう発音がなまっていたり、英語のジョーク?や反抗的な発言をしていたりする。そこで耳慣れない単語や文法がいっぱい出てくるから、何を言ってるのかあまりよくわからない。

洋楽の歌詞になるともっと抽象的で、人によって発音がすごく変わってるから余計に難しくなる。


たとえば、日本語を習得したい外国人がここに居たとする。まあ名前は、仮にイアン・ブラウンとしよう。そこで日本のサブカルから日本語を学習しようとしたらどうなるだろうか?

イアンさんが「俺はロックが好きだから日本のロックで日本語を勉強するよ」と言って、これを普通の日本語だと思って勉強したらそれはもう効率が悪い。

なんとなくoasisと近い感じの曲としてpillowsを選んだが、しかしこれ本当にいい曲だね。

忌野清志郎とか桑田佳祐の音楽を教材にしたらもっと習得が難しくなる。しかし英語と言うテーマになると、それと同じことをしている人がいっぱい居るのも事実だ。

それかイアンさんが「鬼滅の刃を読んで日本語を覚えます」といったら、それも普通の日本語とはかなりかけ離れたものになってしまう。

冗談みたいな実話がある。初対面の他人に対して「貴様」という外国人の友達がいた。彼は『北斗の拳』を読んで日本語を覚えたらしい。


とうわけで、TOEICや英検を取りたい人ならなおさらサブカルを教材にしないほうがいいと私は思う。リスニング能力を鍛えるために洋楽を聴くとか洋画を見るとかいう人がいるが、無駄が多すぎる。

というか、たとえばTOEICならTOEICの教材を使えばいいし、大学受験ならそこの過去問を使うのが最も効率がいいし、ブレないに決まっている。とくに公式の試験や学校の英語というのは、文法や発音があまり変な方向にいかないようにチューニングされている。

結局のところ、勉強のために作られた資料が最も勉強に向いているのだ。