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「自分がしたいことをするべきだ」とか「好きなことを仕事にしよう」というパワーワードの毒と冷め切った自分。自分を呪い続けて縛る「自分」という呪い。

【仕事】自分が「できること」よりも「したいこと」というけれど。
自分の能力についてを、自慢するという意図は微塵もなく、Linkedinなどで私の投稿に目を通してくださる方はお察しのとおり、私は自己肯定感がとても低い人間です。

ずっと周りになじめなくて・・・というと語弊があるのですが、

厳密にいうと、表面的にはむしろ好奇心も強かったりして新しいところに飛び込んでいくことに抵抗はないですし、初対面の人には自分から色々お話を聞いてすぐに仲良くはなるので、知り合いやつながっている人というのは広くいらっしゃいます。

しかしおそらく、ASDというマイノリティとして生まれたが故の、孤独が付きまとっています。

ここで孤独についてを話す気はありません。
ただ、ひとと物の見方、感じ方が違い、自分の真の感じ方と、多くのひとの感覚がずれていることを無意識に感じ取り続けて、多くの人が楽しいという事を、自分はわからずにむしろ混乱や緊張してしまう、その結果
幼いころから、自分は間違って存在しているという感覚を持ち続けてきたことは、今日のお話と結びつきます。

よく、「自分がしたいことをするべきだ」とか「好きなことを仕事にしよう」というパワーワードが飛び交っているのを見かけます。
とてもキラキラしていて、思わずすがりたくなるような毒を撒き散らす魅惑的な言葉です。

わたしは、求職活動や転職のなかで、自分の今までのキャリアや軌跡を人にお話しすると、
「佐藤さんの能力なら、この仕事絶対に問題ないですよ」「英語がこれだけできるんだから、もっといい仕事があるんじゃない」「もったいない」
「得意なことが活かせますよ」
こんな反応が返ってくることが多いです。

「得意」
「もったいない」

「得意」
「もったいない」

・・・

得意、もったいない・・・

私の、能力的な部分を、人は、高く見積もって評価してくださいます。

私は、ただ必死に、一所懸命、恐くて、人一倍努力をしたり、挑戦したり。勉強をしていないと、この世に存在してはいけない気がしてしまって、本当に恐かったんです。
得意と言っても、恐怖心と自己肯定感の低さに押しやられて、駆り立てられて、身に着けてきた能力なんです。

沢山の知識、何百冊も読んだ本。

中学のころ、「校長賞」というのがあって、年間数百冊を図書室で借りて、外国の文学のコーナーで読んでいない本が無いくらいになり、全校生徒の前で表彰されたことがありました。

私は、本が好きだったのか、本当に好きだったのか、
よくわかりません。
小学生のころは、シートン動物記から始まって、図鑑に読み耽ったり、本を読むことが楽しかったですし、好きだったのだろうと思います。

いつからか、この社会になじむために、擬態を続けて、合わせよう、合わせようと、無意識に自分の欲求を押し込めて…
おそらく食事をすることを煩わしく感じるほどに絵を描いていたのをやめてしまってからでしょうか。

そして、学校で授業になる前から まだ見ぬ外の世界に憧れて、独学で英語を勉強しはじめ、大好きだった英語。
英語の試験はいつも100点。英語を話すことも、勉強することも、楽しくて楽しくて仕方なくて、それなのに、語学の道を志すことは、できない
自分の好きなことは、やってはいけないという、
家庭の雰囲気があったからでしょうか。

器用貧乏。
両親は、普段は無関心で、子どものことに興味なんてないのに、
私が希望することは、諦めさせて、芽を摘むような親でした。

青年海外協力隊で働く看護師の話を読んで、進路を看護師に変えた当時の私でしたが、
自分で自分を洗脳していたのかもしれません。
「自分は、英語が得意だし、看護師なら、お金がなくてもなれる。人の役に立つことで、自分は存在していてもいいと思えるかもしれない」

14歳。子どもながらに、そう自分に言い聞かせて、本当の好きだったことは諦めたと思います。

なぜ外科の仕事が好きなのでしょうか。なぜ解剖学が好きなのでしょうか。
人の人体や、細胞の働きを知ることは、面白いです。小さい世界が集まっていて、ミトコンドリアDNAは母親からしか遺伝しないこととか、面白いと思います。

でも、私は本当に看護の仕事が好きなのでしょうか。
人は、面白い。生物としてのヒトは不思議な存在です。

一度にさまざまな情報をとらえる私の目。記憶力。
本を読むことで培われた知識と、学んだ技術。
仕事は…「仕事をすること」はできます。

能力としてできることは、とてもたくさんあります。
でも、好きだからやっているのではありません。
いろいろ気づいてしまうから先回りして準備したり、細かいところまで気を回すのであって、好きなわけではありません。

本当は、新しいものを見に、外の世界に飛び出していきたい。
ものを描いたり、感じたことを、文章にしたり、
そんなことがしたかったのかもしれません。

擬態をし続けたことと、好きも、能力を伸ばすことも許されなかった。
大人になった後で、自由になったはずだったのに、
好きなことをしてはいけない、楽しい選択は許されないという、古くて重い錆びた鉄臭い鎖だけが残って、親の代わりに、今度は自分で自分を呪っていると思います。

それがわかっても、生き方の癖を変えることが難しくて、
それも自分の役割の一部であるかのように、「さあ、辛い方を選べ」という自分がいます。

外国にいるとき、外国人の友人といるとき、
なんで自分はあんなにも解放されて、
すべての感覚を取り戻したように、すべての瞬間を愛せるのでしょうか。

本当の自分、「好き」という感覚を持った自分が出てこられるのは、
今の場所では難しいのでしょうか。

そんなことを考えていると、目に入ってくる「ガザ地区」「病院」「死傷者」の文字。
今日明日という一日を生きることにも不安という人がいる中、自分は、なんて愚かで、贅沢なことに悩んでいるのだろうと思います。

好きなことだって?できることだって?
仕事に悩めるという事自体が、なんと ありがたいのか。

そんな思考が行ったり来たり。
それが私の頭の中です。

明日、明後日は面接です。
自分の能力、何がしたいのか、考え抜くのにいいときかもしれません。

視野が狭くなり、かと思えば遠く広くなりすぎたり。
あるいは世界に飛んでしまったり。

いっそのこと、眠ったまま夢を見てずっと覚めなければいいのになあと思います。

#ADHDの頭の中
#好きがわかるのは好きを肯定された人だけ
#愛着障害

本当にありがとうございます!応援してくださる気持ちが本当に嬉しいです。「サポートをいただきました」の通知が、わたしの人生のうちの今日一日という日を幸せにしてくださいました。色々ありますが、あなたの一日も素敵なものになりますように。