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笑い声が怖い。集団が怖い。自分が存在してはいけない「恥」の存在に感じる#発達障害

今日、ご近所さんが庭の前の通路で遊んでいた。
正確に言うと、ご近所さん「たち」。

新しい家に住んでいる、4つの家族が集まっていた。
わたしが住む場所は、建売で買った家が並ぶ場所なので、
小さい子どものいる、世代が近い人たちが集まっている地域だ。

子どもが同じ年齢という4世帯は、保育園なども一緒で、
ママ友という感じ。
頻繁に、家で集まってBBQをしたり、子どもも交えて遊んでいる姿を目にする。

目にするどころか、玄関の前の道路で遊んでいるので、家の中にいても、
子どもがはしゃぐ声、喧嘩する声、走り回る音、
大人同士が会話する声などが沢山聞こえてくる。

彼らが集まるのは私の家の真ん前だ。
というか、みんなの家の中心に位置するのが私の家で、
囲まれているLocationなのだ。

わたしは、正直に言うと、
すごくこの近所の人たちが怖い。

じぶんは子どもが大きく、一緒に遊ぶ年齢ではないので
輪に入れていなくても気おくれしなくていいはずなのに、

「わたしは、近所に仲間に入れてもらえない陰湿なキャラ」みたいに思われ、扱われている気がしている。

実際には、あちらさん方がとにかく仲が良すぎるだけで、
私が特別嫌われているというわけじゃないはずなんだろうけれど、
それでもどこか、嫌われているような気がして

苦しい気持ちになる。

仲良く、平和に、気の許せるような間柄で、
ご近所とも付き合ってみたかった。

しかし、ASDの私は、
どうやったら輪に入っていけるのかはよくわからない。

そしてとにかく恐怖だ。

ほんとうは、庭に出て植物を眺めながらぼーっとしたりしたい。
しかし、子どもたちとBBQする大人たちの視線を感じながら、
庭に出る勇気なんてない。

玄関ドアを開けるだけでも気を遣う。

こうして書いていると、
なんだかすごく特殊な環境に住んでいる気もしてくる。

私の大嫌いな、シェアハウスに住んでいる人間たちに囲まれているような気持ちになる。
苦しい・・・
とても息が詰まる。

全てを監視されているような気持ちになって、恐怖だ。

近所なんていうものは、気持ちよくあいさつを交わせるくらいの距離感でいたい。

関りは、最低限でいい。つまり、あいさつやちょっとした世間話程度。

そんな風に思っている私と、
お酒を飲みながら、どっぷり仲良くしているご近所さん同士とでは、
付き合いの熱量にギャップがあるのは当然だ。

それでも、その仲の良さを見せつけられているような気持ちになるし、
居心地はとても悪い。

家に閉じこもって、顔を見せないように隠れていなければいけない気持ちになる。

いっそのこと、東京や神奈川の住宅街のように、
周囲との距離感が空いている、
近所との関係を全く持たない雰囲気がある環境の方が自分には楽だ。

何故、自分の家なのに、肩身が狭い思いをしなければならないんだろう。

家にいるだけで、緊張。

近所の人の楽しそうに笑う声を聞くだけで、
心臓が「キュッ」と縮むような気がする。

家の周囲に、柵を立てて、もう自分の家がどこからも見えないようにしたい。

人と会わないでいたい。

怖い。

自分を「恥ずかしい存在」のように感じるような経験を、もうしたくない。




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