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ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(1)

本記事は、歴史家のデヴィッド・アーヴィングが名誉毀損で歴史学者のデボラ・リップシュタット教授を訴えた裁判の控訴審で使われる予定であった、修正主義者のゲルマー・ルドルフによる宣誓供述書に対する反修正主義者のジェラルド・グリーン博士による反論書の翻訳です。実際には、デヴィッド・アーヴィングによる控訴申請は棄却され、アーヴィング側の敗訴で結審しており、ルドルフの宣誓供述書もグリーンの反論書も使われることはありませんでした。

ルドルフによる宣誓供述書はどうやら多岐にわたって、ホロコーストに対する修正主義を論じたものであったようですが、その宣誓供述書自体は公開されていないようです(もっともその多くのルドルフの主張は公表されているルドルフの著作の多くで繰り返されているもののようです)。しかし、グリーン博士の反論書はTHHP(現在はPHDN)にて公開されています。主たる論点は、アウシュヴィッツのガス室に関することであり、毒ガスの発生源として使用されたチクロンB及びその毒性などについて、です。

さて、そのチクロンBですが、開発者は人類社会を大きく変えてしまったと言われるアンモニアの人工合成法であるハーバー・ボッシュ法の発明者であるドイツ系ユダヤ人、フリッツ・ハーバー(この記事のトップ画像の人物)が開発したものです。

チクロンBは上記写真のように、缶詰にされて使われていましたが、その中には硫酸カルシウム(石膏)や珪藻土の小片(普通はペレットと呼ばれることが多い)が入っており、シアン化水素(青酸)の液体が含ませてあります。しばしば「空気に触れるとシアンガスを放出する」と表現されることがありますがこれは正確な表現ではなく、液体シアン化水素の揮発性が高いからであり(液体シアン化水素の蒸気圧は20℃で82.6kPaですが、水は2.5kPaでり、水より33倍も揮発性があることがわかります。ちなみに揮発性が高いことでよく知られるエタノールは5.9kPaですから、液体シアン化水素はそれよりもはるかに揮発性が高いのです)、常温でも盛んに蒸発するからです。沸点も25.6℃とほぼ常温ですから、缶を開けて所定の位置にチクロンBのペレットをばら撒くだけで使える扱いやすさを備えていました。

このチクロンBは何に使うかと言えば、害虫・害獣駆除です。実は、フリッツ・ハーバーはアンモニアの人工合成法の開発者でもあると同様に、毒ガス兵器の父でもありました。アンモニアについても、その主たる利用方法はもちろん窒素肥料ではありましたが、ダイナマイトの原料(ニトログリセリン)でもあったのです。つまり、膨大な犠牲者を生み出した第一次世界大戦の影の主役の一人でもあったのです。彼は第一次世界大戦で毒ガス兵器の開発に着手します。彼の主張は後のナチスドイツが毒ガスを使って大量殺戮を行うに至った理由の一つである「苦痛を与えない」殺傷兵器だから、戦争法(人道法)の精神に反しないというものでした。

そうして様々な化学物質が毒ガス兵器の材料として検討されたのですが、その中で強力な殺傷能力を持つことが知られていたシアン化水素にも、彼は当然目をつけていたのです。ところが、シアン化水素は第一次世界大戦でもっともよく使用された毒ガスである塩素ガスに比べて、兵器としては致命的な欠陥があったのです。それはシアン化水素ガスは空気よりも軽い(空気=1とした時に0.94)ことでした。第一次世界大戦で広く使われた戦法は、名作である『西部戦線以上なし』や『1917』でもよく知られるように、塹壕戦です。塩素ガスは、空気よりも密度が高いため塹壕に滞留して兵士を効率よく殺傷できました。しかしシアンガスは大気中に拡散してしまうため、そのようには使えないのです。例えば、旧日本軍が開発したシアンガスを用いた毒ガス兵器である「ちゃ剤」や「ちび弾」は戦車内の兵士の殺傷に限定されていました。ところで、余談ですが、旧日本軍もチクロンの開発からやや遅れて、ほぼ同じ仕組みの青酸を用いた害虫駆除剤を開発しています。名前は忘れましたが。

で、フリッツ・ハーバーは害虫駆除剤としてシアン化水素を用いることとし、チクロンBの開発に至るのです。シアン化水素ガスを害虫駆除に使用すること自体はすでに広く行われていたのですが、それまでは青酸ナトリウム(あるいは青酸カリ)を硫酸のような超劇物を使用して現場で生成していたので、非常に危険であり使い勝手が悪い方法でした。しかし、チクロンならば使用したい場所に缶詰を持って行って、そこで缶を開けて中身をばら撒くだけで使えて非常に使い勝手が良かったようです。何時間か放置しておけばガスは全量放出されてしまいますし、後は使っていた室内を十分換気するだけで作業完了です。

以上のように、シアン化水素ガスを戦場で人間への殺傷兵器として使えなかったのは単に空気より軽かったからというだけですし、殺傷能力自体は別に否定されていないのですから、これを使い易い処刑剤として用いるという発想はほとんど誰でも思いつくと思われます。こうして、容易に用意できた一酸化炭素ガス(普通に工業用として製造されていましたし、ガソリンエンジンの排ガスからも容易に得られました)と共にチクロンBも使用されただけのことなのです。

ところが、大量殺人以外には目的のない民間人への毒ガス使用を断じて認めない修正主義者たちは、ありとあらゆる理屈を利用して、ナチスの毒ガスによる大量殺人を否定しようと企てたのです。ナチスドイツ自身が、極秘にガス室をつかって大量殺戮を行いましたから、フォーリソンの主張した確実で決定的な「たった一つの証拠」は何一つ残さなかったほど、それは徹底していました。証言は膨大にありますが、修正主義者たちにとって証言を否定することは簡単なことであり、証言にある些細な誤りを「矛盾だ!」としたり、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスのように「ヘスは暴行で強制的に自白させられたのであり任意性のない証言に証拠能力はない!」などとすることで、あたかも全く証拠がないかのように示したのでした。

そしてついに、修正主義者たちは、死刑コンサルタントと自称するフレッド・ロイヒターを登場させて、アウシュヴィッツなどのガス室が使われたとされる場所で実地検証させ、専門的・科学的体裁を装ったロイヒター・レポートを作らせて「ガス室は専門的・科学的にもなかったと結論された!」と大喜びするに至ったのでした。

このロイヒターが登場したツンデル裁判にやや遅れて、ドイツで、元親衛隊将校でホロコースト否定者のオットー・エルンスト・レーマーの扇動罪を問うた裁判で、修正主義者の世界に登場したのが今回扱う対象である、ゲルマー・ルドルフです。ルドルフはこの裁判で、ロイヒターと似たような調査を行った結果であるルドルフ報告を発表したようです。しかし、ルドルフは、あまりにも無知無学なロイヒターとは違って、ドイツの研究機関としては超一級であるマックス・プランク研究所で働いていた化学的知見に長けた人物であり、その主張への反論は当時からすでに困難だったようです。何せ、ロイヒターとは異なって、確かに専門的知識を有するからです。ロイヒター・レポートには専門性などありませんでしたので、化学に長けていなくとも反論は容易でしたが、ルドルフへの反論は容易ではなかったのでしょう、歴史学者陣営からのその化学的説明への反論は見たことがありません。学者は一般に、自身の専門分野外への言及はあまりしない傾向があるからだとは思いますが。

しかしながら、化学の専門家は何も修正主義者界隈だけに存在するわけではありません。実のところを言えば、若干ながら私自身、過去に分析化学を履修しており、ミジンコ程度には化学がわかります。ピペットの扱いは当時仲間内で一番上手かったと定評がありました(笑)。真面目な話をすると、大都市で採取した大気中浮遊粒子状物質についての吸光光度法を用いた陰イオン含有量の分析で論文を書いたこともあります(しかし専門の発表論文はたったそれだけですw)。

で、私よりはもちろんずっとしっかりした、非常に詳しい専門家であるリチャード・J・グリーン博士によるルドルフへの反論が今回の翻訳対象です。非常に長い論文なので、適当に5回に分けています。一部、化学的表記などを正確にしないなどサボっているところもありますが、その辺はご容赦ください。論文は印刷媒体を意識したpdf形式になっていましたので、ページごとに脚注が挟まれる形式になっています(脚注が長く、ページを跨いでいる場合があることにご注意ください。脚注文章は必ず区切り線の下〜ページ番号の間に書かれています)。また、古いURLなどは、それが存在する場合に限り新しいURLに変更しています。この翻訳は、2020年に最初に公開していますが、2023年3月に全面的に翻訳を更新しています。

なお、ロイヒターやルドルフの化学的議論に対する反論としては、他に以下のものがあります。

リチャード・ジェラルド・グリーン博士については以下のとおりです。

リチャード・J・グリーン(Richard J. Green、1964年3月、マサチューセッツ州ボストン生まれ)は、ホロコースト否定者の主張に反対する活動で知られるアメリカの化学者である。彼はホロコースト史プロジェクトのメンバーである。クリーブランド郊外のオハイオ州シェーカーハイツで育ち、1983年に私立の少年少女予備校であるホーケンスクール[citation needed]を卒業した。ニューメキシコ州サンタフェのセント・ジョンズ・カレッジで学士号を取得[citation needed]、「グレート・ブックス」の学校である。
1997年、リチャード・N・ザレ教授の指導の下、スタンフォード大学で物理化学の博士号を取得。ユタ大学ソルトレイクシティ校のポスドクと教員インターンを経て、米国政府の請負業者に就職。ジェイミー・マッカーシーと共同で行ったロイヒター報告書やルドルフ報告書への反論で知られるようになった。また、アーヴィング対リップシュタット裁判の際には、裁判所に専門家の報告書を提出した。(Wikipediaより)

ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(1)
ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(2)
ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(3)
ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(4)
ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(5)

リチャード・J・グリーン博士の報告書

▼翻訳開始▼

デヴィッド・アーヴィング 対 ペンギンブックス、デボラ・E・リプシュタット 裁判

リチャード・J・グリーン博士の報告書

はじめに

私は、ルドルフの宣誓供述書のいくつかの点、具体的には、D章の換気システム(27-29頁)、J章のロイヒター報告ヴァンペルト教授とロス教授(175-190頁)、K章のクラクフの法医学研究所の研究(191-250頁)に答えるよう要請されている。これらの章で、ルドルフの推理の問題点に焦点をあてて説明する。これまでにもルドルフの論文に反論してきたが、まず、彼の議論の仕方について、いくつかの面を指摘するのが適切であろう。「ルドルフの信頼性」と題するセクションで、その点を指摘する。ルドルフの宣誓供述書は、従来のユダヤ人問題の最終的解決の歴史が、その特定の側面に対する彼の攻撃によって正しいものであるはずがないと主張することから成っている。注目すべきは、彼が攻撃する歴史上の施設の利用について、

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首尾一貫した別の説明を提案していないことである。その歴史に対するルドルフの攻撃を検討する上で、ルドルフの主張とそれが正しいか否かを論じる。また、彼が正しいという可能性が、従来の歴史に対して大きな挑戦となるかどうかに関して、その帰結を検討することも重要である。一貫性を持たせるため、Scheerer/Rudolf/Gaussなど、別の名前を使ったタイトルに言及するとき以外は、ルドルフ(Rudolf)と表記している。脚注では、参照した論文で使われている名前を使用している。

ルドルフの信頼性 

ルドルフは自身の文書の中で、ドイツの裁判所を故意に欺こうとしたと主張していることに注意すべきである。[1]

1992年の春と夏、私は、何人かの弁護団から、ドイツで修正主義者に課せられたいくつかの裁判に専門家証人として呼ばれた(紹介したパンフレットの脚注103を参照)。これらの裁判では--修正主義者に対するすべての裁判と同じように--、裁判官は、すべての専門家証人を含めて、弁護側が提出したいかなる証拠も受け入れることを拒否している。化学者(私)は毒物学者でも歴史家でもないから断られ、技術者(ロイヒター)は化学者でも歴史家でもないから断られ、歴史家(ハバーベック教授)は化学者でも技術者でもないから断られるということを学ばなければならなかったのである。私の結論は、ドイツの裁判所で鑑定人として認められるには、技術者、化学者、毒物学者、歴史家、そしておそらく弁護士でなければならない、ということだった。ドイツでは法的なプロセスが非常に歪められているので、それらを模倣して、これらの特徴をすべて備えた人物を作り出そうと考えたのだが、それではちょっと非現実的だということで、その人物をいくつかに分けたのである。そういった背景がある。

上記の引用文の中で、ルドルフは、専門家の証人としてこれらの「人々」を受け入れるように裁判所に影響を与えるために、偽の資格を持つ人々の存在をでっち上げたことを認めている。なお、ロイヒターがエンジニアでないことは、一応断っておく[2]。

ルドルフは、平均的なホロコースト否定論者よりも化学に詳しいようで、したがって、いくつかの議論を展開することができる。彼の主張が誠実なものかどうかは、さらに評価する必要がある。この問題を考える上で、特に検証すべきなのは、インターネット上の記事[3]


[1] ゲルマールドルフ、「キャラクターの暗殺者(Character Assasins [sic])」、 http://vho.org/GB/c/GR/CharacterAssassins.html
[2]
 フレッド・A・ロイヒターと専門エンジニアおよび土地測量士登録委員会との間の同意契約について、https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/leuchter-consent-agreement/
[3]
 ゲルマー・ルドルフ、「アウシュヴィッツとマイダネクの「ガス室」」、
https://web.archive.org/web/20051224205146/http://www.codoh.com/found/fndgcger.html

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である。この記事の中で、彼は「交換」という言葉を2つの意味で使い分けている。さて、ある言葉を2つの意味で使うことは悪いことではないが、それが2つの段落にまたがって、誤解を与えるような形で行われた場合、意味の変化を示す義務がある。この議論では、ガス室の換気について論じているが、この問題については、以降で再確認する。ルドルフは、私が以降で希釈を推定するために使っているのと同じ数学的公式を確率的に説明している。

青い玉が100個入ったバケツを渡された人がいるとしよう。その人はバケツに手を入れるたびに赤い玉を1つ入れ、中身を軽く混ぜた後、何も見ずにランダムに1つ玉を取り出す。バケツの中に青い玉が50個だけ残り、他はすべて赤になるまで、何回これをしなければならないだろうか?[...]上記の場合、半分の青玉が赤玉に置き換わるまでに平均70回の交換が必要となる。[強調は私]。

ルドルフの例では、一部屋の空気の交換は、100個のボールの「交換」に相当する。ルドルフの次の文章では、まさに同じ「交換」という言葉が使われており、読者に誤解を与えている。

ビルケナウのクレマトリアIIとIIIのガス室とされる換気施設--通常の死体安置室の換気のためにのみ設計された施設--では、1時間あたりせいぜい6-8回の空気交換しか行えなかったことが、計算によって明らかにされている。[強調は私]。 

同じ「交換」という言葉を2つの文脈で使うことで、換気が非常にゆっくり行われることを印象づけた。第2段落で彼が「空気の交換」と呼ぶものは、第1段落の「交換」のうち100回に相当するが、彼はそのことをどこにも明示していない。これでは読者は、毒の量が半分になるまでに10時間かかると信じ込んでしまいかねないが、しかし、ルドルフはその考えを払拭するようなことは何もしていない。


翻訳者註:ルドルフは確かにそのような主張をしていることが、以下ではっきりわかります。

少し複雑な数学の概念を説明するために、次のようなことをする。青い玉が100個入ったバケツを渡された人がいるとする。バケツに手を入れるたびに、赤い玉を1つ入れ、中身を軽く混ぜてから、見ないでランダムに1つ玉を取り出す。バケツの中に青い玉が50個だけ残り、他の玉はすべて赤になるまで、何度これを繰り返せばいいのだろう? <中略>上記のケースでは、青いボールの半分が赤いボールに置き換わるまでに、平均70回の交換が必要である[136]。

ビルケナウの火葬場IIとIIIの「ガス室」とされる場所--普通の死体安置室の換気のためにのみ設計された施設--の換気設備は、1時間にせいぜい6回から8回の空気交換しかできなかったことが計算で示されている[137]。

別々の論文記事なので、日本語への翻訳上の違いがあるだけでそっくり同じ文章なので、ルドルフは単に過去の記述をコピペしたのでしょう。で、脚注137にはどう書かれているかと言うと、

資料によると、火葬場IIとIIIの死体安置室1(約480㎥、16,950立方フィート)には、水柱40cmで1時間あたり4,800㎥(169,500立法フィート)の空気交換が可能な換気扇があったらしい(註:「水柱40cmで(at 40 cm water-column)」の意味がよくわかりませんが無視していいと思います)。W・ツヴァレンツ (未発表、ランツフート 1991)とW・リュフトル (ウィーン、1992)による同一の調査結果によると、克服すべき圧力差は40cm水柱よりかなり大きい。 J・C・プレサック、前掲書(脚注21)、p. 38は、8,000 ㎥/h (282,500立法フィート/時間) の能力を持つもっと強力な換気扇が設置されていたと主張している。しかし、C・マットーニョ、in H. Verbeke, op. cit. (脚注22)、pp. 134、136によれば、プレサックのソースも4,800㎥/時間という旧来の能力を挙げているため、この主張を支持する証拠はないとのことであった。

私にはなぜ「1時間あたり4,800㎥」の換気能力があるのに、ガス室とされる「約480㎥」の死体安置室について「1時間あたりせいぜい6-8回の空気交換しか行えなかった」と計算されるのかよくわかりません。普通に$${4800\div480=10}$$回としか思えないからです。ルドルフはその計算方法を示していません。また同様に、ボール交換の例で示している統計計算も示していません(詳しくは示しませんが計算それ自体は約70回であってます)。しかしながら、グリーン氏の言う通り、この「回」は前者と後者で異なる意味を持つことは自明です。例えで言うならば、野球でピッチャーが一試合当たり100回投球したことと、野球の回数である9回を比較しているようなものです。そんな馬鹿な比較はあり得ません。「野球のピッチャーは試合を終えるまでに平均で100回の投球動作を行わなければならないが、野球の試合はたった9回しかない」は単に無意味な文章です。


その後、1999年5月4日に掲載されたインターネット上の記事[4]で、ジェイミー・マッカーシーと私は、この「交換」という言葉の二重の使い方を指摘した。ルドルフの反応は、「私たちの翻訳に問題がある」と主張したのである[5]。しかし、引用した記事はCODOHのホームページに掲載されている英文の記事であり、ルドルフの許可を得て掲載されていると思われる。2000年7月28日、私はこの「見落とし」を


[4] リチャード・J・グリーンとジェイミー・マッカーシー、「化学は科学ではない:ルドルフ、レトリック、還元」 1999、https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/chemistry/not-the-science/日本語訳
[5] ゲルマー・ルドルフ、「キャラクターの暗殺者(Character Assasins [sic])」、http://vho.org/GB/c/GR/CharacterAssassins.html

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指摘した[6]。2001年3月10日現在、オンライン版にはまだこのような誤解を招く表現が残っている。

D. 換気システム 

ルドルフの宣誓供述書の27-29頁には、火葬場IIとIIIの換気システムについての簡単な説明がある。宣誓供述書の後半では、さらに詳細な計算を行っている。より詳細な計算への対応は、後の章に譲る。ここでは、その簡単な部分について説明する。ルドルフは、死体安置室1の換気システムは、それが殺人ガス室として使われることを「まったく意図していなかった」ことを示していると主張している。私は、a)彼がこの主張を裏付けていないこと、b)彼が主張する換気能力は実際には十分であったことを示す。

ルドルフはグレイ判事の判決を引用する。

7.62 図面には、さらに、火葬場2のガス室と思われる部屋の換気について記載されている。ヴァンペルトは、換気システムの目的は、有毒な空気を抽出して、焼却炉への死体の搬出を速めることであったと推察している。

ルドルフはこの発言を次のように批判している。

火葬場IIとIIIの換気システムの性能から、「ガス室」とされる死体安置室1が、殺人的な「ガス室」として使われることを意図したものではなかったことがわかる。[強調はルドルフのもの]。

ルドルフはこの驚くべき主張を3つの論拠で支持しようとするが、いずれも彼の主張を支持することも、ヴァンペルトの推論を覆すこともできない。それぞれについて順番に説明する。

1 . ビルケナウのすべての死体安置室は、1時間に10回ほどの空気交換をする換気システムを備えていたが、これは、ドイツの戦時中の地下死体安置室の法律(1時間に5-10回の空気交換)で義務づけられていたので、予想されたことであった。[ルドルフの脚注22]。

この主張の根拠として、ルドルフはホロコースト否定論者のカルロ・マットーニョが確認した資料を引用している。マットーニョの研究は、1994年に発表された[7]。ルドルフは出典を明らかにしていないので、主張自体の歴史的正確さについてコメントすることはできない。しかし、この主張が真実であったとしても、ガス室が


[6] リチャード・J・グリーン、「化学は科学ではない」への追記、2000、https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/chemistry/not-the-science/postscript.shtml日本語訳
[7]
 カルロ・マットーニョ、『アウシュヴィッツ:伝説の終わり』、グラナータ、パロ・バーデス、1994年、
vho.org/GB/Books/anf/Mattogno.html, ルドルフの宣誓供述書(注22)で言及されているとおり。

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「殺人ガス室として使用されることを意図していなかった」ことを証明するものではないことを指摘する。換気装置に邪悪な用途がないという事実は、この換気装置が邪悪な目的でなかったことを証明するものではない。死体安置所の換気システムは、1時間に5〜10回の空気交換を行うことができ、本質的に邪悪なことは何もないのである。しかし、換気装置に犯罪以外の用途が考えられるからといって、ルドルフが主張するような意図の欠如が明らかになるわけではない。ロバート・ヤン・ヴァン・ペルトは、のぞき穴の存在や「脱衣所」という言葉の使用など、他の証拠も合わせて考えると、確かに意図があることがわかると指摘している。

ルドルフは続ける。

2 .主張されている「ガス室」と主張されていた被害者の脱衣室の性能を比較すると、死体安置室1(「ガス室」)の換気の性能は脱衣室の性能よりもさらに低いので、邪悪なことは何もないことがわかる。

死体安置所1(ガス室):1時間あたり9.94回の交換
死体安置所2(脱衣室):毎時10.35回の交換

この主張でも、死体安置室1をガス室として使用する意図がないとは言えない。しかし、この部屋は、時には死体安置所として使われたり、死体安置所2をガス室として使うなど、他の意図の可能性も指摘されている。ルドルフによると、2つの死体安置所の換気能力はほぼ同じだった。部屋の大きさが違うのだから、まったく同じにならないのは当然である。死体安置所1は、長さ30m、幅7m、広さ210平方メートル、高さ2.4m、容積504立方メートルであった[8]。プレサックによると、この部屋には吸気と排気の両方のファンを備えた換気システムがあり、1時間に8000立方メートルを循環させることができたという[9]。これは一般的に、


[8] フランシスゼク・ピーパー、「ガス室と火葬場」、イスラエル・ガットマンとマイケル・ベーレンバウム編集、『アウシュビッツ収容所の解剖学』、1994年、p. 166に掲載。
[9] ジャン・クロード・プレサック、ロバート・ヤン・ヴァン・ペルト、「, 「アウシュビッツの大量殺戮の機械たち」、前掲書、pp. 210, 232に掲載。3月中旬[1942年]、ビショフはシュルツから新しい計算書を受け取った。彼は、当初の数字を再検討した結果、現在ビルケナウに建設中の新しい火葬場の換気システムの総能力を、1時間に32,600立方メートルから45,000立方メートルに増やした方が良いと判断したのである。この影響を最も受けるのは、B.ケラー(B.keller)で、1時間に4,800立方メートルから8,000立方メートルの吸排気ができるシステムを導入することになり、66パーセントの増量となった。ビショフは、4月2日、シュルツの新しい提案を受け入れた。彼は、会社の設計図の呼称を収容所で作成したものと一致させるよう、

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8000÷504=15.8回/時の空気交換量と言われている。ホロコースト否定論者カルロ・マットーニョは、その論文「アウシュヴィッツ:伝説の終わり」[10]で、換気能力は、SSがもともと使う予定だったものに基づいて、1時間に4800÷506=9.48回の空気交換であると主張している。プレサックによると、SSは4800立方メートル/時しか計画しなかったが、最終的には8000立方メートル/時の換気装置を設置したという。ジョン・ジマーマンは最近、502-1-327という1943年5月27日付けのトプフの請求書を調査したが、これは火葬場IIを指しているのかもしれない(しかし、彼のコピーの最初のページは欠けているので、まだ確証はない)。それは4800立方メートル/時という数字が正しいことを示しているのかもしれない[11]。

ルドルフの3点目も新証拠ではない。同じ1994年のマットーニョの著作に基づくものである。ルドルフはこう書いている。

3 . 戦時中の文献では、業務用の害虫駆除室には1時間に約70回の空気交換が推奨されていたが、これは火葬場の安置所のシステムが達成した空気交換の7倍の威力である。この推奨水準は、「プロフェッショナルな」殺人「ガス室」にも期待されなければならない。[ルドルフの注23]。死体安置所の換気システムは、悪臭を放つ空気と有害でないガスを交換するだけでよいのに対し、ガス室の換気システムは、それが殺傷目的であれ排ガス目的であれ、致死性の高いガスのわずかな痕跡さえ取り除く必要があり、シアン化水素の場合、湿った表面に持続的に付着してしまうのである。あまり強力でない換気装置で一時的に害虫駆除室を運営することは可能であるが、何ヵ月も途切れずに働く殺人的大量ガス処理施設が、その場しのぎで運営できるわけがないことは明らかだろう。水分が多く、体が密集している上に、次のロットに備えてすぐに庫内を整理する必要があるため、非常に強力なファンが必要だったはずである。

ルドルフは、ホロコースト否定論者カルロ・マットーニョの研究に基づいて、戦時中の文献では、「専門的」害虫駆除室では1時間に70回程度の空気交換が推奨されていると主張している。この文章でルドルフはいくつかの事実の主張をしているが、それらは正しくないので、以下に検証する。


トプフ氏に依頼した[70]。つまり、B・ケラー(B.keller)はL・ケラー1(Leichenkeller 1(死体安置用地下室1))、L・ケラー(L.keller)はL・ケラー2(Lechenkeller 2(死体安置用地下室2))になったのである。トプフの設計はそれに応じて修正され、5月8日にアウシュビッツに戻された[71]。
[70] モスクワ[ロシア中央国家特別史料館]、502-1-312、4月2日の建設管理部の書簡、1942年;オシフィエンチム、BW 11/1, 12.
[71] モスクワ、502-1-312、トプフ社の書簡、1942年5月8日

[10] カルロ・マットーニョ、『アウシュヴィッツ:伝説の終わり』、 Newport Beach:IHR, 1994、pp.60-62.
"Auschwitz: das Ende einer Legende "としてドイツ語訳は下記で入手可能。
https://web.archive.org/web/20040224092358/http://www.codoh.com/inter/intnackt/intnackausch3.html

[11] ジョン・C・ジマーマン、私信。ジマーマン教授は、『ホロコースト否定:人口統計、証言とイデオロギー』、アメリカ大学出版会、Lanham、MD、2000の著者である。

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ある種の害虫駆除室にそのような勧告が存在する可能性については、そのような存在が、殺人ガス室に存在する換気システムの不適当性を示すことにはならないであろう。しかし、彼が主張しているように、1時間あたり9.94回の空気交換という強力な換気システムが適切でないことを示唆していることは、検証する価値がある。もし、ルドルフが、ガス室がこの換気能力を持っていたと述べているのが正しいとすれば、それは、従来の最終的解決の歴史と矛盾するものではない。

ルドルフは、「この推奨水準は、『プロの』殺人ガス室にも期待されなければならない」と主張しているが、実証してはいない。ルドルフは、そのような強力な換気装置なしでも害虫駆除が可能であることを認めたうえで、ガス室が「何ヵ月も中断されずに稼動することは、そのような間に合わせのベースではできない」ことは「明らか」であると主張している。彼の主張は話が逆であり、殺人的ガス処刑は断続的に短時間行なわれたのに対して、害虫駆除はもっと頻繁に、しかも長時間行なわれたからである。ルドルフはさらに、換気システムがHCNの「最小限の痕跡」さえも除去する必要があると主張している。この主張は事実に反している。私は、彼がもっと良く知っていると思う。

HCNの微量な濃度は完全に許容範囲内であることを強調して指摘しておく。デュポン社[12]によれば、以下の閾値が適用される。

          2-5 ppm 臭気閾値
          4-7 ppm OSHA暴露限界値、15分の時間加重平均値
          20-40ppm 数時間後に軽度の症状
          45-54 ppm 1/2~1 時間の間、顕著な即時性または遅延性の影響を伴わずに耐えられる
          100-200 ppm 1/2~1 時間以内に致死的になる。
          300 ppm 急速に致死的になる(無治療の場合)。

SSは奴隷労働者を雇っていたので、OSHA基準を守る必要はなかった。ガス室内の残留濃度は、ガスマスクを持たない奴隷労働者による死体搬出を妨げずに50ppm程度まで高くすることができたし、実際、奴隷労働者はガスマスクを


[12] デュポン社、『シアン化水素: 特性、用途、貯蔵、取り扱い』、ウィルミントン:Du Pont, 195071/A (1991)。

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用意していたのである。たとえそうであっても、ルドルフが引用した換気能力は、合理的な時間枠の中でOSHA基準に適合させるのに十分であっただろう[13]。ルドルフはこう主張する。

資料を精査した結果、ヴァンペルト教授の「強力な換気システム」が虚構に過ぎないことは明らかである。

それどころか、ガス室の換気装置に関するルドルフとマットーニョの主張を正確に受け入れたとしても、それは十分に強力なものであった。少なくとも1997年の時点からインターネット上で公開されている論文[14]で、ルドルフは同様の主張をしている。その主張の中で、第二火葬場のガス室は1時間に6-8回しか空気交換ができなかったと主張している。今回の宣誓供述書では、ルドルフは1時間あたり9.94回の交換を主張している[15]。彼の以前の主張に対して、ジェイミー・マッカーシーと私は、1時間に6-8回の空気交換という彼の主張が正しいとしても、奴隷労働者はガスマスクなしで20-40分間換気すれば安全にガス室に入ることができることを証明した[16]。

同じ記事で、より正確だと思われる15.8回/時という値でも計算している。交換速度が速いほど換気量は増えるが、ルドルフが正しいと認めている数値でも十分な換気時間が得られる。ルドルフの数字を使うことで、誤差の余地のある保守的な見積もりとなっている。

私は、換気が開始される前に達成された最高HCN濃度のいくつかの異なるシナリオを仮定して、このような推定を行っている。もちろん、ガス室内の空気を取り除くのに実際にどれだけの時間がかかったかを正確に把握することは不可能である。我々は数学的なモデリングによって近似値を得ることができるのである。使用される方程式は簡単なもので、ガス室内の濃度を1/e、


[13] OSHAとはOccupational Safety and Health Administration(労働安全衛生局)の略で、米国の労働基準を定めている。
[14] ゲルマー・ルドルフ、「アウシュヴィッツとマイダネクの「ガス室」」
https://web.archive.org/web/20051224205146/http://www.codoh.com/found/fndgcger.html
[15] 上に引用した彼のポイント2を参照してほしい。彼は後にこの数字を恣意的に減らしている。その問題については、以降の適切なセクションで論じる。
[16] リチャード・J・グリーンとジェイミー・マッカーシー、「科学は科学でない:ルドルフ、レトリック、リダクション」、1999年、, https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/auschwitz/chemistry/not-the-science/日本語訳

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つまり1室の空気の入れ替えごとに0.368にカットするのである。ここで、C(t)は時刻tにおけるHCNの濃度(単位:時間)、C₀は換気開始前の初期濃度である。

$$
C(t)=C_oe^{-9.94t}
$$

米国産業衛生専門家会議は、Windowsオペレーティングシステム用の産業衛生計算機プログラムを制作している[17]。ガス室の大きさと換気量を立方フィートと分に換算すると、上の式と同じ結果が返される。

この式は、新鮮な空気がすぐに完全にチャンバー内の空気と混ざり合うことを想定している。現実にはそうならない。換気システムは、排出される空気中の毒の濃度が高くなるように空気の流れが設計されているので、この式は保守的に見えるかもしれない。また、犠牲者の死体は場所を取るが、以下の計算には一切含まれていない。とすると、体積が増えて交換率が下がるので、この数字も保守的であることがわかる。同じ死体による閉塞は、逆の方向に働くかもしれない。さらに、ルドルフはHCNが濡れた表面に付着する問題にも触れている。ルドルフは、HCNが水と混和することは技術的に正しいのであるが、この問題を混同している。濡れた表面でガス放出が遅くなる程度なら、問題にはならない。そのような遅い速度でガスが放出されても、該当する時間枠に有害な濃度は発生しないからだ。以下の試算では、極めて保守的な数字を用いても、換気システムは十分な威力を発揮していることがわかる。宣誓供述書の233-238ページで、ルドルフは機能的に同じ方程式から始めている。彼の結果の違いは、彼の推論に重大な誤りがあったことに起因しているが、それについては後述する。以下の各推計では、チクロンが除去され、換気システムがオンになった時刻を0としたタイムスケールを示している。各表は、換気が開始される前にどの程度の気相濃度のHCNが達成されたかの想定が異なっている。2列目は、所定の時間換気した後の濃度を示している。3列目は、奴隷労働者が所定の時間に入室した場合、その後15分間に経験する平均濃度を示している。この値は、上記のOSHA 15分間基準と比較することができる。


[17] 米国政府産業衛生専門家会議ウェブサイト、 http://www.acgih.org
は、以前、この電卓の無料版を提供していた。産業衛生計算機。

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まず、妥当な濃度のHCNを使った結果を示し、次にルドルフのもっと無理な数値を使って結果を示す。いずれの場合も、換気は十分である。まず、使用した濃度は5g/㎥、20分間ガスを放出させてから残ったチクロンを除去したと仮定する。ルドルフのチクロンのガス放出に関する関数[18]を用いると、到達した最大HCN濃度は1670ppmとなる。次の表に結果を示す。

時間 (分)   HCN濃度 (ppm)  15分平均暴露濃度
    0             1670                   616
  10               319                   118
  20                61                      22
  30                12                       4
  40                 2                        1 

このシナリオによると、20〜30分後にはチャンバー内の空気は致死量をはるかに下回り、実際にOSHA15分基準の範囲内に収まっている。代わりに、使用したチクロンの量が20g/㎥(註:原文には「20 5g/m3」とあるが、これは明らかにミスタイプである)であり、残りのチクロンを除去する前に20分間ガスを放出させたと仮定する。ルドルフが開発したチクロンのガス放出の関数を使って計算すると、最大で6680ppmのHCN濃度に達したことになる。その結果は以下の表のとおりである。

時間 (分)   HCN濃度 (ppm)  15分平均暴露濃度
   0                 6680                2464
 10                 1274                  470
 20                   243                   90
 30                    46                    17
 40                     9                      3
 50                     2                      1 

この保守的な計算では、30分以内にチャンバー内の空気は致死量をはるかに下回っている。40分以内には、OSHAの15分間暴露制限に準拠する濃度になったはずである。


[18] 本宣誓書の添付資料Ⅱをご参照。

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想定した初期濃度が低すぎるという議論が予想される。ルドルフは宣誓供述書の189ページで、初期濃度を1%と推定している。1%が10,000ppmであれば、C₀=10,000ppmで計算した結果のように、その差は取るに足らないものであることがわかる。

時間 (分)   HCN濃度 (ppm)  15分平均暴露濃度
   0                 10,000              3689
 10                   1908                704
 20                     364                134
 30                      70                  26
 40                      13                    5
 50                       2                     1 

このような議論の無意味さを示すために、換気システムをオンにしたときに存在したであろうガス濃度の過大評価であるC₀=20,000 ppmを設定して同じ計算を行ってみる。次の表は、その計算結果である。

時間 (分)   HCN濃度 (ppm)  15分平均暴露量
  0               20,000                 7378
 10                 3815                 1407
 20                   728                  269
 30                   139                    51
 40                    26                    10
 50                     5                      2

註:以上の四つを翻訳者の方でグラフ化しました(HCN濃度変化のみ)。指数関数なので対数軸にするとこうなります。グラフが若干折れ曲がっている部分がありますがこれは数値の四捨五入によるものです。実際には単なる指数関数なので直線変化になります。評価については記事の方をお読み下さい。

画像5
画像6

この過大な見積もりをしたとしても、奴隷労働者が30分から40分の間に入れば安全だったろう。OSHAのコンプライアンスは50分以内に達成されるだろう。これらの計算はすべて、1)奴隷労働者がガスマスクを持っていないこと、2)SSにとって奴隷労働者の生命を危険にさらさないことが重要であったこと、を前提としている。最初の仮定は正しくなく、2番目の仮定は、親衛隊が奴隷労働者の消耗を抑えようとした場合にしか当てはまらない。

実際、奴隷労働者たちはガスマスクを用意しており、少なくとも一部の時間帯はそれを着用していたことが、多くの目撃者によって証明されている。このような場合、ドアが開くまでの換気時間は、

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例えば20分後ではなく15分後にガスマスクを外したい奴隷労働者にとっての関心のあるものでしかない。囚人のニーシュリ博士がその様子を語る[19]。

車からSS隊員とSDG(Sanitätsdienstgefreiter:副保健官)が降りてきた。副保健官は緑色の板鉄の筒を4つ持っていた。30メートルおきにコンクリートの短いパイプが地面から突き出ている。ガスマスクを装着し、コンクリート製のパイプのふたを開ける。彼は缶の一つを開け、中身であるモーブ色の粒状のものを開口部に流し込んだ。粒状の物質が塊になって底に落ちた。そのガスが穴から漏れて、数秒後には強制送還者のいる部屋に充満した。5分もしないうちに、みんな死んでしまった。[...]

二人のガス屋は、商売を確実にするために、さらに5分ほど待った。そして、タバコに火をつけ、車で去っていった。[...]

換気装置(特許取得済み)は、すぐにガスを部屋から追い出すが、死角やドアの隙間には、常に少量のガスが残っていた。 2時間後でも息苦しいほどの咳が出る。そのため、最初に部屋に入ったゾンダーコマンド隊は、ガスマスクを装備していた

再び部屋に強力な照明が当てられ、恐ろしい光景が目に飛び込んできた。[強調は私]

(咳の原因は、涙腺を刺激するチクロン警告指示薬に間違いない。安全性を考慮し、シアンの濃度が低くても警告が目立つように設計されている。チクロンの扱いについて訓練を受けていない目撃者は、おそらくこのことを知らないだろう。警告剤無しのチクロンも一部には出荷されていたが、その使用は普遍的なものでなかった。

ガスマスクについても、スラマ・ドラゴンは換気のないガス室について言及している[20]。

後で知ったことですが、私自身と他の11人は、このコテージから死体を運び出すために、細かく指示されました。私たちはガスマスクを渡され、コテージに案内されました。モルがドアを開けたとき、私たちはコテージが男女、年齢を問わず裸の死体でいっぱいであることを確認しました。

ミューラーもガスマスクの使用について言及している[21]。

ガス室からの死体搬出では、ガスマスクを着用しなければならなかった


[19] ミクロス・ニーシュリ、『アウシュヴィッツ:ある医師の目撃談』、アーケード出版、ニューヨーク(1996年)、pp. 50-51。
[20] スラマ・ドラゴン、ヘス裁判、第1巻、pp. 102-121。プレサック、『技術』、前掲書、p.171に引用されている。ドラゴンは、(同じく換気のない)火葬場Vでの作業のためにガスマスクを着用したことにも触れている(コゴン他、『ナチ大量殺戮』、1993年、p. 167)。
[21] ラウトレッジ、ポール・ケーガン 、『アウシュビッツの地獄』、ロンドンとヘンリー、p.117-8。

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ガスマスクの使用を裏付ける証言は、ほかにもたくさんある[22]。さらに、他の証拠もある。ダニエル・ケレンは、写真に写っているガスマスクを特定したと考えている[23]。

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/~dkeren/auschwitz/trip-2000/gas-mask.jpg にある、1944年夏に撮られた有名な写真のクローズアップを見て欲しい。1944年夏に撮影された有名な写真の拡大写真(この拡大写真はKrema Vによるもの)をクローズアップしてみた。右のグループの中で一番左のSKメンバーに注目して欲しい。私は彼が何かを抱えていることに気づいた。そして、ハリーとマイク・スタインに、それが何だと思うか聞いてみたところ、ガスマスクだとの答えが返ってきた。おそらく、この写真の複製は小さすぎるため、これまで指摘されることはなかったと思う。

画像4
https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/~dkeren/auschwitz/trip-2000/gas-mask.jpg

ガスマスク使用の強力な証拠としては、ジャン・クロード・プレサックとジョン・ジマーマンが引用しているルドルフ・ヘスの命令もある[24]。1942年8月、ヘスはチクロンを扱うSS隊員にガスマスクの着用を義務付ける一般指令を出した。

「換気システムの性能は...、『ガス室』とされた死体安置室1が殺人的な『ガス室』として使われることを意図していなかったことを明らかにしている」というルドルフの長年の主張が間違っていることは、十分に明らかになるはずである。

J. ロイヒター報告書、ヴァン・ペルト教授、ロス教授(pp.175-190)

※「I. シアン化水素の建材への浸透について」以降は続きで。


[22] 例えば、オイゲン・コゴン、ヘルマン・ラングバイン、アダルバート・リュッケルル、 『ナチスの大量殺戮:毒ガス使用の記録的な歴史』、イェール大学出版局、ニューヘイブン、1993年:クレマー、p.149、ウェッツラー、p. 165に引用されている証言を参照されたい。
[23] ダニエル・ケレン、私信。ダニエル・ケレンはホロコースト歴史プロジェクトのメンバーであり、ロバート・ヤン・ヴァン・ペルトの宣誓供述書の付録として含まれている、火葬場2の死体安置室1の屋根にある穴を探し出した研究の著者の一人である。
[24] プレサック、『アウシュヴィッツ』、p.211、ジョン・C・ジマーマン、 『ホロコースト否定:デモグラフィック、証言とイデオロギー』、アメリカ大学出版会、ランハム、MD、2000年、p.184 に引用されている。

▲翻訳終了▲

ルドルフの宣誓供述書それ自体を読んでみたいものですが、それにしても「致死性の高いガスのわずかな痕跡さえ取り除く必要があり」には思わず吹いてしまいました。否定派の多くは青酸(シアン化水素)ガスの危険性を過剰に主張します。例えば、青酸ガスに晒された死体を素手で触ったら、死体に付着している青酸成分が皮膚呼吸によって作業者の人体に吸収されてしまうため、危険過ぎてそのような作業が出来るわけはない、などと主張したりします。皮膚からの体内への侵入それ自体は否定しませんが(但し、気体状の青酸成分は皮膚から侵入しません。根拠は例えばこちら)、これらの主張の量的な議論を私は見たことがありません。死体の表面にどの程度の青酸成分が残っているのかもわからないし、どの程度が吸収されるのかも不明です。皮膚呼吸の毒性閾値も全く不明です。私たちが普通知り得るのは、記事中に示されている300ppmの濃度で即死すること、程度なのです。ちなみに、この毒性を示す濃度閾値には様々なものがあるようで、例えば300ppmでは10分以内に死亡するとするものもありますし、2000ppmでは半数の人が1分以内に死亡するとするものもあります。いずれにしても、このガスの吸引についての量的根拠はあっても、皮膚からの吸入についての確かな量的根拠は私は見たことがありません。従って、否定派による根拠が示されない過剰なまでのシアン化水素に関する危険性の主張は無視して差し支えないでしょう。

ガスマスクについては、これは否定派も当然認めるとおり害虫駆除作業をアウシュビッツ収容所ではしていたので、当然ガスマスクは必要だったのです。いくらなんでも、ガスマスクの常備もなしにチクロンを用いた作業が出来るわけありません。

画像5

これがチクロン専用フィルターのついたガスマスクです。ゾンダーコマンドの写真に写っていると言われているその人が持っているものがこれのように見えます(しかし、この写真の解像度では断定まではできません)。

ルドルフは、アウシュビッツ・ビルケナウのガス室の換気能力(クレマ2or3)を過小評価しつつ、詐欺的な印象操作まで行って、「たいした換気能力はないのだから安全な作業は不可能だった」かのように論じていたようですが、実際に計算してみると概ね換気開始から30分前後で、しかも過剰に高い濃度であっても問題のない時間で、安全な濃度で作業できたことがわかりました。

では次へ


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