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ホロコーストへの素人的疑問や嘘否定説への回答・・・と「世界線」の話。

ホロコーストの否定トピックがTwitterで流れると、たまに拡散してバズることがあり、そんなのがこちらにも流れてくることもあります。

単なる偶然だけど、少し前に山田一成のことは記事に書いています。

ツイート内の怪文書はワシントンのホロコースト博物館の出来る前に書いた文章らしく、完成したのは1993年なので、今から約30年も前のもののようです。同じ文章は、その日本のネオナチが公開しているサイトにもあります。

ツイート主の@masami6666氏がどこから拾ったかまでは調べてません。グーグルレンズというのを使えばある程度は同じ画像を検索できるのですが、めんどくさいのでやってません。@masami6666氏は画像をどっかで拾ってはツイートしてるような人で、3万人弱のフォロワーもおられますから、サクッと拡散しやすいのでしょう。多分ですけど、陰謀論系の人だと思われます。詳しくないので断定はしませんが。

さて、しかし、怪文書の内容については、ご意見は別として、事実については特に嘘の記述はないようです。「ホロコースト説は何年ものあいだに大幅に変わった」ように思えるのは、これを主張する修正主義者が論点先取で、最初からホロコーストを捏造だと決めつけているからです。例えば最近の事例で、安倍元首相殺人事件は、本当に最初こそ、安倍氏への根拠のない恨みでやったと言われていましたが、その後に旧統一教会の信者であった犯人の母親が破産して家庭崩壊を招いてすらも巨額の献金を行うという(その旧統一教会関連団体のイベントに安倍氏がビデオメッセージを送っていたのを犯人が知った)、それなりには理解できる理由があったと判明しました。もしかしたらまだ知られていない事実が今後出てくるやもしれません。ある事件に対して後になってさまざまな真相が見えてくるのは当たり前のことです。

しかし、ほんの少し、頭から知恵熱を出すだけで分かりそうな「否定説」ですらも、このアホな怪文書にまんまと乗せられる程度の人たちは、陰謀説の方への同調を選ぶ率が高いので、知恵熱を出そうとはしません。そこで今回は、ネットでよく陰謀論者が主張する、極めて低レベルな否定説を紹介して私なりに「論破」してみましょう。

ちなみに「論破」という語が、ひろゆきと結び付けられることが多いですが、ひろゆき自身は

「僕は一回も『はい論破!』って言ったことないんですよ。たしかに『論破力』って本は出してますけど、論破することはマイナスで表現していて。全く伝わってない」

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/06/kiji/20210806s00041000600000c.html

なのだそうです。でも、私自身、過去の2ちゃんねる上でひろゆきとネラーのやりとりをたくさん見てきた経験からいうと、ひろゆきって相手を形式的には論破しまくってたようにしか思えません(笑)

①600万人は誇張されている!

この600万人説はしばしば攻撃を受けます。例えば。

この二つの内容を組み合わせると、一つの陰謀論の出来上がりです。最初からユダヤ人犠牲者数を600万人とすることは決まっており、細かい犠牲者数が変わっても変更されないのはその証拠である、など。

まぁ、陰謀論はその陰謀実行者自身の正体や、陰謀実行の実態それ自身を明かすことは絶対にない、つまりそれでは陰謀論にならないので、このような陰謀論の方がウケが良いのは分かります。多分、在野の歴史家であるルーシー・ダヴィドヴィッチの背後にはユダヤ人陰謀エージェントがいるのでしょう(笑)

さて、陰謀論には付き合いきれませんので、「600万人」という数字が一体どこから出てきたのか? 史実の方を少しだけ説明します。これについては私自身もよくわかっているわけではありません。しかしよく言われるのはニュルンベルク裁判でのある親衛隊将校の証言です。その名をヴィルヘルム・ヘットル(Wilhelm Höttl)と呼び、親衛隊少佐の地位にあった人物です。彼の有名なニュルンベルグ裁判での証言は以下のとおりです。

しかし、私(注:検察側のウォルシュ少佐)は、収容所での400万人のユダヤ人の死と、東方での国家警察による200万人のユダヤ人の死、合計600万人の死を立証する一つの文書、声明を提供したいと思います。これは、ゲシュタポのユダヤ人課長アドルフ・アイヒマンの発言であり、引用された数字の出所は、RSHA第四保安警察の外国部副グループリーダー、ヴィルヘルム・ヘットル博士によるものです。ヴィルヘルム・ヘットル博士は、宣誓供述書の形で、次のように述べています(2頁から引用します)。

約400万人のユダヤ人が様々な強制収容所で殺され、さらに200万人が他の方法で死を迎えたが、その大部分は対露戦争中に治安警察の作戦部隊によって射殺された。」

(強調は私)

ニュルンベルク裁判記録集第3巻 第21日 1945年12月14日(金)午前の部より

ちなみにアイヒマン自身はのちのイスラエルでの尋問か裁判、あるいは彼の日記上でこれを嘘だと主張しているそうです。ではアイヒマンがアルゼンチンでサッセンにインタビューで語った「1030万人のユダヤ人」は一体何なのか? それは余談なのでどうでもいいのですが。

また、これは直接の記録を探し出せませんが、間接的には手元の『ホロコースト大事典』p.152には、アイヒマンの同僚であったディター・ヴィスリセニー(Dieter Wisliceny)が「アイヒマンは少なくとも400万人という数字をよく語っており、「時には500万人とも言っていた」」と記述されています。イスラエルの裁判ではアイヒマンはこれを否定しなかったそうです。とすれば、ヘットルの主張を否定したとしても、大体の数字としては一致しているので、アイヒマンは犠牲者数そのものを否定しているわけではない、と考えられます。

また、これはまだあまりよく調べておらず曖昧にしか述べられませんが、この証言よりも前に、英米調査委員会の報告した数値というのがあって、おおむねの数字として600万人弱のユダヤ人人口の減少を発表していたらしいのです。これは、ホロコースト大事典にも、おそらく、出典はそこだろうと思われる発言として、ニュルンベルク裁判で1945年11月21日に英国の検事が「570万人のユダヤ人がかつて住んでいた国から消え…」と述べたとあります。

他にもそこそこ情報はありますが、ともかく割と早くから600万人程度のユダヤ人犠牲者数が言われていたのは事実です。政治学者で歴史家である、有名なホロコースト研究の著書『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』を著した、ラウル・ヒルバーグは、その著書で1961年に510万人の犠牲者数を発表しています。これは詳しい調査資料に基づくものであることが添付資料に記載されています。もちろん、他の研究者の数字もたくさんあります。そのうちで割と詳細なその調査研究内容が読めるものとしては以下のものがあります。

プレサック本を翻訳完了した私でも、これを読む労力はかかりすぎるので今のところ諦めてます。しかし、この本は研究者の間では、犠牲者数に関する代表的な研究書とされています。ともかく、この研究書でも約600万人です。研究書ですから、ちゃんとその計算根拠は示されています。当たり前のことですが、研究者が何の根拠もなしに数字を述べるはずはありません。それらの研究でも、大体の数字として500万〜600万人程度の犠牲者数を上げているのです。

では、プロの修正主義者はどう言っているのか。歴史評論研究所(IHR)の所長、マーク・ウェーバーは上記のベンツらによる研究書を完全無視して、次のとおり語っています

いずれにしても、聖像あつかいとなってしまっているような600万にという数字の歴史的正確さを求める努力は、まさに、歴史家たちに求められていることなのである
(強調は私)

2001年の論文なのですから、1991年の研究書を無視するのは如何なものかと存じますが。

なお、少し傍にそれますが、日本のネット上では南京大虐殺と並べて「ホロコーストの600万人も南京大虐殺の30万人と同じように政治的プロパガンダにすぎない!」と主張する人を見かけました。南京大虐殺も多少知っているのですが、確かに南京大虐殺の30万人は政治的な数字の意味はあると思われます。中国共産党の現在のトップである習近平氏だってそう言っているからですし、頑なに犠牲者数に関する主張を中国側は変えません。しかし、南京大虐殺肯定派と呼ばれる日本の研究者ですらも最大で20万人程度しか認めておらず、現在の肯定派の代表でもある笠原氏ですら30万人は多すぎると考えています。

ところが、ホロコーストと南京大虐殺の犠牲者数に関しては、決定的に異なることが一つあります。それは、南京大虐殺の犠牲者数は戦後裁判である南京軍事法廷の判決書に明確に記載されて決定している数字であることです。

中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、 捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。
(強調は私)

国防部戦犯裁判軍事法廷の戦犯谷壽夫に対する判決書より

対して、ホロコーストはニュルンベルク裁判の判決書にその犠牲者数の記載はありません。前述のように、裁判の中では触れられていますが、判決には書かれていないのです。これは、南京軍事裁判では、一応は調査して調べた数字だからであり、ニュルンベルク裁判では特に調べなかったからだと考えます。

確かに、アウシュヴィッツの犠牲者数とされていた「400万人」は政治的数字だったと考えられています。アウシュヴィッツ博物館のフランシスチェク・ピーパー博士が1980年台後半に110万人の犠牲者数を研究結果として公表したのち、アウシュヴィッツ博物館にある石碑の碑文に記された「400万人」を変更するかどうかの話し合いの時、当時の館長だったカジミエシュ・スモレンが変更を若干渋ったニュアンスのようなことが書かれていた記事を読んだことがあります。もちろん最終的には同意されています。当時はまだソ連崩壊直前でした。

なお、「アウシュヴィッツの犠牲者数数値が激減したのだから、ホロコースト犠牲者数総数も600万人から減らないのはおかしい、やはり政治的数字だからだ!」という主張がありますが、もし仮に、そうしたさまざまな研究や発表における数字を利用して犠牲者総数600万人を積算していた研究者がいて、アウシュヴィッツ博物館発表の数字が400万人から110万人に減ったので、290万人分減らして、犠牲者総数を310万人に修正したとしても、別に自由だと思います。しかし、例えばラウル・ヒルバーグは元々独自に推計して、510万人の犠牲者数を出していて、そのうちのアウシュヴィッツの犠牲者数も独自の推計で100万人としているので、特に影響はありません。そのように、数字の出し方は様々なのであって、一般に言われているホロコースト犠牲者数が、おおむね600万人だというに過ぎません。また、600万人について、犠牲者数の積算ではなく、ユダヤ人人口全体の統計上の数字から算出している(戦前戦後の差)とするならば、アウシュヴィッツの犠牲者数の変更は無関係でしょう。

そもそも政治的数字だとするなら、その主語は誰なのでしょう? 中国の場合ならそれは中国共産党だと言えますが、ホロコーストには主たる主語になる国も人も存在しません。イスラエル? …陰謀論には付き合いきれませんのでこの辺で(笑)

②アウシュヴィッツの火葬能力では600万人も焼けるわけがない!

もちろん、600万人ではありません(それはホロコースト全体の数字であり、その一部であるアウシュヴィッツの数字ではありません)。400万人でも多すぎます。400万人説を最初に提示したと言っていいソ連の報告書では、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所にあった五つの火葬場の、1日の火葬能力は9,000体だったとされていますが、少なくとも火葬場の故障を考慮しなかったとしても、火葬場のみではそんなに火葬能力はなかったとしか考えられません。何せ、アウシュヴィッツの親衛隊建設部にして、その火葬能力を日あたり4756体としていたくらいです。実際には、ラウル・ヒルバーグやジャン・クロード・プレサックが主張したようにそれより低く、火葬場の故障期間を考慮すれば日あたり平均で3000体程度とするのが妥当だと思われます。

1943年6月28日の親衛隊経済行政本部に宛てた書簡

しかし、このアウシュビッツの火葬に関する議論は、そう簡単には結論できるものではありません(特に陰謀論者的には!)。あなたは、火葬場の火葬能力を科学的に計算できますか? 現代の火葬場でも構いませんが、少なくとも私には無理です。秋刀魚を七輪で焼くことですら、私には科学的に記述することはできません。できる人はいますか?

例えば、体重60kgの人間の死体を燃えにくい骨の部分を残して全焼ささせるには、何kgのコークスが必要か? わかりますか? 仮に分かったとして、ではそのコークス量で一体を焼くのにかかる時間を理論的な計算式で記述できますか? そんなの急に言われても学者でも無理だと思います。

もっと細かい話をしましょう。その体重60kgの死体に関して、体脂肪率10%の筋肉質と、体脂肪率30%の肥満体とでは、必要なコークス量の差が出ると思われますが、算出できますか? あるいは、火葬において、野外で薪の上で人体を焼く場合と、炉の中で焼く場合とで、火葬速度の違いを計算できますか? あるいはまた、火葬炉なら、体積の小さい子供の遺体なら数体入れられると思いますが、その場合、子供の遺体それ自体の燃焼も燃焼全体にある程度寄与すると思われますが、その場合に節約できるコークス量を計算できますか? また火葬時間はどうなりますか?

事態はもっと複雑で、もっともっと色々なことを考えることができますが、秋刀魚を七輪の上で焼くことすら科学的に記述できない私には、お手げです。そんなことどうでもいいのでさっさと秋刀魚を焼いて食いたいだけです(笑)

いや、笑い話でもないのです。少なくとも、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所での火葬に必要だったのは、火葬について科学的に記述することなどではなく、如何にして遺体の大量焼却処分を行うかだったのです。アウシュヴィッツの親衛隊や、火葬炉メーカーであるトプフ&ゼーネ社が科学的で理論的に詳細な検討を行った形跡はまるでありません。親衛隊がやったのはたまたま付き合いのあったトプフ社に火葬炉の設置を要求したことであり、トプフ社はその要望に応えようとして経験を活かしただけです。しかし、そのトプフの経験すら、アウシュビッツの状況は上回っていました。

アウシュビッツでは、私の目の前で、1体ではなく2~3体の死体が火葬炉のマッフルに押し込まれていたという例をザンダーに示した。しかし、それでも火葬場のオーブンは、焼却するには死体の数が多すぎて、その負荷に対応出来なかった

https://note.com/ms2400/n/n938deaefbde4

アウシュヴィッツの火葬場で、実際に火葬処理にあたった親衛隊員や、あるいはカポ、そして作業員であるゾンダーコマンドたちは、まさに自助努力によって、自分達の工夫で大量遺体処理を何とか解決しようとしたのです。そして、火葬場だけではどうしても無理だった場合(特に1944年5〜7月のハンガリーアクション)は、火葬場の近くに壕を掘って、そこで野外焼却を行ったのです。

火葬場5の裏側にあったとされる野外火葬のピットで大量遺体の焼却作業を行うゾンダーコマンドたち(ユダヤ人囚人による隠し撮りによる写真)

それでも、修正主義者たちは、屁理屈をこねるようにして、科学的な体裁を装った説明をし、百万体もの火葬処理は無理だと説明しようとしてきました。例えば…

記事は他にもありますが、この分野はマットーニョの独壇場のようです。古くは、ロイヒター報告やツンデル裁判で被告側弁護人として出廷したカナダ人の火葬場技術の専門家であるイヴァン・ラガセ(Ivan Lagacé)によるものもあります。

しかし、ラガセは1日たった186体、つまりはアウシュヴィッツ第一収容所の火葬場を除くと、ビルケナウには合計46炉(これはマッフル(遺体を装填する口、炉室)の数であり、炉の数は数え方でも異なるが、14炉または12炉となる)で、1炉あたり1日でたったの四体しか焼けないなどという、あまりにも低い処理能力を主張しました。もちろん、一般の民生用火葬炉では、火葬炉を熱する、一体の遺体を炉に入れて焼却する、火葬炉が冷えるのを待つ、遺骨を取り出して骨壷などに入れる(日本のように遺骨を骨壷に遺族が入れる儀式などはありません)、火葬炉を清掃する、のような時間が必要ですが、アウシュヴィッツの火葬場はそんな必要は全くありません。

*収容所における死体焼却の実際
「トップフ&ゼーネ」は1941年までに、二種類の「二重マッフル炉」を強制収容所に取り付けていた。最初に使われたのは組み立て済みの移動式炉で、これは壁にはめ込んで固定することもできた。やがてそこから開発された固定式の炉が使われるようになったが、 これは収容所でまず部品を組み立てた。どちらのタイプも、通常の火葬場で使用されるものとは大きく異なっていた。収容所では死者はもはや一人一人別々に棺に入れて焼却したりしない。それゆえ燃焼室の扉は随分小さくすることができる。また扉の開閉も機械では なく、囚人が手で行なわなければならない。さらに死体は直接、炎に晒される。通常は死体を入れる部分と火室との間に仕切りがあるのだが、収容所の炉にはそれがないのである。 - 通常の火葬場では、充分な酸素の供給に留意し、死体がすっかり焼却されるまで時間をかけ、焼却中に煙や匂いが出ないよう注意するが、収容所における死体処理ではそのような配慮は脇に追いやられる。収容所で重要なのは、処理スピードと燃料費の節約なのである。それゆえ死体は不完全にしか焼却されず、火の粉が舞い、黒い煙と悪臭が出た。「トップフ&ゼーネ」が作成した収容所の死体焼却炉の操作マニュアルによると、焼却過程の終了前にさらに死体を燃焼室へ入れるように指示されており、死体と灰を火かき棒で動かせと明記されているのである
(項目タイトル以外の強調は私)

「最終解決」の技術者たちより」

修正主義者、あるいは陰謀論者たちは、それっぽい科学的体裁を装った説明があると、それをまじめには理解せずに納得する傾向があるようです。私は詐欺師は大嫌いなので、そんな「それっぽい説明」如きは理解したくありません。まぁ、それを反論するためにはある程度理解も必要ですが、物事はもっと単純に考えるべきで、例えばたこ焼き機の鉄板プレートには目一杯、たこ焼きを作る窪みがあって当然なのです(笑)。それは冗談としても、例えばガスレンジや電子レンジのグリルで秋刀魚(秋刀魚が好きなのですw)を焼くときに、スペースがあるならば、目一杯とは言わずとも、何匹も一緒に焼くのが普通でしょう。そしてたくさんまだまだサンマがあるのならば、いちいちグリルの冷却など待たず、必要のない限り内部の清掃もせず、その熱いまま次々に秋刀魚を焼くはずです。同じことをアウシュヴィッツでもやっただけのことなのです。しかも、その火葬炉の説明書にはそのような操作をして良いと書いてあったのです。火葬炉の火葬材が、そんな無茶なことをしたらすぐに破損するという意見も出されることがありますが、高温の状態が続くのであれば温度変化は小さくなって、火葬炉の火葬材は長持ちする理屈です。この程度の科学的知識もない陰謀論者に、複雑で難解でよくわからない修正主義者的理屈がわかるわけないのです。

ただし、ビルケナウの火葬場は安普請だったので、故障が頻発したようです。特にビルケナウのクレマトリウムⅣは完成後すぐに壊れて二度と使えなくなったようです(少しは使えたのでは?という説もある)。その鏡像構造であるクレマトリウムⅤも故障は頻発したそうです。

とは言え、上で写真付きで示したように、火葬能力が追いつかないと判断したら、野外火葬を行ったので、火葬能力はその火葬場所の広さや数に応じて変化してしまうため、アウシュビッツ・ビルケナウの火葬能力は計算できないのです。この野外火葬のことが、どうやら一般ピーポーにはあまり知られていないようで、実際のところ反論・議論にすらなってない場合が多いのです。

まぁ、中には「野外火葬のほうが効率がいいのであればなぜ火葬場を作ったんだ?」と割と真っ当な反論をしてくる人はいます。しかしこれへの反論は簡単で、元々、アウシュヴィッツでも野外火葬をやっていたのです。それは、少し私のノート記事でも調べればわかりますが、最初のユダヤ人絶滅はビルケナウ敷地外の二ヶ所のブンカーと呼ばれたり、あるいは赤い小屋、白い小屋と呼ばれるところで行われていましたが、最初は土葬、つまりは穴を掘って死体を埋めていただけでした。それが、親衛隊トップのヒムラーの命令により、全焼却することになったのです(証拠隠滅及び水質や土壌汚染を防ぐため)。ところがその約10万体余りを壕で焼いていたら、ものすごい量の煙、そしてその匂いと炎で周囲一帯にバレバレになってしまい、自軍の防空隊にまでそれを指摘されるという有様だったので、それで火葬場でやる方向へと変わったと、司令官は回想録に記述しています。

つまり、野外火葬なんてそもそもやりたくなかったろうと思われるのです。しかしあまりの大量の死体や、火葬場の故障などで、野外火葬をやらざるを得なくなった、のでした。「なんでかなー?」と思うんだったら、少しは調べろ!と言いたかったりします。なぜ、ルドルフ・ヘスの回想録くらい読まないんでしょうね?

他には、戦時中で燃料が足りなかったのだから、野外焼却に必要なガソリンなどを調達できたハズがない、とか、火葬炉に複数体など詰め込めるわけない、とか、色々あるわけですが、全て反論し返すことが可能です。ガソリンやその他液体燃料を調達できなかった証拠はなく、少なくとも子供がいるので複数体を詰め込むことは可能です。火葬している最中にはどんどん遺体体積は減るので、遺体体積が減ったら隙間ができるのですから、そこへ次の死体を入れていけばいいのです。入れにくかったり、連結されたマッフルの穴を塞いでしまって火葬に影響があるようならば、火かき棒を使って燃えている遺体をうまく処理し、穴を塞がないようにすればいいだけです。要するに現場の親衛隊員やゾンダーコマンドたちの自助努力でなんとかしていたのです。

③毒ガスで集団処刑など不合理だ!

これ系の異論の種類はたくさんあるのですが、その一部は以前に記事にした以下を読めば大体理解できるとは思います。

実際には、他のラインハルト絶滅収容所などで用いられた一酸化炭素ガスの方が犠牲者数は多い(アウシュヴィッツのおよそ2倍以上と推測される)のですが、一酸化炭素の方は反論する人を見たことがありません。多分、一酸化炭素で人が死ぬのはほとんどの人が知っているからだと思われます。例えば、自動車のマフラーからホースで、密閉した車内に排ガスを引き込んで自殺する・殺害するなんてなのは、多くの人が知っているわけです。あるいは、火災で死ぬ人の大半は一酸化炭素中毒です。

ところがなぜか、アウシュヴィッツの青酸ガスとなると、知識がないためか、さまざまな形で異論を提出する人がいるのです。やれ、高価だとか、致死量に達するまで時間がかかりすぎるとか、換気に問題がある、とか、皮膚呼吸ですら危険なのにゾンダーコマンドが上半身裸で処刑遺体を引きずる絵がある!不自然だ!、とか、まぁ色々、と。もっと細かく、証言者の証言で、ガス処刑後の遺体が青白かったと言っている証言があるが、青酸ならピンクになるハズだ!だから嘘だ!、などもあります。

割とこれらをいちいち細かく調べたこともありましたが、調べれば調べるほど馬鹿馬鹿しくなりました。うち、「高価」については、それはアメリカ合衆国でのガス処刑室ではかなり運用コストがかかるという意味で、元々フォーリソンが言っていたらしい主張なのですが、その主張が日本に入ってきて西岡がチクロンBを高価だと言い換えてしまったので生じた日本人限定の誤解だと思われます。そもそもチクロンBは害虫駆除のために納品していたのだからそれを流用するだけで殺人に使えたのだし、フォーリソンが主張したのは極めて頑丈・精巧に作られたガス室と比べてアウシュヴィッツのガス室は貧弱すぎる(低コストすぎる)という主張だったのだから、意味不明の反論になってしまっています。アウシュヴィッツでは低コストでやっていたのです(それ自体はフォーリソンも認めている、というか認めなければフォーリソンの主張は意味が通じなくなる。フォーリソンのはアウシュヴィッツのガス室は低コストすぎて考えられない、という趣旨なのだから)。

私自身は色々調べるうちに、この青酸ガス・チクロンBについての修正主義者の異論は、やめときゃよかったのに、と思うようになりました。だって、なんにせよ、青酸ガスは毒ガスです。毒ガスを使って人を殺す、それの何が変なのでしょうか? これがもし、前述したように「一酸化炭素ガス」ならば、おそらく修正主義者は異論は出さなかったと思います。使ったかどうかは異論を出したと思いますけど、手段そのものに対する異論はあり得ません。つまりは、青酸ガスに対する知識が乏しいので出てきた異論であると考えられるわけです。

中には、毒ガスよりも銃殺の方が効率がいいのだから、毒ガスを使う理由がない、不合理である、という意見もあります。これに対する反論でよく言われるのは、銃殺では銃殺する側の精神的負担が大きいので、それで毒ガスが使われるようになった、です。確かに、ミンスクかどこかの殺害現場で、それを視察に来たヒムラーに、ツェレウスキーが兵士の精神状態を考えてほしいのように申し立てて、ガス車が導入されるようになったという説があります。ルドルフ・ヘスも銃殺は嫌だった、ガス処刑になって心が安らいだ、のようなことを自伝に書いています。

そのくせ、陰謀論者や修正主義者たちは、どうしてあれやこれやの殺害方法を使わなかったんだ? と一方では主張するのです。例えば、ガス車を使っていた件に対し、「当時はプロデューサーガス車もあったのに、なぜそれを使わずにエンジン排ガスを利用したガス車を使ったのか?」と主張する修正主義者もいます。私自身はそうした世界線もあり得たかもしれないとは思いますが、ナチスドイツはあのオウム真理教が実際に使用したサリンんガスを発明し製造保管していたにもかかわらず使わなかったように、使わない世界線もあり得て、それが現実の世界線になっただけだと思うのですが(笑)。

従って、「不合理だ」とする異論は、可能世界意味論の中では、必然性を欠くので、論理的に誤りなのです。突然すぎて、ちょっと難しいかな(汗)。私はほんのさわりだけ、様相論理というのを齧った経験があるだけなのですが、それっぽいことを言ってみただけです。つまり、それらの史実としては採用されていない毒ガス不使用やプロデューサーガス車の使用は、「そうであったかもしれない」が「そうでなければならかった」とは論理的には言えないのです。

例えば、目の前に銃が置いてあって、相手を殺すとなった時に、絞殺したとすればどうでしょう? 厳密には可能世界意味論的には成立しますが、現実的にはあまりに不自然です。それが成立するには銃の中に玉がなかったとか、銃の使い方を知らなかった、などの理由が必要です。しかし、目の前にあったのが拳銃とライフルであった時、いずれを使おうとも別に不自然ではありません。これと同様に、毒ガスを使おうが使わまいが、可能世界意味論的には大して不自然ではありません。どちらの方法を選ぶかについて、必然性は存在しないからです。世界線には偶然的に選ばれるものと必然的に選ばれるものとが存在するのです。

「世界線」という用語を使ったのは、最近ではなんだか陰謀論者の方面で流行っているからだそうですが(笑)

で、この著者の以下の本、めっちゃよく調べてて面白かったです。

というわけで、今回はこの辺で。もっともっと、素人的疑問はありますが、まぁなんというか、無茶苦茶なことを言ってるだけなので、本来は無視していいものばかりではあります。

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