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【退職エントリ】新卒から約7年勤めた会社を退職しました

最終出勤日を過ぎたので、区切りとして書いておきます。
タイトル通り、新卒入社で勤めていた会社を退職した(正確には退職日は3月上旬)って話です。

7年間何をしてきたのか

2015年に某印刷会社へ総合職として入社しました。
面接時は入社予定の会社が親会社だったのですが、内定式になって「来年からホールディングスを立ち上げるので、親会社じゃなくなりま〜す」と言われて白目をむいたのはいい思い出です。
そんな変革もあり、特殊な年に入社してしまい、店舗配属予定なのに研修先が一人だけほぼ工場(他の子はもちろん店舗)だったり、施工研修でうまくできすぎて「親方」とあだ名をつけられて報告書に全社配信されたり、配属発表の時に「君は一生店舗スタッフだよ、多分」と言われてフラッグシップ店に何もわからないまま飛ばされたりしました。
店舗スタッフとしては印刷の受付や手配、DTPなどをやっていました。
研修が研修だったので、名刺やチラシをはじめとした普通の印刷物よりも、パネルやのぼりといったサインディスプレイの方が謎に強い新人としてヒーヒーしてました。今思い出してもよくわからんです。

その後、制作局が組織改変するタイミングで面談し、「文芸専攻してて文章が好きならコピーライターを目指してみる?」という言葉を真に受けて、総合職から約3ヶ月で社内転職し、新しく立ち上がった制作局へ異動しました。
元々、コピーライターがおらず、まともにその名を名乗っているのが師匠となる先輩だけだったので、その下で約3年ほどアシスタントをしながら宣伝会議に通いつつ修行をしていました。

4年前からはグループ会社へ出向し、主に食品業界を中心に、スーパーに飾るPOPや売り場装飾、カタログをつくったりする生活でした。
他にも会社案内をつくったり、動物園の駅広告、スキンケアの什器など幅広くやっていました。

何故辞めるのか

忙しすぎて心をぶっ壊したのと、業務環境が改善されなかったことが大きいです。

最後にいた会社は30人もいない規模でしたが、ディレクターやデザイナーが10人以上いるのに対し、コピーライターの肩書がついているのは3人、もっというとディレクターと兼任していないのは私だけでした。
純粋に手を動かす人が自分以外にいないため、仕事量は増えていくばかりで、最後は気合と根性でやる、休日出勤前提で仕事を受けるのが当たり前になっていました。
休職後もそれは変わらず、復職してすぐの頃は絞ってもらえてたのも、結局ほぼ元通りになり、結果としてまた休職をすることに。
相談しても話が通じず、「これはもう無理だな」と思い、転職を決意しました。

会社の良かったところ

いい人が多かったです。
辞める当日も新卒当時にお世話になっていた営業さんから電話をいただいたり、長年担当していた案件の営業さんからも「森田さんのコピーが好きでした」と声をかけてもらえたりして泣きかけました。
基本リモートなのにわざわざ出社してくれた後輩は挨拶で泣いてくれたりして、あったかかったです。
特に、アシスタント時代からお世話になった先輩は最後の最後まで迷惑かけたにも関わらず、笑顔で送り出してくれました。

また、大きな規模の会社だったので、大抵のことが自社内で賄えるのもいいところでした。
その分自社商材が多くて嫌だという声もありましたが、個人的にはそこが好きで、新サービスが出るといの一番に覚えるのが楽しみでした。
クライアントも数多あったので、業界や媒体にとらわれずにできたのも面白かったです。

次は何をするのか

会社員としてのコピーライターは廃業します。
次はITベンチャーで自社メディアの中の人になる予定です。
めちゃイケイケな感じなのと、一緒に働く人たちがみんな賢そうで震えてますが、楽しんでいきたいと思います!

コピーライターは完全に廃業するわけでなく、副業としてフリーで請け負って行く予定です。
こちらは追って、お仕事募集の記事を書く予定ですので、よろしくお願いします。

いいことも悪いこともあった7年間でしたが、今の自分があるのは未熟な私を拾ってくれた会社のおかげでした。

酒といったら森田!みたいなノリでみんなプライベートも飲んでくれたのでした


これからの森田玲花に乞うご期待ください!
(飲みすぎないように生きていきたいですが、すでに次の会社の歓迎会での記憶はありません)

いただいたお金は、美味しいお酒と新しい本に使い、書くためのエネルギーにしたいと思います。