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【映画】"Don’t Worry Darling"——ジェンダー学の視点から(ネタバレあり)

完璧な生活が保証された街で、アリスは愛する夫ジャックと平穏な日々を送っていた。
そんなある日、隣人が赤い服の男達に連れ去られるのを目撃する。
それ以降、彼女の周りで頻繁に不気味な出来事が起きるようになる。
次第に精神が乱れ、周囲からもおかしくなったと心配されるアリスだったが、
あることをきっかけにこの街に疑問を持ち始めるー。

映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』公式サイトhttps://wwws.warnerbros.co.jp/dontworrydarling/

映画の内容よりも監督とキャストの恋愛をめぐっていざこざが注目されているこちらの作品。日本公開は来月11日のようですが、オリビア・ワイルド監督のフェミニズム思想が通底しているとの前評判もあり、一足先にイギリスで観てきました。

あらすじ(ネタバレあり)

1950年代のアメリカ、砂漠の真ん中に明らかに計画的に造られた小さな街があり、「住民」は若い夫婦(そして、いる場合には小さな子ども)ばかり。夫は毎朝同じ時間に各々の車で街外れにそびえる山にある本部まで出勤し、妻は家事をして夫の帰りを待つ。夜や週末はパーティーに耽り、あまりにも全てが不自然に整然としていることを除けば、心配事などなさそうな生活だ。妻たちが守らなければならないルールは一つ——中心地を離れず、夫の職場には決して行かないこと。仕事内容を詮索するのも厳禁だ。

公式サイトより。

街の中心人物は中年男性フランクとその妻シェリー。彼らは「ビクトリー」と名付けられたこの街のプロジェクトを宗教のように語る。だが、夫妻主催のガーデンパーティーで一人の妻が彼らに挑戦する。「私たちはどうしてこんな所にいるの?」と。彼女マーガレットは主人公アリスの友人だった。噂によれば、彼女は幼い息子を連れて街を離れた結果、息子が行方不明になったという——マーガレットは、罰として息子が「連れ去られた」と思っていた。妻たちは心配するが、フランクの言葉を疑ったり「異常」事態を下手に詮索するのは危険だった。マーガレットからのSOSの電話を切った日、アリスは彼女の「自殺」を目撃してしまう。保安官たちに取り押さえられ、マーガレットは事故で屋根から落ちただけで病院で治療中だと説明されて、アリスの日常は狂い始めた。
 幻覚に悩まされ、フランクや医師などプロジェクト側の人間への不信が募る中、飛行機が墜落するのを目撃して救助のため一人バスを降りたアリスは禁断の本部に足を踏み入れてしまう。気がつくと自宅のベッドに寝ていた彼女だが、何かひどく恐ろしいものを見たという記憶だけは残っていた。その後も観察を続け、フランクが自分達を支配しようとしていると確信するが、夫ジャックのことは愛し信頼していた——そして、一緒に逃げようとジャックを説得したアリスは騙されて保安官に連行される。
 病院で何らかの処置を施されたアリスは記憶を失くし、舞台はオープニングの日常に戻る。全く同じ日々が繰り返される中、時折フラッシュバックする記憶を辿ったアリスはここが仮想空間であることに気づく——アリスは現実では21世紀のアメリカで外科医として激務をこなしており、ジャックは無職の冴えない彼氏だった。自分の人生を奪ったとジャックに怒りをぶつけるアリスだったが、ジャックに羽交い締めにされ、抵抗しようとして彼を殺してしまう。騒ぎを聞きつけた隣人に、現実に戻るには本部に行くしかないと告げられ、追手を振り切って車を走らせたアリスは前回来たガラス扉まで辿り着く。引き留めようとするジャックの甘い声が幻聴で聞こえたが、アリスは覚悟を決めガラスに手を触れる。何度もフラッシュバックしていた幻覚の後、暗闇の中、アリスの息切れが聞こえる——無事現実に戻れたのだろう。

ジェンダーの観点から見ると…

要約してしまえば、働き詰めの彼女と無職で冴えない自分との落差に失望したジャックが、「古き良き」夫が妻を養う生活を実現すると謳うフランクのプロジェクトに加入し、アリスを勝手に機械に繋いで仮想空間に連れ込んでいたという恐ろしい話です。夫は毎日本部を通って現実世界に戻り、仕事と接続のメンテナンスをしていますが、妻の体は意識を失って寝たきりです。男性が独占欲から女性を仮想空間に誘拐し、精神操作をして専業主婦として従えていたところ、主人公が真実を暴き自由を取り戻す、「男性支配に対する女性の反乱」という構図を取っています。この思想が露骨過ぎるという反発もあるようですが、映画としての面白さはいったん傍に置いて、ジェンダーの観点から特徴的な描写に注目したいと思います。
 まず、男性たちが描く理想郷として、この仮想空間は典型的な男女の二項対立を実現しています。「男」はスーツを着て毎日仕事に行き、街の生活基盤全てをその会社が提供しています。彼らは妻子を養い守る大黒柱であり、妻からの干渉はいっさい受けません。そして、仕事に価値を置き熱心に取り組んでいるという体裁を保っています。一方、「女」は働く夫の癒しであり、従順な妻として全ての家事をこなし、言いつけを守って街から出ず、日中は妻たちだけの女社会で暮らしています。フランクは日々そのような妻たちの在り方を賞賛する発言をしており、彼主導でこの価値観が再確認・強化されていることが窺えます。一度ジャックがアリスの代わりに夕飯を作ろうとする場面がありますが、絶望的に下手であり、「男は料理はしないもの」という考えもこの二元論に含まれると言えるでしょう。また、「女」は全員スカートやワンピースを着ており、アリスの服装も露出が多かったり花柄だったりと常に「女らしさ」を強調するものでした。
 一方の現実社会は(断片的にしか出てきませんが)、アリスの職場である病院にも女性職員は多く、アリスの帰宅を無職のジャックが家で待っています。アリスから返信がなかったため夕食を食べずに待っていたと主張するジャックですが、疲れているアリスは戯れようとする彼を邪険に振り払って自分の部屋のドアを閉めます。ジャックがどのくらいの期間無職でいるのか、二人の生活費をどの程度アリスが負担しているのかとった詳細は分かりませんが、昔ながらの男女関係が完全に逆転した構図だと言えるでしょう。この状況に嫌気がさしたジャックは、ポッドキャストでフランクが語る男性優位の「理想郷」に惹かれて加入してしまうのです。

「私が選んだの!私の人生だった!」

ストーリーのクライマックスは、真実に気づいたアリスがジャックに詰め寄るシーンでしょう。「君が(現実では)惨めだったから、君のためにやったんだ」と主張するジャックに対し、アリスは、「私が選んだの!私の人生だった!あなたは私の人生を奪ったのよ!」と叫びます。(印象的で覚えているセリフを和訳しているだけですが、自然に訳そうとする話者によって「男言葉」「女言葉」にすることになってしまうのがもどかしいです…。)女性にも自分の生き方を自分で決める権利があり、自分で選んだ自分の人生は誰かから押し付けられる「幸せ」よりもずっと素晴らしい——これがこの映画のテーマだと言えます。このように、男性中心の古い秩序に反発し、女性の自由・自律を謳うという意味で、フェミニズム作品と言われるのにも納得はいきます。
 また、終盤では、アリス以外の女性たちも行動を変え始めます。アリスの友人であるバニーは実は仮想空間の真実を前々から知っており、現実世界では死んでしまった子どもと暮らし続けるために仮想空間に残っていると告白しました。彼女は自らの意思でこの生き方を選んでいたのです。そしてアリスには、本部に行くことだけが現実に戻る方法だと告げて逃げるよう促します。バニー以外の近隣の女性たちも、騒ぎを見て何かがおかしいことに気づき、夫に反発し始めました。夫を立て、この街に疑問を抱かないことを鉄則としてきた彼女たちにとって、自我を取り戻すための非常に大きな一歩だと言えるでしょう。そして、フランクの妻シェリーはジャックとアリスの管理に関する失態を咎め、フランクを刺殺します。彼女の狙いは正確には不明ですが、実はシェリーが本当の黒幕であり、フランクを排除して自ら仮想空間を牛耳ろうとしているように思えました。「次は私の番よ。」という彼女の一言は、フランクを支える妻という立場に甘んじるのをやめて名実共に表舞台に立つという宣言のようです。この仮想空間が元々は彼女の発想だった場合、男性のエゴに見えていたものが実は一人の女性の掌の上で踊らされていただけだったという可能性もあり、巻き込まれたその他の女性たちの人生が踏み躙られたことに変わりはありませんが、物語はさらに複雑な様相を呈します。このように、夫に従順なだけに見えた妻たちが心の底では様々な考えを持っており、一斉に反旗を翻した瞬間なのです。
 一方で、現実では外科医という冷静沈着さを求められるであろう職業のアリスが仮想空間では非常に感情的でよくパニックを起こしており、周囲を警戒する必要を察することができそうな場面でも声を落とさないなど分別がないような描かれ方をしているのは気になりました。精神操作をされているとはいえ、全く人格が変わってしまっては好きな女性を支配下に置きたい男性加入者にとっても意味がないでしょうから、性格は概ねアリス本人のもののはずです。そう考えると、監督自身も「男は理性的で女は感情的」といったステレオタイプから抜け出せていないのか、もしくはこのような特殊な環境で男性の言いなりになって生活していると性格までも型にはめられてしまうという示唆なのか、いずれにしても興味深いなと思いました。

本当の問題は、ジャックのような男性が自分を肯定できないこと

映画を観終わると、フランクやジャックが非人道的なことをしている極悪人のように見えます(実際に非人道的なことはしています)が、本当の問題は、このような形で行動には起こさないとしても、同じくらい追い詰められて自分に自信を無くしている男性が現代社会にいるかもしれないということです。女性の社会進出が進む一方で、男女二元論的な固定観念はしぶとく残っており、現実に思想や潜在意識が追いついていない場合は多々あると思います。「男ならこうあるべき」という価値観に縛られるからこそ、彼女に頼られないどころか疲れ果てるまで働いている彼女に頼って暮らしている自分に価値を見出せず、文字通りの現実逃避に出てしまったのでしょう。パートナーに頼らざるを得ない状況は不甲斐ないとしても、それが彼の「男」としての人格や自己認識までも脅かすものでなければ、これほどの暴挙には出なかったかもしれません。ですから、男女二項対立の固定観念を崩すというフェミニズムの命題は、女性の自由を獲得するだけでなく、男性も含めあらゆる人を「○○らしさ」から解放しようとする運動でもあるのです。この映画ではジャックはアリスの正当防衛で殺されてしまいますが、アリスが現実世界に戻ったりこの仮想空間がなくなったとしても、根底の課題はそのままです。映画で表立っては語られませんが、そのような問題意識も与えてくれる作品なのではないかと思います。


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